(「一日一話」板倉さんの文章をブログにしていきたい)

11月17日 子どもたちが「わからない」「落ちこぼれる」

 板倉聖宣「他人が描いてくれる夢のおそろしさ」『仮説実験授業の研究論と組織論』(仮説社,1988)

 私は,いまの子どもたちが「わからない」とか「おちこぼれる」とかいわれる最も基本的な原因は二つあると思うのです。その一つは,「いまの体制が,おちこぼれる子どもたちをつくるために教育をしているからだ」ということ。だからそんなもの,おちこぼれたってかまわないのですがね。もう一つは,「学ぶに値するとは思えないことを学ばせられている」ことだというように思うのです。

(一言:水口)

  学校現場では一見美しい言葉で夢が語られることがありますが,それは時と場合によっては「おそろしい」ものだということです。その夢を実現化できる具体的な方法論や内容論がないまま,夢を語るのは現場の先生を苦しめることにつながると思います。「絵に描いた餅」は食べられません。

11月7日 城山三郎「楽しみを求めてー生き方の心得」

  五木寛之選『こころの羅針盤』(光文社,2002)より

1.年齢に逆らわず,無理をしない

2.いやなことはせず,楽しいことをする

3.眠い時は寝て,醒めたら起きる。好きなものだけを食べる。ただし,午後8時まで。

4.義理,面子,思惑をすてる。つまり,省事で通す。

5.友人を作り,敵を増やさない

(一言:水口)

 城山さんは還暦のときに、これからの生き方の心得のようなものをメモしています。

 ぼくには心得のようなものはありませんが,2の「いやなことはせず,楽しいことをする」というのは大事なことだと思っています。

11月6日 いろいろな価値基準を持てるようにする

  板倉聖宣 『たのしい授業』1983年6月号「たくさんの評価基準を」の座談会の板倉発言より

 いろんな価値基準をもてるようにするということが決定的に重要なんだよね。子どもを評価する先生の側の価値基準もね。天皇制が悪いっていう人は沢山いるけど,天皇がもっとも絶対的だった時代の通信簿は,優・良・可ですよ。どれもみんな「よい」っていうことでしょう。日本の人民は天皇の赤子(せきし=こども)であって,天皇が神であるなら,ダメな奴がいるはずがないっていうことになる。そういう時代は「不可」なんてつけたら,つけた先生の責任問題なんですよ。もともと「よい子」であるのをダメにしたのは教師なんですからね。 (中略)  評価の問題も,原理をまずしっかりさせて,あとは現実に自分のできることから一歩ずつ進めていくのがいいと思います。「願い」だけが先行するのはこわいです。

(一言:井藤)    アメリカでの評価は

+ Excellent(すばらしい) V+ Very good(たいへん良い)
V Satisfactory(満足)   V- Needs improvement(努力してね)
– Failing performance standards(もっとがんばろう)

仮説実験授業では

5 たいへん楽しかった 4楽しかった 3楽しくもつまらなくもなかった                    2 つまらなかった 1全然つまらなかった

「なんとなくばかりでも、また実験」

10月31日 教育や心理の技術発展をただ歓迎してはならない

   板倉聖宣 1984年2月号の『たのしい授業』「教育を考え直すための小事典」より

 私たちは,教育や心理の技術の発展をただたんに歓迎してはならないだろう。その人自身が自ら学びたいと思い,それなりの努力をしてはじめてその知識や技能を身につけられるようになるというのは,その人の主体性が守られることを保障しているという側面も忘れてはならないのである

(井藤)ルネサンス高校に勤めていて「主体性を守る」ということを痛感しました。あるとき、英語を教えていて、授業後一人の生徒に「先生、ぼくの人生に英語は必要ですか」と言われて、青天の霹靂でした。それで「英語で仮説実験授業を英語でする」に大転換しました。その後の生徒さんの評価は抜群になりました。めでたし、めでたし。

 

10月30日 死んだらしめた

 板倉聖宣 2001.1.6  沖縄・冬の大会にて(『たのしい授業』2001年2月号「アリがタイなら倉庫」)

死はコワイはずだ」と決めないでほしい。私はズルくて,あとに残された人間を考えれない。私が死んだら仮説実験授業研究会はどうなるかなんて考えません。一瞬は「困ったな」と思う人がけっこう居る。でも,「板倉が居なくなれば,板倉が邪魔していた授業書がたくさん出来て」((笑),あー悪いことしているのかな,早く死んじゃった方がいいのかな,そうも思います。((笑)わからないもの。だから,「死んでもシメタ!」です。

 

(井藤)

 上は、板倉さんが69才のときの話です。ちょうと私とか友人の多くがその年です。「死」のことはほとんど考えていません。

 2012年、82才になったとき、「ゆいごん」という講演をします。2022年の現在、「板倉さんが死んだからしめた」と思いているでしょうか。

 

10月29日 楽しく研究するひけつ

「楽しい授業から楽しい研究へ」  『科学と教育のために』1979年,季節社

 楽しく研究するコツは何か。私自身のことを考えてみますと,どうも「ほとんど100%楽しいことしか研究していない」ように思えるのです。

 「自分が楽しいことしか研究していない」ものですから「これまでのすぐれた科学者も楽しいことしか研究しなかったにちがいない」と勝手に決めているわけです。楽しいことだったらそれは寝たくもなくなるだろうし,節制もしなくなるだろうし,早死にもしちゃうだろうし……。

 では,どうやったら楽しくなるかというと,

一つはギャンブルのような楽しさを味わうということです。それは,予想をたてて当たるかどうか,いつでも真剣勝負というような形で研究することです。こうなると早く結果が知りたくなるし楽しみです。

 二つめは,そのことについて,大なり小なり自分と同じように関心をもっている仲間をもつことだと私は思っています。こういう仲間がいるとすごく得です。科学者の場合は,たいていそういう同じような関心をもっている仲間がいたと思います。アインシュタインのように不遇な研究条件下にいた人でもいい仲間がいまして,年がら年中、そういう仲間と議論していたようです。

 三つめはなにかというと,自分の研究の成果を喜んでくれるお客さんを沢山もつということです。研究成果を吹聴するのを喜んで聞いてくれる人,研究成果を利用してくれそうな人をもつことです。そういう人をあらかじめ予定しておくと楽しみになります。そういうお客さんが予定できれば,一生懸命データを集めて研究する気にもなります。

 

10月28日 竹内三郎「使えるものはとことん使え」

 竹内「弁証法かるたの試み」『ものの見方考え方』第1集、季節社 1981.4.30

ーとことんやって限界を知るー

 ......あれやこれや、気にしたところでまちがえることが多いのであるから、有効であることがわかっている少しの知識をつきつめて使った方が結果的にはトクをするーーつまり、適応限界を早く確実に知るーーことになるであろう。

 「限界をあらかじめ明らかにしてから研究をはじめろ」という学風もあるが、これは「限界があらかじめわかるような(つまらないう)研究しかできない」というつつましい態度のおしつけがましい表現である。

 

(水口)

 日本の学校では長い間「心が変われば行動が変わる」と教えてきたが、脳科学的に言えば、「行動が変われば心が変わる」が正解だ! この見解は正しい?

(井藤)

 「ファーストペンキン」という言葉もある。だれかが飛び込まないと始まらない。


●10月27日 竹内三郎「失敗を恐れて避ければ大失敗」

ー失敗を恐れて避ければ大失敗ー

 少しの知識をとことんまで使えば、必ず失敗するときがくる。その場合、失敗自体が成功である。「ついにきわめた」「使い方がわかった」「安心して使える」ということになるからである。「失敗を恐れるな」といわれても、やはり失敗は恐ろしい。失敗する前、「失敗しそうだな」という時が一番こわい。これはやむをえないことである。この一首は、そこをとびこすためのオマジナイである。実際、失敗してみるとたいてい何とかなるもので、「悩むだけバカバカしい」ということになる。.... (もし「大失敗」したとしたら)それらは小失敗の延長線上に生ずるものではなく、むしろ小失敗の不足から生ずるものであるにちがいない。

(井藤)  

   脳科学者の熊野宏(早稲田大学、応用脳科学研究所)所長は

脳が心を変え、心が脳を変えると言っています。https://yab.yomiuri.co.jp/adv/wol/research/tokku_101124.html

 うつ病やパニック障害は、現在、心の病気というよりも、脳機能の異常によって引き起こされた病気と理解されています。通常の医学の考え方では、薬で脳の働きを 調整しようということになり、薬を正しく使えば確かにとてもよくなります。しかし薬を使わずとも、認知行動療法という、その人の行動パターンを系統的に変えていく 療法によっても十分な回復がみられるのです。そのうえ、認知行動療法の方が、再発が少ないことも知られています」

  パニック障害を起こしたときは、脳の「感情(喜び」をつかさどる扁桃体に異常が出てくるそうです。

 

 熊野所長は、パニック障害の患者では、脳の扁桃体、海馬、中脳水道周囲灰白質といった部位が、発作時だけでなく安静時にも活動が高まっていることを2005年の論文で世界に先駆けて明らかにしている。

 つまり、「認知行動療法(考え方を変えられるようにする)」をして、扁桃体などを正常に活動できるようにすればいい、と熊野所長は言っています。

 

 

アスペルガー症候群などの「発達障害」も同様かもしれません。熊野所長は次のように結論づけます。

「大切なことは、系統的な訓練をすることで、脳の特定の部位を鍛えることができるということです。言い換えれば、心が変われば脳が変わり、脳が変われば心が変わる――こうした関係性を様々な領域で科学的に検証し、応用脳科学の可能性を追究しています」


9月18日 科学と〈デマ宣伝〉

ー大まかでも視野ひろくー   板倉聖宣 『学生通信』三省堂,1964.9.1より

 私たちが「科学的な考え方・態度」というものを身につけなければならない最大の理由、それは自然と社会についての無意識的あるいは意識的なデマ宣伝に引っかからないような人間になるためではないでしょうか。

(井藤)板倉さんの話を読んで、まず最初に思い出したのが姉のことです。

 私の姉は「コロナワクチンは打たない」とずっと言い張っていました。ある医師の講演を聞いて、頑なに「打たない」と言い続けていました。しかし、子どもたちが総出で、なんとか説得して、打つことになりました。今は、何もなかったように、ふつうに暮らしています。それは「デマだった」のでしょうか。著者が言うように2〜5年後にわかることでしょう。

 たいていの場合、ただ自分がうっかりしていただけでなく、相手側の言動の中にも、うっかり者の自分をおとしいれるようなトリックのかくされていたことに気づくでしょう。うかつにトリックに引っかからぬような態度、それが科学的な態度といえるかもしれません。

 例をあげて説明しましょう。昔の人びとは長い間、地球が静止していて太陽その他のすべての星が地球のまわりを回っていると信じていました。それはいわば、自然のトリック、デマ宣伝に引っかかったようなものです。

 分の予想がはずれていても、それはひとつの失敗とはいえないでしょう。予想というのはあくまで予想にすぎないのであって、それが違うかもしれないということは、あらかじめ十分承知しているはずのものだからです。私たちは「当たりそうもない予想ばかり立てて、いつまでも真実がつかめない」ということがなければよいのです。

(井藤)世の中には「健康」に関する情報があふれています。音田さんは「シルバー世代にとって、健康の話は[耳にタコ]」と言っています。結局「どの情報も信じられない」となってしまっているのです。では、どうしたらいいのでしょう。

                 →1970年代「紅茶きのこ」なんていうのがありました。

 大まかなことでもよいから、もっと広い視野に立って問題を考え直してみると、案外相手のまちがいが見つかるものなのです。

(井藤)結局は「何をするにも仮説実験」ではないでしょうか。実験の前にいろんな人と討論することも大切なのかもしれません。

 最後に、私の好きはトリック。「バームクーヘンの錯視」です。どう見ても、下の方が大きく見えるのはなぜでしょう。トリックも楽しめる心の余裕が持てるといいです。

 

9月16日 民主主義の旗を高くかかげよう

ー科学教育の現代化に先立つものー  1963.9『科教研月報』

 私の発想は、何よりも、これまでの理科教育のあり方に対する憤りに発している。それは従来の理科教育の非民主的なあり方に対する憤りといってもよいであろう。..... 

 科学というものは、その本性上だれにでもわかるというものである。ところが、日本の理科教育は、ーー明治初年の先進的な洋学者たちの努力を別とすればーーけっして科学を人民大衆のものとさせようという意図をもたなかった。......だからこそ、私は従来のような「理科」の教育ではなくて、本当の「科学」の教育をはじめなければならないと思うのである。

 日常身辺の雑多な事実の集積である理科で子供たちを苦しめ、彼らを科学から遠ざけることをやめて、本当の科学を味わわせようという民主的な要求にもとずくものであるはずである。.... 一部の優等生だけ理解しうるような科学教育のプランが生まれるとすれば、それはやはり、大衆の愚民化とエリート科学者の養成を夢見る独占資本の意図にかなうものになってしまうのであろう。

 ...「科学を全国民のものに」という、より一般的なスローガンで科教協がまとまってほしいと思う。...そして、どんなときにでも、科学をすべての生徒(ひいては大人)のものにするためには、どのような科学教育がうちたてられなければならないかを念頭において討論してほしいと思う。

 

(ひとこと:井藤)

 現在(2022年)の理科教育に対する政府の要請は、どんなものであろうか。安倍内閣は「科学技術立国」を掲げ、理系の大学の拡充を図った。

 小中学校の「理科教育」に対しても、「世界に負けない科学力」という要請はあっても「科学を全国民に」というスローガンは聞いたことがない。

 板倉氏の上の文章は50年前のものだが、2022年の現在、状況は全く変わっていないように、私は思うのだが、どうだろうか。

 

 

「科学教育の現代化」の流れ

1961年

  4/12    ソ連,有人人工衛星ガガーリン

  9/1115 PSSC関係者,日本の代表的物理教育関係者

  約50名にPSSCについての講義セミナーを東京で開催  


8月9日 落ちこぼれは科学者の卵だ

                           『家庭教育新聞』1986年4月12日

 砂鉄は鉄ですか? もし鉄だったら、雨が降ったあと、真っ赤にサビちゃうはずでしょ。小学生のころからずっと疑問に思っていて、やっと40いくつになってわかったよ(笑)

 子どもは、ごくあたり前とされている周知の事実に多くの疑問符を抱くものだ。けれど、はたして彼らの疑問にどのくらいの先生が、または大人が答えることができるだろう。その前提、耳を傾けることすらしないのではないか

(ひとこと:井藤)今日、日本語の授業をしていて、ある人が「先生、速すぎる」と言ってくれた。嬉しい一言だった。

 

8月8日、個性は落ちこぼれ意識から生まれる

             (初出:『理科の研究』1988年4・5月号,大日本図書)

 もっと大胆に「おちこぼれることのできる余地を残す必要があるだろう。「個性などというものは,たいていある種のおちこぼれ意識から生まれる」といっていいと思うからである。

(ひとこと:井藤)  そうだ。落ちこぼれ意識を大切にしなくちゃ。がんばらなくてもいい。もう寝よう。

 

8月7日、まず仮説として受けとめよ

仮説社設立の言葉より(竹内三郎)

 .....既成の教育的「常識」を一度捨てさり、すべての主張をまず仮説(疑わしきもの)として受けとめ、これを社会的実践(実験)によって検証しなおさなければならない。それはひとり教育の分野に止まることなく、むろん自然科学教育に限定すべきではない。

 しかし、「学問」を職業とする大多数の人びとがこのような営みを放棄している現状では、知的好奇心に富む「素人」がその任にあたらざるをえない。

 仮説社は、このような読者との連帯を心から願う。そして、読者が「読者」として固定することなく、それぞれ自らの仮説を世に問われんことを

              『仮説実験授業研究』第1集 1974.6.20

[一言:井藤]

 コロナが蔓延しています。多くの「知識人」と称される人たちは、自分の言っていることを「事実」のごとく語ります。それは、ほとんどすべてが「仮説」です。未来のことはだれもわからないと思います。皆さんはどう思っていますか。

 

 

7月28日、新しい時代に即した精神的な充実した生き方をしょう

                       板倉聖宣『未来の風』より

 新しい時代に即応した,最も精神的な充実した生き方をしよう。そのためには,一番若い人たちとつき合っていく。そんな教師が「たのしい授業」ということを訴えていくことは,学校教育だけでなくて世界の一つの変革になっていく。最も先駆的な仕事になっていく。若い人たちが、勉強が好きになり,働くことが好きになる。世に出てから本当に働くことが好きになる。

 つまり、若い人も教師も「これからの一生の生活を好きになる」ということです。

 

[一言:水口]

 朝の板倉さんの一言は、「今日一日の励み」です。ご飯一杯のように生活の糧です。ごちそうさまでした。さあ、出かけよう!!

 

7月27日、一生を美しく自分が満足できるように生きる

 1988.6.26熊本にて、山田正男編「ガリ本図書館20号」『たのしい授業』1988.8月号, 板倉58才

 私が『かわりだねの科学者たち』(1987仮説社)という本を書いて、描いてきた日本のかわりだねの科学者たちの1つの特徴は〈一生をたのしく生きた〉という感じの人たちばかりなのです。ある一瞬をたのしく生きて死んじゃったとか、情熱をこめて心中したとかいうんじゃなしに、最後の最後までたのしく生きた。

 私はやっぱり「ふつう憧れられるような、途中で死んでしまうようなことではなく、一生を美しく、自分自身が満足できるように生きる」というのが好きです。そういう点では「ガリレオが一番ステキ」だな。ボクは、やっぱり80〜90才くらいまでは仕事をしたい。年をとったら年をとっただけ、たのしく、人を妨害するのではなく、少し人の役にたつようなことをしたい。

 ガリレオはほとんどの論文をイタリア語で書いた。イタリア人が読める。なぜ最後まえイタリア語で書いたのか。

                                      (岩波書店,1972)


 国際性より民族性を大事にしている。いや、民族性よりも、ふつうの人間を大事にする。そういう形で学問はできていく。

[ひとこと:井藤]

 ガリレオ(1564-1642)は、78才まで生きました。500年も前のことなので「今なら90才」と言えるかもしれません。板倉さんも自分の言葉通り87才まで人生を楽しみました。

 私の近所には2人の偉大な先輩がいます。犬塚清和さん(1942-2019)は76才、松崎重広さん(1948-2007)は59才、二人は日々200%、情熱いっぱいの人生でした。そういえば、私と同学年の女優、島田陽子さんが亡くなりました。だれもが「惜しいなあ」と思ったことでしょう。

 でも私はガリレオのように生きられると良いです。日々50%でいい。

2022.7.27

 


7月24日、授業書を配る理由

 198753日「中国仮説研究会」(岡山)講演、『たのしく教師 特集 遊ぶように仮説実験授業』ガリ本図書館 2007年発行収録     [水口です。授業書を配る理由はこれだっんですね。始めて知りました]

 私は初めから,「仮説実験授業は優秀な先生だけがやるのではない。日本国中で普通の先生が超過勤務をしなくても,すごく犠牲的精神を払わなくてもできるようにしなければいけない」と思っていました。だから,私は過大な要求は一切しないという方針をとったんです。

 しかし,他の民間教育団体の人たちと比べても,仮説実験授業に関わる人たちが一番超過勤務をやっています()。建前的には「授業書をそのままやればできる」のですが,実際は楽しくなっちゃって一生懸命やってくださる。

wikipedia「授業書」より ⏩https://ja.wikipedia.org/wiki/授業書


 私は初めから,「仮説実験授業は優秀な先生だけがやるのではない。日本国中で普通の先生が超過勤務をしなくても,すごく犠牲的精神を払わなくてもできるようにしなければいけない」と思っていました。だから,私は過大な要求は一切しないという方針をとったんです。

 しかし,他の民間教育団体の人たちと比べても,仮説実験授業に関わる人たちが一番超過勤務をやっています()。建前的には「授業書をそのままやればできる」のですが,実際は楽しくなっちゃって一生懸命やってくださる。

 しかし,〈一生懸命やってくださる方を基準にして物を考えない〉というのが私の立場なんです。だから,「もっと努力するといい授業ができますよ」という意見には,私はあまり賛成しない。それは,私の立場を放棄したことになるからです。

 ただ,「この授業書をやるのは私の責任でやるんだ」という責任は持ってもらわないと困ります。しかしその上で「やろうとして問題文を読んだら誤解しちゃった」というのなら,誤解した方がいけないことがたまにはありますが,誤解されるような文章を書いた私がいけないのです。

 だから私は,授業書を作っているとき一番初めは「子どもが誤解しないか」ということを考えました。でも,途中からすぐに「先生が誤解しないように」と。一番誤解するのは先生なんです()。そして,先生が誤解することが多いから「授業書を配る」というのです。

 何のために授業書を配るのかというと,書くためでもありますが,それより子どもが先生を監督するためです()。先生が誤解したら,「先生違うよ、こう書いてあるよ」「おかしいんじゃないの?先生の言っていることはなんか間違っているんじゃないの」と子どもが言ってくれる。すると,誤解の余地は少なくなりますよね。私は子どもたちを味方にして,先生が誤解しないように授業書を作っているんです。 

 一番いい授業書,素晴らしい授業書をつくるというとき,〈最も優秀な先生がやったらいい授業結果が出るような授業書を作る〉ということは考えません。そういうことを私は目指さない。私は,普通の先生が普通にやって,まあまあ間違わずに授業ができるような授業書をつくる。1割や2割間違えても大丈夫という授業書を作ることを目指しています

[ひとこと:井藤]

 「教師=ブラック職場」はなぜ?

 「学校が崩れる」『週刊東洋経済』2022.7.23号で、寺脇研さん(元文部官僚,元広島県教育委員会委員長)はこう主張しています。

●教員をふつうの勤め人と同等に扱おうとする風潮」から、企業と同じように成果を求める「教員評価制度」、「教員には意味のない報告書を出させる」「校長には教員を管理させる」→「教師の自由裁量・やりがい」をうばってきた。●

 現在の教師たちは「やりがい」をもって仕事ができているのでしょうか。板倉さんが生きていたら、どんな発言をしたのでしょうか。

 

7月17日、いいかげん教育学

 1989年8月28日の日本教育学会での講演,『たのしい授業』1989年10月号の「ガリ本図書館」34号

 教育内容もたとえば日本の中学・高校のほとんど全部が英語でしょ。タテマエとしては英語でなくともいいことになっている。なんで,こんなことになっちゃうのか?それは明治初めの東大法学部・文学部・理学部が英語になったためです。韓国語中国語をやる子どもをどうして作らないのか?「全部が同じように出世するチャンスを与えましょう」というのが単線系ですが,それは進歩的なスローガンですか?つまり,人間的に開花する教育を与えるのであって「韓国語でいきましょう,中国語でいきましょう,フィリピン語でいきましょう」という子どもが居てもいいじゃないか。......

 つまり,模倣の時代は「いいもの」が決まっているのですから,これはいいかげんじゃないです。しかし,一番先に行ったら,どっちに行ったらいいのかわからないんだから「いいかげん」でなければならない。その論理の時代なんだから,いいかげん教育学をやっていただきたい。

(ひとこと:水口)

 「単線系」ではなくて学習指導要領に縛られない「仮説実験系」というコースの学校があってもいいと思います。

(ひとこと:井藤)

 「いいかげん」とは英語で「フレキシブル」かな「イージーゴーイング」かな。ともかく、選択肢が3つあるということ。シルバー世代になって、日々、3つの選択肢の中で生きています。

 

●7月15日、最後の奴隷制としての多数決原理

   ●民主主義について考えなおす、『たのしい授業』1987.4月号

 広義では「(奴隷とは)自分自身の意志に反したことを強制的にやらせられる人間のこと」ということができるでしょう。

 いわゆる民主主義が確立した国や社会でも、狭義の奴隷が存在することがあります。民主主義的な多数決で奴隷制度を維持することがあるからです。実際にそういう社会はいくらでもあります。この例を見ても「民主主義的な多数決原理というのは必ずしもいいものではない」ことは明らかです。

 それではどうしたらよいのでしょうか。じつはそのことは昔から問題になっていたのです。そして、そのことを憂えた思想家たちは、昔から民主主義的な原理に優先するものとして〈基本的人権〉という概念を産み出したのです。

 結論的に言えば、私は〈多数決というのは、もともと少数派を奴隷的な状態に置く決議法である〉という理解のもとに、〈できるだけ決議しないということが大切だ〉と考えています。〈決議をするときは、少数派を奴隷にしなければならないほどに切実なことだけ決議しろ〉というのです。

 

●7月14日 優等生になることを拒否しつつ、自信を持って生きる

「犬塚さんの『教師6年プラス1年』ー論文集の出版によせてー」

  『科学教育研究』No.9(国土社1972年7月30日)

 優等生になることを拒否しながら、劣等感をもたずに自信をもって生きるような人びとー私が期待をかける人びとはこういう人びとである。そこで、そういう人びとはどのようにして生みだすことができるかということが私の研究の課題ともなってきた。私が仮説実験授業を提唱してきたのも、そういう主体性のある子どもを生みだすことを期待したからだということもできるだろう。

「優等生と劣等生(教育を考えなおすための小事典17)『たのしい授業』No.7,1983年10月号、仮説社

 優等生になるためには、このような自分なりの考え方をのばすことを断念して社会に順応しなければならないことが少なくないのだが、あえてそれをしないと劣等生になってしまうことが少なくないわけである。....新しい時代の開拓者はたいてい古い時代の劣等生であったことを知ることによって勇気づけられるであろう。

(ひとこと:井藤)

 由井宏幸さん(愛知)から手紙をもらいました。その最初に掲げられていたのが、上の「優等生になるのを...」です。由井さんは「自分のものさしに価値基準を置いていますが、他人の授業などに対しては批判しません」と書いています。私は「由井さんは究極の自己中だ」と思っています。感情的に他に批判的な言動をするよりも、まわりの人びとも味方に引き入れていく方を選びます。

 私が「優等生になるのを...」という言葉を初めて見たのは、ガリ本雑誌『仮説』の表紙でした。それは犬塚清和さんの手作りで100部ほど作られました。その犬塚さんのことを、指導教官だった人は「犬塚っていう男は頭もよくないし、不勉強な男だが、最近はよくやっているようだね」と言っていた(上述、板倉1972)そうです。

 そういえば犬塚さんも周りのみんなから好かれる人でした。きっと「究極の自己中だった」に違いありません。

 

●7月8日「その道の専門家」には授業書はできない

「教育の研究を専門家の手から取り戻す試み」『たのしい授業』92年4月号(2022年7月号に再録)

 仮説実験授業やたのしい授業の新しい教材,授業書を開発するには,それらの教材内容の専門家はあまり必要としないのです。 

 じつは私だって,はじめのうちは,「各分野の専門家たちが協力してくれれば,多方面の授業書が早く作成できるようになるに違いない」と考えていました。そして,そういう専門家の出現を心待ちにしたこともありました。しかし,そういう専門家はほとんど現れませんでした。

 いや,今から思うと「自分の専門知識を活かして新しい授業書教材を作ることができるような専門家」というのは,もともとほとんど存在していなかったのです。それほどまでに,仮説実験授業やたのしい授業の考え方というのは革命的であったのです。

 新しい教育内容をつくり出すには,既成の学問の専門知識よりも,仮説実験授業やたのしい授業の認識論や思想の方が必要だったのです。

 

(ひとこと:井藤)

 私は、愛知県立芸術大学で「教職(先生になるため)」の授業をしています。最初に言うことは「芸術としての音楽,美術と、教育のための音楽,美術とは違う」「[音楽,美術の専門家だから教師ができる]と思ってはいけない」です。板倉さんの話は、まさにそれです。

 私にはずっと気になっていることがあります。それは「授業書の著作権のことです。「授業書の著作権は研究会にある」というのは可能なのか。法人でない研究会に、著作権料を払うことはふつうできません。

   「Ⓒ仮説実験授業研究会」

 この話を読んで「そうだったのか」と思いました。板倉さんは

仮説実験授業の授業書作成運動をしようとした」のです。

 それが無理だったことが、1992年の講演で語られています。

    どうすればいいのでしょう。


 板倉さんが作った授業書の著作権は「板倉聖宣」にする。それ以外は、それぞれ個人の著作権にする。

さらに「授業書という形でなく[著作=本]にする

 いかがでしょう。ひそかにそう思っています。ひそかに私自身はそのように実行しています。

 

●7月5日(番外) 赤塚不二夫「それでいいのだ」

  赤塚不二夫(1935-2008.8.2) 葬儀にて「赤塚不二夫先生へ」タモリの弔辞(8.7)

 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち,これでいいのだ

(一言:井藤)

 その言葉が、そんなに重いとは思いませんでした。どうしても起こってしまったことに後悔する日々です。赤塚不二夫の心境になれるかな。

 よく似た言葉です(『赤毛のアン』より)

明日は失敗のない新しい日

Tomorrow is a new day with no mistake.

 .......このブログに3時間使った。何してんだ!......いや

これでいいのだ!!!!


●7月4日 入院して「生死」の問題を、初めて知った。

『いたずら博士の平和な未来を切り開く 地球のみなさんへの贈り物』多久和俊明編,アトム出版2017)

(2016年の板倉さんの言葉)

 ボクは入退院を繰り返したりして,きわめて「生と死という問題」も考え直して,「面白いな」と気がついたからね。オレは「生」とか「死」ということについては,ほとんど知らなかった

「生と死は,ウソで固めて世の中が出来ている」ということもわかった。そういうことは原子論の問題ともつながりがある。

(一言:水口)

  「生と死のウソで固めたもの」とは「間違った知識」のこと?

 新作のガリ本がこのウソを暴き出す知識を提供してくれるといいです。「原子論ともつながりがある」とは?聞きたいのに板倉さんはいません。

 

[板倉聖宣, 略年表]

2003年(73才) 身体異常で脳梗塞MRI検査、休息

2007年(77才) 2月脳梗塞の発作、1か月入院

2015年(85才) 2,3,5,7月「フリーメイソンの科学者たち」

  8月, 10月, 12月入院 ,11月板倉研府中に,仮説社巣鴨に

2016年(86才) 2,7月入院、会話できなくなる。10介護付老人ホームに

2018年(88才) 2月7日、死去

 

(一言:井藤)

  2016年とは、板倉さんが全く, 会話ができなくなる直前だと思います。だれもが1回しか経験しない「死」を、板倉さんでも「知らなかった」と。

 


●7月3日 真理をつかんで、ゆったりと

 1991年1月14日 北海道仮説実験授業体験講座(札幌)講演 ガリ本図書館発行『月刊選択肢Ⅲ No.4)

 人間っていうのは「真理」ー「最も基本的な真理」がわからないために変なところでケンカしちゃうことがあります。そうならないために真理を教える

 「真理」というものは全ての人が認めるものです。声高に言わなくても納得できるのが「真理」なんです。ですから,「真理」を獲得した人はゆっくり相手を説得したらいいんです。

 ところが「正義」の場合,相手に圧力をかけて威かしたりすかしたりしなければならない。私は「仮説実験授業は楽しい」というのは真理だと思っていますが,まだまだみんなが真理だと思っていません。ですから,ある人から言えば正義なんです。

 私は真理だと思っているから声高に主張しなくてもいいと思っているんです。ところが自分では「真理だ」と思って,しかも孤立感が激しいとやたらに声高にヒステリックに主張することになります」

 

(コメント:水口)

 ある学校で仮説関係の先生が授業書を研究授業でやったら,このテーマは本校の研究テーマと合わないので研修主任からクレームが来たということです。その仮説関係の先生は,予定通り仮説の授業書をやって、反省会で仮説実験授業のすばらしさを参加者に向かって声高に演説したけれども,参加者の反応は冷ややかなものだったということです。

 井藤さんが紹介してくれたU先生のやり方をまねるのが得策ではないかと思います。

 

(コメント:井藤)

 テレビドラマ『メンタル強め美女白川さん』は生き方が学べます。その「第9話」に「忍法! 自我消滅!」が出てきます。

 板倉さんの言う「真理」は感情=自我を伴いません。私は「忍法! 自我消滅!」と唱えて「真理」をゲットしたいです。

https://plus.paravi.jp/entertainment/011856.html

 

 


●6月30日  研究は、先人の研究成果を知ることこそ楽しい。

  「楽しい授業から楽しい研究へ」『科学と教育のために』1979年,季節社

 科学者というものは「自分が研究したことを発表する」のが商売だと思われていますが,本当は自分の研究したことを発表して世の中に知らせることをしている時間よりも,先人が研究した成果を身につける時間の方がずっと長いのです。

 その先人の研究成果を知ることが,ものすごくおもしろい。他人が研究した成果を受け継いで「なるほど,そうだなあ。俺は利口になったなあ」というわけです。自分で研究するより,他の人から聞いたり教わったりした方がはるかに早いですから。

 自分で研究していたら,同じ結論をだすのに百倍も二百倍も,あるいは千倍もかかったりします。その間には,絶えず失敗もするわけです。私も科学教育の研究をしますが,一番早い方法は本を調べることです。本で調べていけば,自分で実験するよりも百倍や千倍の速度で新しい知識を身につけられます。それで自分が「有能になった」という感じになれば,それはその方が早いから楽しいです。

(ひとこと:井藤)

 前回、ダーウインのことを調べていて、そのうちに「ダーウインの人生、喜び、悲しみ」が見えてくるような気がして、楽しくなりました。

 先行研究を調べて、それをふまえて自分の研究を重ねていく。なんとなく、研究者の行列の中に1人になれたような気がしてくる。そんな楽しみをこれからもたくさん味わえたらいいです。


●6月29日 冷静に勉強しない人は、正義を振り回す権利はない

 「テロと戦争の時代の始まり(板倉聖宣アーカイブズ55)」『たのしい授業』2022年6月号

  私だって正義が好きです。私たちは正義に基づかずして,何に立脚して行動できるでしょうか。考えて見れば,私がいまこういう文章を書いているのだって,私の正義感をもとにしているのです。そうでなければ,時流に合わない意見を書いて発表することなど出来ないのです。

 しかし「正義ほど恐ろしい結果をもたらすものはない」と思うから,その「正義」が「本当に正義と言えるものなのか」を冷静に多面的に検討し直してほしいのです。私はそのことをこれまで,「冷静に勉強しない人には,正義を振り回す権利はない」とも言ってきました。

(ひとこと:井藤)

 私もついカッカして正義を振り回してしまいます。そんな自分の感情を抑えたいと思いつづけてきました。しかし板倉さんは「正義に基づいて行動していい」といいます。つまり抑えることではない。ではどうすればいいのか。

「紙一重」という言葉があります。2枚の紙がほんのちょっとだけずれている。それだけで、2つの面は決して交わらない。

 「冷静」というのは、ほんのちょっと空間をずらすということかな、と思っています。心の中では怒っていても、それを表に出す出さないは冷静に考える。

 そんな「紙一重」ができるといいです。

 

 


●6月28日 「面白いことができる子」と「競争に勝てる子」

 「板倉、武谷、鶴見の鼎談」『科学と思想と教育』(ガリ本図書館 1988年発行)より

 自分自身の価値基準が「だれかより勝つ」ということ,つまり他の人より上であるということが,価値基準であるように学校教育で作りあげるわけです。たとえば,親はよく「この子には欲がない」といいますが,この「欲がない」というのは,「競争して勝とうとしない」ということで「これは困る」というんです。

 だけど「勝つことに欲がない」ということは,「違うことに欲がある」ということ。つまり「面白いことをやりたい」ということなんです。

 ところが親とか先生は,「競争試験で勝ち抜く欲」を与えようとする。だけど本当は「自分自身の価値基準が自分自身の中にあるというような子供」は,わりあい簡単に面白いことができるんです。

 

(ひとこと:水口)

  板倉さんは「わりあい簡単にできる」と言っていますが,それは「仮説実験授業などのたのしい授業で実現できる」ということです。「たのしさ」が自分自身の価値基準ということです。

 これは先生にも言えます。出世競争をしている先生の価値基準と「たのしい授業」をして自分自身も「たのしい教師」になりたいと思っている先生の価値基準は違います。

 

 アメリカの心理学者マズロー(1908-1970)は、上のような段階説を述べています。それは板倉がベンサムに基づいて書いた「幸福論」(1948)に似ています。


●6月27日 原理的に〈意欲〉がいちばん大切

       「アリがタイなら倉庫89〈原理には順番がある〉」『たのしい授業』2000.7月号

「仮説実験授業と言うのは、意欲を損なうような指導を一切してはいけない。

 討論が大事だと言うんで、「討論やれ!指名するぞ!」とやったって嫌になるだけでしょ。仮説を立てさせるために意欲を消しちゃったら元も子もないんです。それは原理です。

 原理と言うのは順番がある。源の理です。何より先に、何があるか。仮説を立てさせることより何よりも、意欲なんです。「なんとなく」「なんとなく」では討論はできませんが、「なんとなく」を言わさないために意欲がなくなったりしたら、どうしようもない。そういう順序がある。

 

 

(つぶやき:井藤)

 きんさんは、歩けませんでした。でも妹のぎんさんが、すたすた歩くことで有名になり、きんさんも「負けるもんか」と練習して歩けるようになりました。「意欲」は何よりも大切。

 

 そういえばNさんがこんなことを言っていました。

私のような年齢になると、旅行とか趣味だけではダメ。

人生には夢が必要

 「意欲」という原理を胸に、Nさんを追いかけていきたいです。

 

 「きんは100才,ぎんも100才1991CM

きんさん、ぎんさん、NHKアーカイブ人物録より 

https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0009250132_00000


●6月25日 〈授業書の思想〉が広まらないのはなぜ ?

       2006年2月「仮説実験授業の成果とは何か」(主催=石黒慎一郎、相模原)での講演。

 教育というのは,何かわからないけれども「愛情」だとかなんだとか,不可思議なことを言う人がたくさんいます。

 「教育愛で、人間相互の関係で、上手くいくのだから,授業書などあってはならない」という考えもあります。それはそうかも知れません。

 しかし実際に実験してみれば,かなり確かな先生が確かな知識に基づいて授業をやっても,下手な先生がすでにできた授業書でやった方がずっといい授業になるという実績がある。まだそれはなかなか認めてもらえないけども,仮説実験授業はそういうことを確かめてきたのです。 

 今でも仮説実験授業がなかなか評価されないのは,「〈授業書を使っての指導〉がほとんど認められていない」ということにあります。仮説実験授業研究会以外には,まだこの〈授業書の思想〉が出てこないのです。

 

●6月24日 問題なのは「戦争、平和に関する独裁者」      2006.1冬の大会講演

                        『板倉聖宣 2006 講演集 確かな誇り』  (犬塚清和編集 ガリ本図書館) 所収

 普通の人が独裁者になるのであり,独裁者になると普通の人がおかしくなってしまって,おかしなことが起こるのだ」という教育をしなければ,独裁者を排除することはできません。日本の総理大臣だって特別におかしいわけではないのです。だんだんおかしくなってきていますが,郵政民営化を強引に進めたからと言って独裁者じゃないですね。「郵政」なんて,そんなことはどうでもいいのです。問題なのは「戦争と平和に関することで独裁者になる」ということです。

小泉内閣(2001-2006) 小泉純一郎(1942-)80才,(井藤絵)


●6月23日「君たちは芸術家なんだねえ」

 1964年頃の話

        「ルクレチウスの翻訳によせて(回想の国分一太郎2)」1964年頃の話、資料提供森下知昭さん

     『人権と教育』(1987.6月号、社会評論社)より

  .........私のほうからお願いしてルクレチウスの『宇宙を作るものアトム』という詩を大胆な現代語訳にして頂いたのです。........ところが、それから大分たってから、国土社を通じて「このルクレチウスの詩の中身は間違っているのではないか。そんなものをそのままにして置いていいのか。書き直すとしたら知識が足りないし」といった話が伝えられてきました。文学者の国分さんは「科学の本というのは間違ったことを書いてはいけないものだ」と心配していたのでした。そこで、早速またお会いして「科学というのは大胆な空想から始まるものであること。特に目に見えない原子のことを研究するには大胆な空想が必要で、大筋が正しければ、いくらでも間違っていてもいいこと」を説明しました。........

  (平林さんの仮説実験授業を見て)国分さんは「子どもたちは間違った議論をしていたように思うが、あんなときには教師が指導して討論の方向を変えさせなくてもいいのか」と質問されました。(板倉さんが説明する) ............「いやー、君たちは芸術家なんだねえ」と大変感心されたことを覚えています。そこで私のほうも、「斎藤喜博さんよりも国分さんのほうがずっと柔軟な頭をしているな」と思ったものです。

wikipediaより、国分一太郎(1911-1985)、日本の教育実践家、児童文学者、国語教育、とくに作文教育(生活つづり方)の実践家・理論家。

● 昨日の「6月22日、格言ー仮説実験授業のために」が書かれたのも仮説実験授業ができた頃(1966年)です。当時の状況を国分一太郎さんの一言(1964年)から読み取れます。(井藤)

 

[全文は、下からダウンロードしてください]

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板倉_ルクレチウスの翻訳によせて.pdf
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●6月22日「格言--仮説実験授業のために------        子どもたちの過ちは無知のためではなく、賢いためだ」

(『仮説実験授業研究8』1966.12.25発行) 仮説実験授業についての覚え書(1) [『科学と方法』1969季節社に転載]

 子どもたちが何か誤った判断を下したら、それは彼らの無知のためではなく、彼らがかしこいためであることに、留意せよ。

 彼らがまちがえたのは、何かそこに、彼らの判断をまちがえさせるような事情があったからだ。彼はかしこいが故にその〈事情〉に注目し、そして、まちがえたのだ。

 その〈事情〉に気付けもしない愚か者と、その〈事情〉の背後の事情までも見通した賢人とだけが、まちがわずにすむのだ(馬鹿と天才は紙一重なのだ)。

 だから、子どもたちがまちがえたら、彼らを笑ったり、叱ったりするのは、もっとも愚かなことである。彼らがなぜまちがえたのか、その理由が教師に分からないとすれば、少なくとも、その子どもは、その理由を知っているということで、教師より知恵者なのだ。

 だから、そのようなとき教師は、彼らから学ばなければならない。彼らがどんな経験をもち、それらの経験をもとにどんな類推や想像をすることができたか、そのことを知らねばならぬ。教師の発問そのものが二義的にとれるようなときだって少なくないのだ。

 教師が子どもを笑ったり叱ったりするのは、まことに愚かなことだ。しかし教師の教師たらんとする者は、そのような教師を笑ったり叱ったりすることができないはずだ。教師の教師も学ばねばならない。

       [一方的な授業]                          [たのしい授業]

●「どうして教え込みの授業しかできないのか」と思う。地域での日本語教室で、一般のサラリーマンだった人たちに授業を頼むと、必ず教え込みになるのだ。

 仮説実験授業が立ち上がったとき板倉さんは、上の言葉を「格言1」にした。「新しい授業」の誕生である。(井藤記)


●6月20日 「たのしい授業」の思想

 勉強はたのしいものか、くるしいことか、いやなことか

        『仮説実験授業研究8』1966.12.25発行) 仮説実験授業についての覚え書(3)

        『科学と方法』1969季節社に転載

(0) 知は力なり。科学は想像し未知にいどむ意欲を与える。新しい知識を仕入れるのはたのしいことだ。しかし、あとで役に立たない知識を身につけるのは空虚でたのしくない。できるだけ広くつかえる知識を知る方がたのしい。

(1) 個別的な知識でも、うんと役に立つ知識はたのしい。ーーたとえば、字をおぼえる。よくでてくる漢字をおぼえるーーこれらはみんなたのしい。しかし、これを誤解して、たいして話題にならない動植物の名前をおぼえさせようというのはマイナスである。

 自分のもっている知識が実用にならないと知識・教養をひけらかすようになる。

 

(2) 個別的な事物の知識よりも、より一般的なもの、事柄を通じて予言性のある知識の方がずっとたのしい。それは役に立つだけでなく、自分で自分の知識を拡げるという、夢のある想像性のゆたかな頭(心)のはたらきだからである。「こうだろう」と予想してあたるようになる知識は夢ゆたかだ。

 それが童話の反覆する話となって、まず幼児にあらわれる。ポチとかペスとかラッシーではない「イヌ」の概念ーーこれははじめてみたイヌにも使える。「ねえ、あれもイヌだね」「イヌがきたよ」「あれはネコだね。イヌではないね」こういう会話がつづく。

(2') しかし、これらは直感から出発し、直感内でうまく処理できる概念である。イヌとネコとの違いを定義的に明らかにしえなくとも、たいがいは区別がつく。

(3) しかし、科学上の概念となると違う。重さの概念、花の概念などは直感的常識をうらぎってまでも一貫して真実を予言する力をもっている。たんなる直観的な想像のよろこびをこえた、論理的な想像のよろこびがはじまる。直観の巾がひろがるといってよい。

 これまででよりはるかに大胆に予想し、未知のことを知ろうとするようになる。(1966.9.19記)

 西村さんの話です。「高齢者の皆さんは[旅行に行く]とか[趣味を持つ]とか言うけど、それだけではダメ。なにか[夢]がないと、生きる希望につながらない」

 板倉さんは18才で「幸福論」を書いた。そこからこの話へ、そして我々の「幸福論」に繋がる気がする。

 


⚫︎5月21日 「1時間でも感動的な授業があればよい」

 仮説実験授業では「人間というものは、実にいろんな人間がいて、いろいろな人間が社会を作っているんだ。俺だって捨てたものではない」ということに感動するんです。「わからない、わからない」と授業中に言っていた子がクラスの子どもたちにとっても役立ったり、ふだんガリ勉している子どもが役立ったり、いろいろな子どもの活躍に目が向くようになります。

 よく劣等生たちが優等生のことを「あいつガリ勉しているからバカだ」とか「けしからん」とか言ったりするけれども、「やっぱりガリ勉する子どもは素晴らしいんだ」ということも認めるようになってほしいし、優等生には「勉強なんか全然しないで、暴れてばかりいて、変なことばかりやっている連中も素晴らしい」ということも感じてほしいと私は思うのです。......「1時間でもあればすごいではないか」「数年の中に1時間しかなかった」かもしれないけれども、そういう思いは強く心に残っていくのだと思います。(紹介は笠井)

 「科学とヒューマニズム(私の教育原理)」『1板倉聖宣セレクション いま民主主義とは』仮説社 pp.183-202

⚫︎5月18日 「ある発見を評価すること」の意義

 ある発見を評価するということは、その発見をなしたことと、少なくとも同じくらい価値がある。

             『汚れた手』の筆者である峰尾秀之さんのあとがきより。

⚫︎5月15日 極端な民族主義は正義の主張を伴う

 日本がく大東亜戦争〉に突入したのも,極端な民族主義の普及による,と言っていいと思います。自分の国の民族主義だけではありません。「ほかの国の民族主義をあおるようなこともしてはいけない」と思います。

 ドイツにヒトラーが現れたのも,ドイツだけの責任でなく,近隣諸国がドイツを苛めすぎて,ドイツに国家主義的な感情を高めることになったと思うのです。

  その点,いまの日本の状況は,「悪い方向に向かっている」と言わざるを得ません。「愛国心」などというものが強調されるようになってきているからです。愛国心などというものは自然に育つもので,それさえ危険なことがあると思うのです。最近の北朝鮮苛めも,同じように心配です。いくら相手に悪いことがあっても。苛めれば苛めるほど,相手の国家主義を高めることになるのが心配になるからです。 

  第二次世界大戦までは.各国が民族主義を煽りあった時代とも

言えます。しかし,戦後は長く平和な時代が続き,国際主義,平和主義,ヒューマニズムが普及してきました。私たちは,その考え方をさらに普及して,極端な民族主義の普及を阻むことが大切だと思うのです。

 〈極端な民族主義〉は「正義」の主張を伴います。正義が好きなのはいいのですが,「これからの正義は,国際主義,平和主義,ヒューマニズムに基づいたものでなければならない」ということを教えることが大切でしょう。                                       『たのしい授業』2007年3月 No.320

 

⚫︎5月12日 数学とはイメージを描いて創造すること

 イメージの数学があるんだな。イメージの法則があるんだよ。それは、計算にかからないから数学で扱わない。「どうしてオレの考えているようなことは数学で扱わないのか」と思ったら、今の数学というのは、なおかつ計算なんだ。

 ボクの数学は違うんです。自然科学なんかでは、はじめは法則がわからないんです。わからないけれども、数の関係が出てくる。そういうわからないところから法則を出すわけです。

  たとえば、光が水の中に入って屈折する。この角度の関係を測ってグラフにかくでしょ。その式がわからない。だけど、わからなくても物理屋さんは関数だと思う。何かの法則があるはずだと。結局、右のような式になる。すごく変な式でしょ。

 自然科学者はわからないものを関数にする。その関数を探すことが仕事なんだね。今の数学の連中は「先に数学ありき」になっちゃっているからね。小倉金之助なんかは、物理学をやったりいろいろなことをやっている人だから「社会現象だって関数がある。何かの法則があって関数がある」と考える。例えば「恐慌が来たり来なかったりするのも、まだわからなくても何かの関数で表現できるはずだ」と考える。

〈だいたいの法則〉が数学教育からぬけてしまった。小倉金之助たちの「数学教育の近代化」は「自然科学・社会科学と数学とを結合させる」という考え方なんです。

  板倉談、井藤編「だいたいの法則,1988.10.22仮説会館編集会議にて」

                                                  『たのしい社会科学の創造』(1989.4.28西尾仮説の会,200部)

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板倉談「数学とは何か」(「だいたいの法則」1988.10.22仮説会館編集会議にて)
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⚫︎4月26日〈学習意欲低減の法則〉と〈学問の有効性〉

 私自身が提唱した法則なのですが「学習意欲は、そのことに関する教育が普及すればするほど必然的に低下する」というものです。....「オレが英語を勉強しても役立つことがあるのかな」などと思ったりしたら、学習意欲なんておこるわけないですよね。....こういう現実に対して、反対するにはどうしたらいいかというと、それには教材を通して、学問の有効性、〈学問には学びがいのあるものがある〉ということを早くから教えることです。学問には〈序列など関係ない〉ということが十分実感できるように価値の多様性を教えること、それ以外には、この状況から脱出する手はない、と私は考えます。....「こんなことは勉強したくない」という子どもがいたら、私たちはまず「そういう子どもはすばらしいのではないか」と考えなければいけないと思っています。それで、私たちは研究をやりかえるのです。....私は、評価というものは「もっとも下らないものは評価してもいいが、一番大切なことは評価をしてはいけない」と考えています。

 板倉聖宣「教育評価を考える」『(たのしい授業増刊)たのしいテスト・評価ハンドブック』1998年11月, pp.39-42

 

⚫︎4月25日「不勉強は罪になる」

 〈人間として豊かに生きたい〉と思ったらそのように生きられる」なら簡単です。しかし未来が見えなければ,目の前のそれぞれの現象にいつでも心を惑わされてしまう。目の前の現象だけに振り回されていたら絶対に豊かになれません。〈目の前に起こった現象に対して心優しくつき合っていればこの世を豊かに生きられる〉と思うのは,そうとう甘ったれの人です。

 これまでは甘ったれの人が善意だけで生きていっても許されたところがありますけれども,社会が大きくなり,教育への期待が大きくなっている今日では〈不勉強でいること自体が罪になる〉と私は思います。

              (板倉聖宣講演集『たのしさからの出発』1994年,ガリ本図書館)

 

⚫︎4月7日「間違いを恐れるな」「思い違いをしてもいい」

 思い違いの科学史」とか「失敗の科学史」などというと、とかくその思い違いをしていた人びと、失敗をした人びとがバカやアホウに見えてしまう。天動説と地動説、燃素説と酸化説、熱素説と熱運動説、天地創造説と進化論--こういった歴史は、善玉と悪玉の歴史、あるいはバカとリコウの物語として書かれるのが普通だった。「こんなバカなことを考えて失敗したやつがいる」「こんなとんでもない思い違いをしたやつがいる」「そこにすばらしい天才が現れて、ものの見事にその失敗・思い違いのタネを明かした」というのである。こういう物語を読むと、私などまったく委縮してしまう。私なんか、いつもとんでもない思い違いをしていて、たえず失敗してこっそり顔を赤くしていたりするものだが、それを公然とバカ扱いされたのではやりきれない思いがする。そんな話が横行するものだから、「みなさまのご指導よろしきを得て、大過なく過ごさせていただき、感謝に耐えません」などという文章を、何の疑いもなく書いて平気な官僚的人間がうようよするようになるのだ。「大過なく」が、重要なのではない。「大した功もなく」が問題なのだ。

 未知のことに取り組んで新説を立てようとすれば、失敗することは免れがたい。だから、「創造的に考えることを奨励する」ということは、「間違いを恐れるな」「思い違いをしてもいいんだよ」と奨励することでなけれぱならない。「昔は、こんなばかげた思い違いをしていた人がいる。そんなばかげた思い違いをしてはいけないよ」といった教訓話はあとでよい。

 「この人たちは、未知の問題に取り組んだからこそ、こんな失敗もしたのさ。歴史に名の残る人だってこんなとんだ思い違いをしているのだ。だから僕たちが失敗したって仕方がないじやないか」--そういって人びとを励ましたい。    

 板倉聖宣「落下速度は距離に比例」青木国夫他『思い違いの科学史』(朝日新聞社,1978) p.122

 

⚫︎3月23日「世界の国々に目を開く、可能性と社会問題」

 明治初年自由主義的だった文部省が教科書統制に着手したのは1880(明治13)年のこと。士族の反乱が西南戦争で終った後,さかんになった自由民権運動に対処するためだった。

 そこでまず文部省は,世界の国々にはいろいろな政体の国があることを記した教科書の使用を禁止した。「君主国のほかに共和国という国がある」と記してあるだけで使用禁止。「共和国の方がいい」と書いてなくても選択肢が見えること自体が危険思想というわけ。 

 世界の国々に目を開くと,いろいろな可能性と社会問題のむずかしさとが見えてくる

(板倉さんが『たのしい授業』1984年10月号 No.19の「はみだしたの」に投稿した文)