●民族問題を考えるための資料               「サウンド・オブ・ミュージック」の歴史物語  水口民夫(2022.5.15)

 あなたは,「サウンド・オブ・ミュージック」という映画を知っていますか。あらすじはざっとこんな感じです。 

 

「1938 年のオーストリア。修道女見習いの若い女性(マリア)が,院長の命により厳格な退役海軍大佐(トラップ)の家へ家庭教師としてやってくる。彼女は温かい人柄と音楽を用いた教育法で,7 人の子供たちに好かれるが,彼らの父である大佐との衝突は絶えなかった。 だが,彼女は次第に大佐に惹かれている事に気づき悩む。やがて大佐の再婚話が持ち上がり,彼女は傷心のまま修道院に戻るが結局,トラップ大佐とマリアは結ばれ二人は結婚式を上げます。

 ザルツブルクにはドイツ軍の支配が迫ってきています。ロルフ(長女リーズルの恋人)はナチスに傾倒し、故郷を愛するトラップ大佐を 批判します。二人が新婚旅行から帰ると、トラップ邸にはナチスの旗が飾ってありました。トラップ大佐は怒りその旗を外します。さらにはトラップ大佐のもとに「ドイツ軍への出頭命令」が届きます。愛国心の強いトラップ大佐はスイスへの亡命を決意します。追跡が続く中、一家は必死に逃げます。そして一家は歩いて山を越えて、スイスへと亡命していきます」


●板倉聖宣(1930-2018)の「サウンド・オブ・ミュージック」論

 さて、あなたは、この映画を見てどんな感想を持ちましたか? 板倉さんは、この映画について次のように書いています。 

 

(ここから板倉)

 じつは、増谷英樹著「歴史のなかのウィーン』(日本エディタースクール出版部,1993)という本は、「<サウンド・オブ・ミュージック〉 の時代」という章から始まっていて、この音楽映画と歴史的事実と を結びつける話に多くのページを割いています。その映画の筋書きを知らない,あるいは忘れた人のために言っておくと、この映 画はオーストリアのトラップ大佐一家の〈家族合唱団〉が、ドイツ軍 のオーストリア侵入の難を避けて亡命する話から始まっているの です。そして、上述の本の著者の増谷英樹さんはこう書いている のです(8~9 ぺ)。 

 

「トラップ大佐こそ、オーストリア・ファシズムともいうべきシュシュニック体制の支持者の運命を代表する人物なのである。彼らは、 オーストリアの支配権をめぐってナチスと争い、結果的に亡命を 余儀なくされる。しかし、彼らは 〈ナチスとの対抗者であっても、 ファシズムへの抵抗者ではありえず、むしろより大きなファシズム への道を開いた者〉 と位置づけられるべきなのである。

 ...結論 から先にいえばこの映画は、オーストリア・ファシストをナチスへの抵抗者として描き、すべての悪をナチスだけに被せ、自らの犯した罪にたいして何らの反省を示していないのである。しかもこの映画によって〈オーストリアがナチスの犠牲者であった〉という伝説は国際的に広められることとなったのである」というのです。 じつは、当時のオーストリアという国は。ヒトラーのナチ党とは違 う独裁者によって支配されていた独裁国家だったのです。増谷さ んの本に次のように書かれています。
「同[1933]年 3 月 12 日にナチス・ドイツの軍隊がオーストリアの国境を越えたときに、あえてこれに抵抗しようとする者はひとりもいな かったばかりでなく、沿道はドイツ軍を歓迎する人びとであふれ ていた......3 月 15 日にウィーンでおこなわれたヒトラーの歓迎集会の会場である英雄広場は一説によれば 50万の群衆によって埋めつくされていた」 

●オーストリア国民はヒトラーをどう思っていたか

 こうまで書くと、増谷英樹という人の政治的立場が疑われるかも知れませんが、この人はヒトラー礼賛者というわけではありません。 この人は、歴史にはこういう入り組んだ事情があることを理解しないと。おかしなことになることを警告しているだけなのです。ヒトラーは、オーストリアを併合したすぐ後の 38 年4月、ドイツとオース トリアの全域で、両国併合の賛否を問う国民投票を実施しました。 そしてオーストリア人の 99.73%の賛成を得ました。彼はドイツ人の民意をとてもよく知っていたのです。 それなら、その当時のオーストリアの政治はどうなっていたのでしょうか。

 矢田俊隆ほか著 『 (世界現代史 25) オーストリア/スイス現代史」 (山川出版社,1984) によると、

 「戦間期オーストリアの中心に立ったキリスト教社会党のオーストリア祖国主義は、古風なものであった。オーストリアの独立維持を最後まで強く望んだ のは、聖職者や貴族など特権階級であり、前者は新教国ドイツと 合体することへの反対からカトリック主義をもちだし、後者は君主 制への郷愁からハプスブルク家復位の思想に目を向けさえした」 (127 ぺ)

 

というのです。そこで、当時のオーストリアの独裁政権は、 一般住民の〈ドイツへの合併〉 の期待を阻むために独裁政権を 維持していたというわけです。 

(ここまで板倉) 

 

 

[質問]さて、あなたは、この資料を読んでどんな感想を持ちましたか? 

●「トラップファミリー」は実在するか(以下、井藤追加)

[問題1]

   映画『サウンド・オブ・物語』の筋書きは、どの程度事実でしょう。

ア. ほぼ事実(90%)

イ. 半分くらい事実(50%)

ウ. ほぼ事実ではない(10%が事実)

エ. 全く事実ではない(0%)

 wikipedia「マリア・フォン・トラップ」を読んでみましょう。

   wikipedia「トラップ大佐」もあります

 マリアもトラップ大佐も、子どもたちもすべて実在します。「トラップファミリー合唱団」は、オーストリアで生まれ、アメリカを中心に活動を続けました。

[問題2]

   トラップ一家は、どうしてアメリカに移住したのでしょう。

ア.  ナチスに反対したから

イ.  ナチスが音楽活動を否定したから

ウ.  経済的な理由から

 

 wikipediaから

1933年、オーストリアを襲った金融恐慌により、フォン・トラップ家の財産を預けていた銀行が倒産し、一家は財産を失った。

 ということでいちばんは「経済的な理由」です。合唱団を結成して、各地をまわり、ヨーロッパ対立がきな臭くなってきたときにアメリカに渡ったのです。

[問題3]

 トラップ大佐は、ヒトラー支持だったか。

ア.  ヒトラー支持した

イ.  ヒトラーを支持しなかった

 

 wikipedia「トラップ大佐(ゲオルク・フォン・トラップ)」には、こう書かれています。

 

1938年、オーストリアがナチス政権下のドイツと併合(アンシュルス)する。オーストリア全土にドイツ軍の進駐が進み、完全にドイツの下に組み込まれたが、ゲオルクはナチスの旗を家に飾ることを拒否し、ドイツ海軍省からの召集も拒否した

また、アドルフ・ヒトラーの誕生日にミュンヘンで行われるパーティーで、一家が祝福の歌を歌うことを要求され激怒しつつも、これ以上ドイツに抵抗すれば家族に危険が伴うことを恐れ、一家でオーストリアを離れることにした。 

 

[質問]

 あなたは、「板倉説」と「wikipedia説」と、どちらが真実だと思いますか。