⚫︎「脚気問題」と「板倉・山下論争」
私は「脚気問題」について、科学史学会総会シンポジウム(2023.5.28早稲田大学)で発表した。そのとき、迷いに迷ったのが「板倉聖宣(1988)『模倣の時代』に対する山下政三の批判(『鴎外 森林太郎と脚気紛争』2008」であった。▶️「脚気の歴史」についての論争 →森林太郎
結局、その発表では「2人の論争(山下の一方的な攻撃)」を避ける形にした。
つまり、下のように「板倉/山下」論をどちらも立てた形で発表したのである。
⚫︎NHK「ビタミン×戦争×森鴎外」が放送された
最近になって、NHK.BS『フランケンシュタインの誘惑ービタミン×戦争×森鴎外』2023.8.31(初放送2017.6.29)の放送があった。
NHKは、どう放送するのか。楽しみだった。
ア. 板倉・山下、五分五分
イ.板倉寄り
ウ. 山下寄り
エ.その他
さあどうだっただろう。主な出演者は
佐々木 敏(元東京大学大学院医学系研究科社会予防疫学分野教授)66才。女子栄養大学客員教授。
仲野 徹(元,大阪大学大学院教授)。細菌、細胞が専門1957年 (年齢 66歳)
他に、岡本拓司(東京大学、科学史)
柴田克己(甲南女子大学教授、食品学)
⚫︎番組は「脚気の大惨事の責任は、全面的に森林太郎」と主張
番組は、ほぼすべてが「脚気の大惨事は森林太郎の責任」だった。
岡本: 森の責任は大きいと思います。
柴田: 驕り、エリート意識、それがすべて。森林太郎が起こした悲劇だったと思います。
仲野: 森は、性格として「議論したら必ず勝つようなタイプ」一度思い込んだら抜け出せない。
佐々木: メンツが潰れる。森がいなくなるということが、ビタミンを認める唯一の方法だった。
ただ佐々木は、1つ森を擁護している。
陸軍は、食料を運ぶのに大八車で運ぶ。雨も降る。麦飯は腐りやすい。海軍は船だから大丈夫。
⚫︎「番組に板倉さんの本が出てこなかった」のは残念か
番組を見たある友人が次のような感想を述べた。
「NHKが、板倉さんの本のことを1つも紹介しなかったのが残念だ」
私は、「出てこないくらい[脚気大惨事は森が原因]が浸透したなら、それはとても良いことだ」と思っている。
1988年に板倉の『模倣の時代』が出てから、関連書籍がたくさん出た。10冊から20冊くらいある。それらは基本的にはどれも「板倉が書いたこと」を踏襲している。
唯一「山下だけが痛烈に板倉を批判した」のだと思う。
●主な〈脚気の歴史〉に関する書籍●
1983...山下政三/脚気の歴史 1983 1988 1995
板倉(1988.3.25)『模倣の時代』上・下
松田誠(1990)『高木兼寛伝 脚気をなくした男』
吉村昭(1991) 『白い航跡(高木兼寛)』
山下(2008)『鴎外森林太郎と脚気紛争』日本評論社
松田誠(2007)『高木兼寛の医学ー慈恵会医科大の源流』
志田信男(2009)『鴎外は何故袴をはいて死んだのか』
森千里(2013)『鷗外と脚気 曾祖父の足あとを訪ねて』
番組に出演した科学者たちも、ちゃんとした判断を下している。
私は、山下政三の主張を恐れて譲歩してしまい、今は後悔している。
ただ、この番組を見て「板倉の思いは、ちゃんとした科学者たちに受け継がれている」と思った。
⚫︎最後に、板倉談「一流の科学者とは」
⚫︎科学と社会とのつながりが見える人が殆どいない。何が見えるかというと、外国でいま何が流行しているか、ということだけが見えるわけで、なぜ流行しているか、ということが判らない。
科学の場合、実践的な課題を明確に持てば必ず解ける、いや「解けそうな問題だけを解くのが科学である」というのば僕の定義です。一流の科学者は、人間とのつながりについて具体的にイメージがあって研究する。だから「あなたの研究していることと社会の関連についてどうお考えですか?」と聞けばいい。
「科学と社会についてー第2刷に寄せての雑談ー」『科学と社会』2刷,1988季節社⚫︎
板倉さんが今もし生きていたら、森林太郎のような現代の科学者たちに、上のような質問を浴びせているような気がする。