3月31日 未来に託すこと

 板倉聖宣(2011.10.28)松飛台第2小講演「未来の科学教育を現実のものに」『会員レポート』2021.6月号, 日吉仁

 今「仮説実験授業の認識の仕方を全国民のものにする」という研をしています。そういう事によって、日本人、いや地球人全体が賢くなる道を拓く。「未来」がやってきて、そういう未来になれば、明るくなるのではないか。そういう時代が来なければ、強引に仮説実験授業を現実化しない。

 みなさんのその未来に少しでも仮説実験授業を取り入れられることを願っています。

(ひとこと) 「仮説実験授業の認識の仕方」とは「仮説実験的認識論=何をするにも仮説実験」。

     伊藤善朗さんの歌が好きです。「何をするにも仮説実験、なんとなくばっかりでもまた実験」

 

3月26日 「乗り越えようとしたらダメになる」

 板倉聖宣(1991.12月)『月刊発想法ゼミナール』2, ザウルス出版,平賀,1992.4

 自分より素晴らしいと思う人たちを「乗り越えよう」としたら、たいがい乗り越えられないそんな根性は、その人と同じ方向に行くんですからバカらしい

 だれも行っていない所に行けば、乗り越える必要がない。新しい仕事が開ける。考えてみたら「万里の長城より、はるか10倍も行っちゃった」ということになる。

 他人を意識しすぎると、ダメなような感じがつくづくします。

3月27日 おもしろいことの発見の仕方がうまい人と付き合う

 板倉(1991.12月)「乗り越えようとするとダメになる」『月刊発想法ゼミナール』2, ザウルス出版,平賀,1992.4

 やっぱり「おもしろいことの発見の仕方がうまい人と付き合って、そこから問題を分けてもらって、おもしろいことをやっていく」ということが大切です。

 「この発想いいな。こういう考え方はいいな」と思っているうちに、だんだんと自分もできるようになる

 ぼくは、『仮説実験授業〈バネと力〉によるその具体化』は、ニュートンの『プリンシピア』を真似して書いた。『ぼくらはガリレオ』は、ガリレオの『新科学対話』『天文対話』を、はるか凌駕する工法を開発して書いた。私は「そういう人を越えよう」と考えたことはない。「何分の一か、何十分の一かできればいいな」と思ってたけれど、振り返ってみると「多くの点で越えたなあ」というふうに思います。

(ひとこと) あこがれて、その人を「1乗り越える」と「2うまく付き合う」とは、「似て非なるもの」のようです。

 

2月20日「啓蒙」は、おすそ分け

 板倉聖宣(1990.10月)「啓蒙はいけないのか」『月刊発想法ゼミ』98/99, ザウルス出版,平賀,1999.6

 ぼくが「啓蒙」と言うときは、〈はじめから知っていることを、人びとに知らせよう〉というんじゃないんです。〈ぼく自身がやっと分かったから、みんなにもおすそ分けしよう〉というわけです。教育では、昔から知られている真理を教える。それは啓蒙ではない。

 18世紀のルソーのような啓蒙主義者も「自然法の概念」がやっとのこと分かったんです。それで知らせた。ぼくの啓蒙と同じです。

(ひとこと) 退職して、もう「教育」ができなくなりました。でも「やっとのことわかったこと」を、「近所の人に啓蒙する」そんなことを死ぬまでやれたら、最高に幸せだろうな、と思っています。

 

2月14日 親切とおせっかいはどう違うか、恋人の日

 板倉聖宣(1990.10月)「自由に発想する法」『月刊発想法ゼミナール』1, ザウルス出版,平賀,1991.3

〈親切とおせっかい〉は、実験の結果で決まる。つまり、相手が親切だと思ってくれれば親切なんです。私がどう思おうと相手が「おせっかいだ」と思えばおせっかいなんです。

 それでどうしたらいいか。いつも自分がやるときに〈これは親切か、おせっかいか〉という仮説を立てる。すると、大体分かる。

 問題なのは「おせっかいだ」と言わない人がいる。そういう人が本当に「おせっかいだ」と思ったら、どういう言動をするか、そこまで考えなきゃ。人間って複雑だもんね。

(ひとこと) 愛ってなんでしょう。「心に愛がなければどんな言葉も相手に届かない」というけど。ひょっとして「愛=仮説を立てて考えること」かもしれません。

 

2月15日 親切なことを一切しないと完全に孤独になる

 板倉聖宣(1990.10月)「自由に発想する法」『月刊発想法ゼミナール』1, ザウルス出版,平賀,1991.3

 人間っていうのは、人には親切にしたいわけ。それを「おせっかいと思われるから、親切なことも一切しない」というようにすれば、完全に孤独でしょ。それは寂しい寂しいから親切にしたいわけ。

 つまり「こうしたらいいだろう」と思って発想する。そして言ってあげる。「よけいなことは言うな」なら、「ああ、そうか、こういう場合はいけないな」と考える。これは、やっぱり負けなんだから、しかたがない。せめて「いいよ、いつかわかるから」とか(笑)。そういう態勢ができれば人間関係はうまくいく

(ひとこと) 友人や家族との強いつながりを維持している人が長生きする傾向にあることは、以前から言われていたことです。私は、今までの仮説サークルや自然塾関連サークルには、できるだけ出るようにしています。

3月21日 世の中は単純だ=イコールの日(equinox春分)

 板倉聖宣(1995.10月)「板倉式発想法の核心」『月刊発想法ゼミナール』94, ザウルス出版,平賀

 ボクの発想法の大きな一つは「世の中は単純だ」ということです。頭のいい人はみんな「世の中は複雑だ」と考える。「複雑な問題」を「複雑に解こう」というんだから解けません

 ボクは「江戸時代の前半は発展期だよ。後半は停滞期だよ」と非常に明確にしちゃうのね。

 

(ひとこと)  どうして板倉さんは「単純だ」と言えるのか。

 山崎敏光さんはこう言います。....「板倉さんの教えは一口で言えば[すべてのことを疑え]ということです。常識というものにとらわれるな。自分の頭で考えろ。そういうことに尽きると思います」「ありがとう板倉聖宣」『たのしい授業」2018.4月号

 

3月9日 サンキュー板倉さん

 板倉玲子「私の一生は、はてしない幸福の連続でした」『たのしい授業』2018.4月号

 何度目かの入院の時に,ベッドの上に「遺書」と書かれた紙がございました。見ると,書き出しが「私の一生は、はてしない幸福の連続でした」と読めました。そのあとは読みづらい文字と文章になってしまいましたが,その一行を見て私はよくわかりました。主人が皆様とご一緒に,皆様の助けを得ながら研究をずっとやりつづけてきたこと,自分のそういう研究生活とその結果に,主人がとても満足し,そして,皆様方にとても感謝をしていたんだな、ということが,その書き出しの一行でわかりました。そのことを今,皆様にお伝えいたしまして,改めて主人になりかわりましてお礼を申し上げます。

3月11日 悪いと思っているのはひとりだけ(みんないい日)

   板倉聖宣(1990.6)「常識と非常識」『月刊板倉式発想法ゼミナール』1,  1991.3.15ザウルス出版,平賀

  かなり悪口的な感じで「あいつイイカッコして」という人がいる。みんなも「嫌な奴だ」と思っているかというと、そうじゃない。

 ぼくは「声なき声」というのが好きなんです。「ほとんど自分と同じである」「自分が何かを言えば喜んでくれる人がたくさんいる」ということがわかったとき、大胆になれます。少なくとも孤独感を持たなくてすみます。つまり自分と違う人間というのは、ほとんどいないのです。

 結局、他の人が怖いからいいものも「いい」と言えないし、悪いものも「悪い」と言えない。人の和もあるしね(笑)。「声なき声」をきちっと読み取る。これがうまくできると、自信を持った生き方ができるようになるはずです。

(ひとこと) 仮説実験授業で「感想文をとる」というのは、そういうことかな。「果報は寝て待」てばいい。

 

3月18日 常識が多数のときは、そーっといく(みんないやの日)

  板倉聖宣(1990.6)「常識と非常識」『月刊板倉式発想法ゼミナール』1,  1991.3.15ザウルス出版,平賀

 『歴史の見方考え方』のように、反常識的なことを書いた場合には、常識派は圧倒的多数です。悪意のある奴が「江戸時代の農民が米を食っていたなんて、ケシカラン」「板倉は悪い奴だ」と宣伝し、攻撃を始めたら僕はどうしようもないです。

 だから僕の戦術は〈誉めてもらえなくてもいい、悪い奴だというレッテルを貼られないこと〉なんです。「悪い奴」とレッテルを貼られると、普通の人が僕の本を読めなくなるんです。

 昨日、国立教育研究所で私の還暦祝いのパーティがありました。前のセンター長のときは20人くらい集まったのかな。僕の番になって「集まらない」ということになったらみっともないし、気にしていたわけです。

 実際、45人集まりました。女性がすごく多いんです。研究所の女性が全部集まっちゃった。会計課や庶務課、お義理でなく来てくれている。それほど元気ではないけれど「板倉さん、いいこと言ってくれるな」と思ってくれる人がたくさんいる。ぼくの支持者が多いとわかるから、僕はなんでも言える。

(ひとこと) 板倉さんのような人が、本当の「戦略家」かもしれません。

 

3月14日 円周率の日、大衆のものとなった3.14

 板倉聖宣「2種類あった江戸時代の円周率〈3.16〉と〈3.14〉のなぞ」『たのしい授業』2009.10月号, 92ぺ(24)

 江戸時代には、円周率が「3.14」か「3.16(√10)」か、という議論が続きます。円周率のことを見ても、日本の数学は、江戸時代の最後まで「誰でも納得のいく学問」になっていなかったのです。江戸時代の数学者たちは、最後まで「すべての人びとを完全に納得させよう」と一生懸命にならなかったと言えるのです。

 日本の円周率は、明治維新後、古代ギリシアの数学を全面的に受け入れるようになってはじめて「誰にでも納得のいくもの」になったのです。

(解説)板倉聖宣

 新潟県魚沼市大沢にある「科学の碑」には、右のような文章が刻まれています。ふつうこうは言いません。「仮説・討論・実験を経て、真理となる」と言っても、「大衆のものとなって、はじめて」などとは言わないのです。その碑に、ことさら「大衆のものとなって」と刻んであるのは、これが科学教育の仕事をしてきた私の書いた文章だからです。科学者たちによって発見されてすでに「真理」と見なされるようになったものでも、それが「大衆/庶民のものにならなければ、真理と見なさないほうがいい」と私は思うのです。(⏩右の写真は「板研情報局」より

 

「科学、それは、大いなる空想をともなう仮説とともに生まれ、討論・実験を経て、大衆のものとなって、はじめて真理となる」


3月11日 あわてない日、大震災でも

 「ものごとにあわてるな」『尋常小学修身書, 巻3』昭和11(1936)年刊行

11 ものごとにあわてるな

 ある日、しづ子の家では、おばあさんと、しづ子と、それから5つになる妹と3人が夕ご飯を食べていました。すると、にわかに「ごー」という音がして、家がひどく揺れ出しました。「これは大きい地震だ」と思ったが、逃げ出す暇もなく家が倒れて、みんなその下敷きになってしまいました。しかし運良く3人ともケガはありませんでした。妹は、おばあさんにすがりついて泣き出しました。あちらでもこちらでも助けを呼ぶ声が聞こえてきます。

しづ子は、まずおばあさんも思うとも無事であることを確かめました。それから這って行って、みんながぬけ出すすきまを見つけました。

 そのとき、ふと見ると、家の中に火事が起こりかけている所があります。「これは大変だ」と思って、急いでおばあさんと妹を連れて、見つけておいたすきまから這い出ました。「おばあさん、ここでちょっと待っていてください。私は火を消して来ますから」と言って、裏の井戸の水をバケツにくんで火の上にかけ、とうとう火を消してしまいました。

 しづ子は、もう大丈夫と思ってから、おばあさんと妹とをあぶなくない所へ連れて行きました。もし、しづ子の家から火事が出たら、すぐ隣の学校にも燃え移り、その先にある風下の20軒ばかりの家も、みんな焼けてしまうところでした。......

(一言)  2011年3月11日、東日本大震災。1995年1月17日、阪神・淡路大震災。

 上は、1923年9月1日の関東大震災後に、教科書に載せられた話です。『尋常国語読本』の「稲むらの火」も同様です

 私は、すぐパニクります。特に、だれかの発言に対してです。そこで「わ・せ・だ / KOはだめよ」という合言葉を作りました。「笑う/席を立つ/だまる」「(相手を)KOしてはだめ」です。それでもそれでもパニクります。「いつも心にしづ子」ちゃん。

 

3月6日 三郎の日、「よく考えなさい」といわれると思考停止

 竹内三郎「3月、よく考えなさいと言われると考えたくなくなる」『負けてうれしいカレンダー』

                                    仮説社2022.12.16

「号令で思考停止」の法則

 実は、「よく考えなさい」という号令では、多くの人の思考は停止します。「わたしが考えても無駄だ」ということに気がつくからです。...

 見たい・考えたいと思わないことについて「見なさい」「考えなさい」というのは人権侵害かもしれません。しかし幸いなことに、たいていの人はボーッとすることによって自らの権利を守るようです。

3月3日 たのしい授業の日

 板倉聖宣のことば、犬塚清和「自然体で行くの巻浮浪清兵衛その1」『たのしい授業』2002.10月号

 私たちが「たのしい授業を子どもたちとすること」は、「私たち自身の人生を豊かに生きること」です。

 

(一言)『たのしい授業 創刊0号』は1983年3月3日です。片手に一冊、春の日差しの中で。

3月2日 「文化的特権の魅力」vs「覚えやすい教育」

 板倉聖宣「読むことの教育の復権を」『たのしい授業』1986年5月号

 何時の時代にも, 特権階級の多くの人々自己の特権を維持しようと努力します。 一度複雑な文字や言い回しを覚えてしまった人々は,言葉や文字や表記法をもっと便利にする工夫に反対します。 

 しかし,文化を少しでも大衆化しようとした人々, 教育にたずさわる人々は必ずしもそうではありませんでした。

 教育者は一方では文化的特権階級の一部であって, 特権階級の威厳を示すためにも「毅然とした教育」を守って, その文化的特権の魅力を維持しようと努めました。 

 しかし, 教育者は一方ではまた生徒の味方でもあって,覚えやすい教育」を目指して平易な文字・言い回し・文章を開発しようと努力しました。 そしてその結果として片仮名や平仮名が発明され,五十音の法則や文法なども発見されるようになったのです。

(一言)

 山本正次(1913-2001)  という国語教師を思い出します。「北海道室蘭市生まれ。幼いころ両親を亡くす。1933年大阪・天王寺師範学校卒。1947年私立帝国学園(中・高。守口市,現「大阪国際中学校・高等学校」)に勤める。1953年私立四條畷学園(小)に勤め、1976年まで教師を続ける。芦田恵之介の「恵雨会」、「日本作文の会」等に参加。授業研究の会を主宰。仮説実験授業研究会会員。大阪国語教育連盟委員」 山本正次著『国語の授業 きく・はなす・よむ・かく(やまねこブックレット)20156月、仮説社より

 

 

2月29日 オリンピックの日

 吉田秀樹「古代オリンピックが始まったきっかけ」『オリンピックと平和』2012. 仮説社発行

 古代オリンピックが始まるきっかけ.............それは「戦争をやめさせるためだった」といいます。

 古代オリンピックが始まる前、オリンピアの周辺の地は、ポリス間の戦争にあけくれていました。...その状況に見かねたオリンピアのあるポリスの指導者イフィストは「何とかしたい」と思いました。...〈神にささげる競技会〉を復活して「殺し合い」を「競技会」にかえることを思いついたのです(BC776)。

(一言)

 ウクライナでの戦争が続きます。2024パリオリンピックまでには終わって、世界中の人々の競技会が開催されますことを。

2月28日 たなをつって、ぼたもちを待つ

 板倉聖宣「楽しい授業から楽しい研究へ」『科学と教育のために』1979年,季節社

  ある研究テーマを思いついても,そのときすぐにその研究を本格的に始めなくてもいい。たまたま、いい資料が手に入ったときに本格的に研究をはじめようとすればいい。 古本屋には、研究テーマを10くらいもっていく。そうすると2倍ぐらいの労力で10の資料が集められる。

 間口を広くしていろいろの研究テーマを設定しておくと,ガリレオに関する資料を一生懸命探していい本がみつからないときでも,沢庵和尚に関するいい本が見つかっちゃったということがある。そうしたら,沢庵和尚の方から先に研究すればいい。

 研究のテーマはできるだけ大きなアミを張っておく。張るだけなら,自分はがんばらなくてもいい

 

2月27日 「押しつけの時代」を終わらせるために

 板倉聖宣「続刊の言葉にかえて」『たのしい授業』1990.3月号

 オチコボレの学生は「自分はオチコポれている」という確信をもっている。だから逆に言えば,それをうまく転換できる方法を考えればいい。

 もしかすると「オチコボレ高校生のための授業書」が開発できるかもしれない。これは絶対に,程度の高い授業書を作るんです。

 オチコボレ高校生は「受験に関係ない」という強さが発揮できる。ゆっくりでもいいし,速くてもいい。教育課程なんかいっさい無視してもいい。かなり程度の高い,特殊なことをやってもかまわない。

 たとえば,1年間「お金学」ばかりやってもかまわない。この高校生たちは、お金学については,大学の卒業生たちよりはるかに権威になる。「オレたちには誇りがあるぞ」ということになる。まんべんなく教えるというのは,必要ない。

(一言)

 聞くところによると「金融」関連の授業が社会科で行われるようですが「投資」について授業をしたら視聴率が上がるのではないかと思います。ぼくは理科の先生なので社会科の授業はできないのですが,総合的な探求の時間にできるかも知れない。

 

2月25日 教師の変革と仮説実験授業

 板倉聖宣「序論 人間を変革するという言葉──みずからを変革する機会を与える授業」

  『子どもの変革と仮説実験授業』(明治図書1968)より

 私たちが提唱している仮説実験授業は,もともと人間を変革しようとして仕組まれたものではないのです。私たちは,子どもたちが教室で自分自身の頭をおもう存分はたらかせながら,本格的な科学を楽しく学べるようにと,科学教育の内容と方法とを全く新しく作りかえて「仮説実験授業」というものを生みだしてきたのです。ところが,その仮説実験授業をすすめてみると,多くのクラスで,クラスの雰囲気や子どもたちの考え方や,さらに教師の考え方までが大きく変わってきたことが認められるようになったのです。もちろん,これは私たちにとって不本意な出来事ということはできません。子どもたちや教師たちは,この授業を通じて「自らその性格,考え方を変えるようになった」のであって,この授業によって「無理やり変革させられた」のではないからです。

(一言)

ぼくが若いころに流行した教育理論に「子どもの変容」という言葉がさかんに使われていました。その授業で子どもがどうかわったかということが,授業研究のテーマでした。しかし,板倉さんのこの言葉を読むと,こどもがいかにその授業で無理やり変わらせられたという押し付け的な雰囲気が研究授業にはあったような気がします。

 それは,いま盛んにおこなわれている「探求学習」でも授業者に要求されていることではないでしょうか。研究授業の反省会では,今日の授業で子どもたちの探求的な態度がどのように育ったのか,ということが話題になっていると思います。

 しかし,問題の内容と配列が適切で授業の中身がたのしければ,子どもたちは自ら探求的な姿勢になると思いますが,そういうものがない授業では子どもたちは「無理やり変革させられた」という後味の悪い授業になってしまうような気がします。(水口)

 

2月23日(できない人から学ぶ日,松本キミ子祭)

人の意見に耳を貸し

●他人の智恵も使って考える●  板倉聖宣『発想法かるた』1992.4.10

 自分でも予想・仮説を立てたら、その結果が心配になって、その問題についてあらゆる意見を聞いてみたくなるものです。いろんな考え方を知って、自分の予想・仮説を検討しなおすのが最善の道だということがわかってくるのです。自分で予想・仮説を立てると、謙虚になって、他人の意見に耳をかすことができるようになるのです。

(記念日の由来)

 松本キミ子(1940-2022.2.23)の記念日。右は、板倉聖宣さんが「かぼちゃ」を描いた過程が本になっている(1986.11.30ほるぷ)。

 職場で「人の意見に耳を貸す」のは、意外と難しい。そんなとき竹内三郎さんは「〈足は何本?〉を意識してみるといい」「あの人は爬虫類かな、鳥類かなと考えて、職場を動物園だと思うと、多様性が楽しめる」と言う。何才になったら、その心境に達せられるのだろうか(井藤)。

 

2月11日(模倣と創造の日)まねの限界が独自性

  ●独自性とまね●      板倉聖宣『発想法かるた』1992.4.10

「あの素晴らしい人の作品の真似さえできれば満足だ」と思っても、なかなか全部を真似することはできません。どうしても違う考え、違う雰囲気が出てしまうのです。そして、それがはっきりしてくると、それがその人の持ち味で、それがその人の主体性の証であり、独自性であることがわかります。

〈見てくれの主体性〉を主張しないところにこそ、本当の主体性が出てきて、創造性をうみだすのが普通なのです。本当に真似るに値するものを発見したら、とことん真似してみることがいちばんなのです。

(記念日の由来) 裁判で著作件が守られたことを記念する日。模倣の重要性と創造を考える日を定めた。1981年のこと(竹内三郎『負けてうれしいカレンダー』2022.12.16仮説社より

 

2月7日(仮説実験の日,板倉聖宣祭) 死んだらどうなる

 板倉聖宣「死んだらどうなる」『たのしい授業』1993.3月号、仮説社

 人間は死んだらどうなるか、考えたことがありますか。ある人は「人間が死んだら〈あの世〉というところに生まれ変わるのだ」と言います。「人間が死ぬと、その人間の霊魂が身体から抜け出して、あの世に行くんだ」という人もいます。.....本当でしょうか。....しかし、本当は、地獄も極楽も天国もないのです。......人間の身体は原子でできている。......身体と心は一つ.....科学の世界では死んだら何も残らなくても、宗教の世界では、多くの人びとの霊は生き続けると言ってもいいのです。...この2つのことをごっちゃにしてはいけません。

(一言)

2月7日は、板倉さんがバラバラ原子に戻った日です。その原子はどこにいるのでしょう。

 

「千の風になって あの大きな空を ふきわたっています」

         秋川雅史「千の風になって」より

 

 そんな風をあびて、原子を吸いにいきたいです。ちょっと一服して大きな空の下で。

 

 

 板倉『もしも原子が見えたなら』新版,2008仮説社より


2月6日 ガリレオやダーウィンのような根性を

  板倉聖宣(1966)「1966年と仮説実験授業」『科学と仮説』 野火書房(季節社) 187ぺ

 いまの学習指導要領のもとで,現場で仮説実験授業を着実に進めるのはたいへんなことです。そこで流行化でもした方がやりやすくなると思われることもあるかも知れません。しかし,それは一時のことです。みんなの力をあわせて1つ1つ障害を乗り越えていきましょう。新しい科学を築くためには,ガリレオやダーウィンが経験したような社会的困難を乗り越える必要があるのです。それは決して頭のよさの問題ばかりではなく,社会的な態度,根性の問題です。

(一言)

  ダーウインが「進化論」を発表したのは、1858年のことでした。その理論は、100年の年月を経て、やっと全面的に認められるようになりました。

 100年でもいい。川に置かれた飛石を渡るのように、1つ1つ乗り越えていけたらいいです。

 

2月5日 できるところからやればいい

  板倉聖宣(1973)「仮説実験授業への招待」『科学教育研究』No.11  38ぺ

 自分は理想をもっている。ところが現実にはいろいろな問題があってなかなか理想通りにはいかない。そんなとき多くの人は一応は「理想どおりにやりたい,理想を現実化したい」と思うわけです。ところが理想どおりやると仲間から冷たく見られたり首がとんだり,いろんなことがおこることが予想される。そこで「となりの先生とうまくやっていくためには理想どおりやれないと思ったりするわけです。そんな場合,すぐに理想どおりできなかったらできるところからやればよいと思うのです。

(一言)板倉(1992)「理想をかかげて妥協する」『発想法かるた』仮説社より

 ....理想がそう簡単に実現できないのは、相手がいるからです。相手にも相手のいい分があります。ですから、社会や人間を変えようと思ったら焦ってはいけないのです。

 しかし、長い間、理想を捨てずに頑張っていると、何時かはその理想を部分的にも実現できるチャンスがやってくるものです。

 

2月4日 イヤなことに「イヤだ」と言うことは素晴らしい

  板倉聖宣「若い人たちに伝えたい、流行に乗らず、無理な背伸びもせず、自分を大切に」

                            『たのしい授業』2010.4月号

 イヤなことに「イヤだ」と言うことは素晴らしい。そういう戦後の教育を受けてきた人は素晴らしいと思います。いきなり、堂々と拒否反応するなんて戦前の道徳教育では許されないことでした。

 最近の調査によると,「大阪府の学力調査の順位が全国で何番目」ということが報道されています。なぜ,学力調査の結果を気にするような人間になったのか。大阪府がそんなに低くなったで,「そんな学力なんて,関心がない」と言ってほしい。教育パパとしてそう言ってほしい。学力の順位なんて、どうでもいいことを気にしているのは政治パパなんです。

(一言)

この大阪の学力テスト低位の話は,毎年出てきます。今年度の順位は知りませんが,これから先も大阪が上位になることはないと思います。学力向上プログラムは大阪にもあるようですが,それを熱心に取り組んでいる学校ほど「不登校」児童生徒が多いのではないかと予想しています。

 「いい加減がよい加減」ということを知っている管理職の学校では,そうではないと思いますが,いい加減を許さない管理された学校での先生はたまったものではないと思います。

2月3日 教材配列の法則

 板倉聖宣「No.10 認識の論理と存在の論理 ー教材の系統性・順次性ー」『たのしい授業』1983.7月

  日本では,教材の選定やその配列は,全国一律に文部省の教科課程審議会に集まった識者が一方的にきめて作った「学習指導要領」にしたがわなければならないことにされている。そこで,思いきった教育実験もほとんど行われない状況のもとにある。

 しかし,これまでの教育実験の結果すでに「子どもがもっと興味をもってわかりやすく学習するための教材配列の順序」は,必ずしも「従来のような身近さの順序や存在の論理によるもの」ではなく,「教材独自の認識の順序があること」が明らかにされてきている。

(一言)

 原子・分子を小学生から教えるのは教材独自の認識の順序から言ったら当然だ,というのがぼくのゆるぎない確信です。原子論の教育は低学年から可能であることは実験的に証明されています。

 他にも板倉聖宣が明らかにした教育学上の法則がいくつかあります。それを大切にして、忘れないようにしたいです。

2月2日 西郷竹彦「こったら豆こ」

 山本正次(1986)『(研究資料) 国語よみかた授業書案集2』キリン館より

 むかしむかし。はたらきもののじいさまがうらの畑に豆をまいた。

   一つぶは 千つぶに なあれ 二つぶは 万つぶに なあれ

 すると、それを見ておったあまのじゃきは、ひとのすることがなにもかも気に入らぬいじわるな小おにだから

   一つぶは 一つぶの ままよ 二つぶは 二つぶの ままよ 北風ふいたら もとなしだ

なんて、からかっておった。

 夜になり、朝がきて、日がてり、雨がふり、また、夜、そして、朝、夜、朝.......................

 やがて、こっちの豆もあっちの豆も、ぷくんぷくんとちっこいめをだした。

 あまんじゃきはそれがきにいらぬから、

   めをだすとも 葉を だすな     葉をだすとも 花 さくな

と、わめきながら、火のようにあついいきを、ふうふうふきかけておった。

 それでも、はたらきもののじいさまが、せっせと水をかけるやら、こやしをやるやら、草をとるやら、竹をそえてやるやらしたから、豆は葉をだし、葉をひろげ、つるをのばし、はいあがり、つぼみをつけ、花をさかせた。

 さあ、あまのじゃきはくやしくてしようがない。目をつりあげ、きばをむきだし、つめで地面をかきむしりながら、がらがら声でわめきたてた。

 こったら 豆こ 花 さいても 実に なるな  実になっても かれておちろ

 ところが、豆はしらん顔して、千つぶも万つぶも青あおとした実をいっぱいならせた。

 もう、がんがんになっておこったあまのじゃきは、とうとうつのをむくむくとつきだし、見るもおそろしい大おにになって

 こったら豆こ 千つぶ なるなら なるが ええわ  万つぶ なるなら なるが ええわ

 この おれさまが みんな とって くってやる

と、あるったけの豆をがばがばっとみんなくっちまった

 おににくわれた豆つぶは、まっくらなおにのおなかのなかで、めをだし、つるをのばし、目から、耳から、鼻から、口から、いやいやへそのあなからも

 はいだし はいあがり 葉を だし 葉を ひろげ うねり くねって 手に からみ 足に からみ

 おにの力も すいとって しげり しげり のびるわ のびるわ 野を こえ 山を こえ

 つぼみを つけ 花を さかせ まるまるとした みを たわわ たわたと いっぱい みのらせた

 寒い寒い冬がすぎ、これからあたたかい春になるという節分の日に、豆をまくのは、小さな、でも、いきいきとした豆の力で悪いおにをおいはらうのです

 おには 外 おには 外   ふくは 内 ふくは 内

2月1日 知恵豊かに自己主義的に生きる

板倉聖宣(1991.10.26)『教育の可能性に対する信頼』 年秋 四條畷学園小学校 授業公開および研究会資料  発行ガリ本図書館より

 私個人として,仮説実験授業の背景になったのに「幸福論」というのがあります。これは仮説実験授業を提唱する十数年前,私が高等学校の学生の時にまとめたものです。敗戦の体験をもとにして,「人間が自己主義であっていいか悪いか?」と問うたものです。

 私の結論は,「自己主義であっていい」 ー 私は厳しい人間ですから,自己主義者というのは大嫌いでしたが,自己主義者というのは,いわば「甘ったれ」とは少し違ったところがあります。権力的な人たちが甘ったれるのとは違います。私は,〈知恵豊かに自己主義的に生きる〉ということが大事だと思うのです。

(一言:井藤)

 板倉さんの『幸福論』の中心は「快苦10分類」です。マズローという心理学者のものと似ているので、並べて書きました(共に、エピクロス以来の功利主義による)。

 自己主義は「9.優越の快楽」でしょうか。決して悪いものではない。その上の「10絶対的自己的自己賞賛」にいくための1ステップだから。

 TBSテレビ「プレバト」は芸能人が俳句を競います。私は、俳句ではなく、板倉哲学の「名人」に日々、一歩ずつ近づきたいです。

 

 

1月31日 目的がはっきりしないと、かえってマイナスになる

 板倉聖宣(1976)『仮説夜話 1976年』つばさ書房

 何かをやるときにその目的がはっきりしていれば,その目的と他の目的との関係がはっきりしてくるでしょ。目的が全然あやふやだったときには,その目的に向かってよく努力することはマイナスなんですからね。自分自身ではっきりとした目的がないときは権力の手先なんですからね。自分自身ではっきりとした目的がないときは権力の手先としてしか通用しないわけですよ。

 自分自身がはっきりしていれば権力の手先にはならないでしょう。自分自身の管理のもとでいける。それには,その人の授業の力量とかが関係してきます。授業がうまくできないのに変なことをやれば校長は妨害することができるし,生徒だって校長の側に立つしね。しかし,授業がうまくいけば校長は妨害できないでしょう。

(一言)

 感情に任せて、何かを言った場合、かえって悪い結果を生むことがよくあります。そんなとき、一度とまって「これを言う目的は何か」を考えてみるべきかもしれません。なかなかできませんが。

竹内三郎『負けてうれしいカレンダー』(仮説社2022.12.16)2月は「迷信をばかにする人が迷信を広める」です。「いろんなことについて[間違いを正す]場合も、〈敬意〉を基本にした人間関係がなければ、間違いを加速するかもしれません」と竹内さん。

 

1月6日 「自由な時間」と「工業的な時間」

 山極寿一(1952-)京大名誉教授,人類学者 「ほっと幸せ自然な時間」より『朝日新聞』2023.1.6朝刊

 人類は「自然な時間」の中で過ごしてきました。自由に動き,集まり,自分と違うものと対話することで,違う視点を得て,自分や社会の未来を作ってきたのです。ところが産業革命以後,時間を管理して,効率的に使う思想が生まれます。人々は「工業的な時間」に駆り立てられるようになりました。

(一言:水口)

 ぼくは,この文章を読んで,いまの学校はまさに「工業的な時間に追い立てられるように運営されている」と思いました。

 いまは,授業時間数を厳しく管理されていて,仮説実験授業をする時間確保に苦労している先生もいるようです。 

ぼくの若いころは,適当に授業をやっていて時間割通りにやった記憶はありません。まさに「自然な時間」の中で学校生活を送ってきました。

 こういう時間がないと息苦しくなります。子どもも先生も疲れています。「自然な時間」が流れる学校は子どもも先生も幸せを感じられます。

 仮説実験授業は「自然な時間」の中でこそ成り立つ授業です。

 

1月5日 だれの言葉でしょう?

 以上の文章は,『科学入門教育』11号 (つばさ書房 1986年) に掲載されていたものです。

 だれの文章だと思いますか?

 ボクは仮説実験授業が好きです。ボクは仮説実験授業をする先生が好きです。

 どうしてかというと,ボクが仮説実験授業が好きだからです。

 でも,それだけではありません。仮説実験授業ができる先生は絶対に子どものことを悪く思わない人だからです。「何かを教えよう」ということよりも「子どものうれしそうな顔」を優先できる人でないと仮説実験授業はできないし,そういう人でないと仮説実験授業をやってはいけないのです。

 これは個人の「性格」とかいう問題ではなく,その人の「教育に対する考え方」の問題で仮説実験授業ができる人かどうか決まってくる,とボクには思えてなりません。

(一言:水口)

   犬塚清和さんです。

 ぼくは「仮説実験授業」をやったら「絶対に子どものことを悪く思わない人になってしまった」ような気がします。

 犬塚さんの言葉を借りると「教育に対する考え方」が一般の先生とは違ってきたのです。この考え方を形成した大元は,ぼくが仮説実験授業を彼が小学校56年でやりまくったからです。そして,先生になってからも研究会に参加して,教育に関する考え方を固めたからです。

 

1月4日 絶対的自己的自己賞賛「楽しさ第一」の源流

 板倉聖宣談(1987)板倉式発想法の会にて、犬塚編「雑誌内マガジン」『たのしい授業』2012.3月号

 「宗教的人生観」というのは、神様がいて〈神様のもとに自分の道徳や生き方がある〉わけです。それなら「無神論=神様がいない」となるとどうなるのか。......

 人間は、自分の中にいる「自分を超越した存在」というものを考えることができます。それはぼくの中にいる「ぼくの作った僕」です。つまり、自分の中に「神」をつくるのではなしに、「もう一人の自分」を作ればいいのではないか。ようするに、その場その場でフラフラしている自分ではなくて、もっと安定性のある「美的基準」を決めるのです。それを座標にして、自分自身を〈少しでも美的でありたい〉と思って生きていくことです。.......

 ぼくは高等学校2年生のときに、そういう〈自分の中にいるもう一人の自分〉みたいなことを「絶対自己」と表現しました。さらに「絶対自己的自己賞賛」というもっとも最高の価値基準---そういう安定した〈自分にとって絶対的〉と感じられるものから自分を見て「自分をほめてくれるように自分自身が動くことが最高の美なのである」というのが、ぼくの倫理学の変わらぬ基礎になっています。

(一言:井藤)

 お正月です。初詣に行きましたか。私は、家族と初詣で食事をして買い物をしてくるのが好きです。日本人の多くは、クリスマス(教会)も、大晦日(お寺)も、初詣(神社)も「年中行事=お楽しみ」になっています。

 板倉さんの「幸福論」をもう一度じっくり読んでみたいです。

 

1月3日 ハーシェル「研究」はもっとも喜ばしい避難場所

ジョン・ハーシェル(1830)『自然哲学研究序説』12節(p.15)より

 「自然科学」の追求には、喜びがある。それは、他のあらゆる分野の知的な喜びと同じだ。どんな生活を送っている人も、どんな状況でも、自分の人生に位置づけて、楽しむことができる。自分の仕事の合間にも楽しむことができるし、日常生活の偏見・抗争から、もっとも喜ばしい避難場所にもなる。

(一言:井藤)

 上の文はイギリスの科学者ハーシェル(1792-1871) が書いた文章です。庶民のための百科叢書で「科学」について書いた本の最初に出てきます。「仮説実験的認識論」の先駆者で「研究するには仮説が不可欠」と言っています。

 お正月は「研究」にいそしむ季節です。

1月2日 星新一「9億4000万kmの宇宙旅行をごいっしょに」

星新一「年賀状」『気まぐれ博物誌』角川文庫2012

ことしもまたごいっしょに9億4000万kmの宇宙旅行をいたしましょう。これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。速度は秒速29.7km,マッハ93。安全です。他の乗客たちがごたごたをおこさないように。

(一言:水口)

 星新一がある年に友人たちに送った年賀状には、こう書かれていたそうです。夢があります。9億4000万km先まで、健康でいられますように。

 さらにこんなことも書いているそうです。

 時の流れに身をまかせきっていると、その感覚が麻痺する。たまには岸にあがり、流れをみつめるべきだろう。

 

1月1日「正月は哲学の季節」他人の意見を大切にする

板倉聖宣「意見の違うことのすばらしさ」『たのしい授業』1992.1月号

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 いまなお世の中の多くの人々は「紛争が起きるのは人々の意見が違うからだ」と思っています。「みんなの意見が同じなら、あんな紛争など起きなくて済んだのに」と思っています。

 「みんなの意見が同じならいいのに」とひたすら思う人々は、現実に異なる意見をもつ人々があらわれたとき、どういう態度をとることになるでしょうか。そういう人々は、多くの場合、少数の異説を唱える人々を説得することにかかります。そして、多数の人々と同じように考えるように要求します。「みんなの和を乱すのはよくないことだ」といって、異なる意見を抑圧したりします。それしか方法がないのです。

 しかし「みんなの意見が違うことは素晴らしいことだ」という認識から出発する私たちは、無理に説得しようとはしません。いくら議論が立派そうに見えても、「実験してみたら間違っていた」という例をいくらでも知っているからです。意見が違ったら、話し合って、お互いにいい所を学び合うことはしても、最後は実験をしてみるしかないのです。

 

(一言:井藤)    

 1992年は「ソ連崩壊」、30年後の2022年は「ロシアのウクライナ侵攻」、いつまでたっても紛争は絶えません。

 板倉さんの最後の研究は「フリーメイソン」でした。その憲章の象徴だった言葉は「寛容(トレランスtolerance)」で、板倉さんの机には「クリの実」が一つ乗っていました。

 「寛容=トレランス」とは、「他人の意見のすばらしさを認める強さを持つこと」、そして「じっくり実験結果が出ることを待つこと」。

 新しい年に、クリの実のように強い思いが持てるといいです。

 

12月31日 わからない自分の方が上なんだ

板倉聖宣談(1972)「日本教育史における仮説実験授業の位置 または 第2のルネッサンスとしての仮説実験授業」四條畷学園の牧田記念館にて, 『科学入門教育』11号(つばさ書房1986)に収録

 たとえば、子どもたちの中には「[昆虫は足が6本あって体が3つに分かれれいる]とかは覚えてもくだらないじゃないか」と思う子がいる。「オレはそんなことを覚えることを拒否する」「そのかわりこっちのことはわかる」「やっぱりオレの方がすばらしい」ということになって,教育を拒否する。「あんなの覚えきれないから私,落伍しちゃったんだ」と。これは,不良になるよりほかない。非常に変な反抗の仕方しかできない。

 今のところは過渡期だから,そういう形で反抗する連中がたくさん出るだろう。と同時に,それを乗り越える,つまり「自分のほうが上なんだ」という形で乗り越える連中も出る。そういう自我の発見というのが起こってくるんじゃないかと思うんです。 (中略)   

 ルネサンスは、まさにそうですよ。中世的ないろいろなやり方を「オレは知らないよ」「そんなことにオレは束縛されないよ」というのがルネサンスなんだ。

(一言:水口)

 板倉さんの文章を読んで,いまの学校は中世的な暗い雰囲気があると思いました。こういうなかで仮説実験授業を実践することは「新しい教育を生み出すための運動だ」と確信しています。

 「千里の道も一歩より」仮説の誕生から来年は60年です。1年に1里進むとするならば,60歩も前進しているのです。目標達成まで残り940歩です。

 これは、1972年の談話記録です。四條畷学園の牧田記念館での話です。多分内輪の会員を相手に話をされたと思います。板倉さんが42歳のときです。

 

ルネサンスは、まさにそうですよ。

 


12月30日 間違っても議論で勝ってはいけない

竹内三郎(2022)『(仮説社50周年記念企画)負けてうれしいカレンダー』2022.12

 1年の間には楽しいことも悲しいこと,いろいろあるでしょうが,まず,「議論では間違っても勝ってはいけない」ということを心がけてください。とくに僅差で勝つのは恨みを残すので,負けるより始末がわるいものです。

12月29日 「自分は何を考えているんだろう」と考えてみよう

竹内三郎(2022)『(仮説社50周年記念企画)負けてうれしいカレンダー』2022.12

  自分にとって「と~ってもたのしいこと」「ず~っと好きでいられること」を発見できれば,その後の人生はきっとたのしいものになるでしょう。

 学校というのは,若いうちにその発見を手助けをしてくれるところであったらうれしいですね。

 でも,「自分はほんと~に何がすきなんだろう」ってあらたまって考えてみると,なかなかむずかしいものです。なぜむずかしいかというと,「自分のことは自分でもよくわからない」のがあたりまえだからです。そんなわけで,これからの1年は,月に一度くらいは「自分は何を考えているのだろう」ということを考えていくことにしましょう。

(ひとこと:西村)

お疲れ様。素晴らしかった。井藤さんの幅広さ、再確認できた。アメリカでは、討論が深まらないと聞いたがほんと?

 

12月28日 死んでもシメター原子論的葬式を盛大に

板倉聖宣『仮説実験授業研究会ニュース』2007.6月号

  私が死んだら、一時は仮説社や仮説実験授業研究会が困ることがあるかも知れません。しかし、ともかく私は死んだのです。ですから、仮説実験や〈たのしい授業〉の宣伝と普及にその死を利用しない手はないでしょう。仮説社や仮説実験授業研究会として、私が死んだことも最大限利用して宣伝などして下さるようお願いします。

 少なくとも「この世には〈原子論葬〉というものがあるものだ」ということを世の中に知らしめるには、とてもいい機会になるはずです。私は〈死んでもシメタ〉と思って死ぬのですから、よろしくお願いします。                       2007年5月14日

(一言:水口)

 1000年以上前の空海の思想が今でも生き残っているのは,それを全国に広めた「高野聖(こうやひじり)」の存在があったからではないか。仮説の思想がこれから1000年続くためには,「仮説聖」のような存在が必要なんだろうか。「聖」は板倉聖宣さんの「聖」というのは偶然の一致か。

 

 

12月27日 世の中、悪くするのは〈善意の人〉なんです

板倉聖宣『生活倶楽部』1984.3月号(『たのしい授業』2010.9月号に転載)

 平等という概念をもう少し考え直した方がいい。つまり「世の中には一番いいものが1つだけある」という考え方、「一番いいものをみんなに平等に教えよう」という考え方、このことを考え直す必要がある。みんなに同じことを教えたら序列がつくのは当たり前なんです。

 大学の中では東大が一番だといわれますが、芸大と比べるとどちらが上かってことは言えません。違うことをやっているんだから。

 世間の価値基準で「これが一番だ」ということに振り回されないでほしい。せめて子育てぐらいは、自分の方法を見つけ出してください。そのためには、仮説を立てながら子どもに対する認識を深めることです。

 教育は「善意への甘え」が悪くしている。「善意があれば良くなる」とは決して言えない。自然科学ではそういうことがはっきりしている。「エライ神様がいて世の中をよくする」のではないのです。法則をつかむことが大事で、悪意とか善意とか関係ないということが自然科学ではわかっています。自然科学以外の世界は、いまだに「法則」より「善意」がすごく大事にしていますね。

(一言:井藤)

 みなさんは、コンビニで買い物をするとき、スマホのクーポンを使いますか。

 先日、冷凍ピザを2つクーポンで買おうとしたら、レジのコンピュータに拒否されました。「1品のみ」だったのです。「何とかしてよ」と言いたかったのですが、コンピュータには善意は通じません。

 「仮説を立てながら実験して、法則をつかむ」それが、21世紀の社会を生きるこつかもしれません。

 

12月26日 自分の性格を大切に育て、ゆめを大切に

板倉聖宣(1962)「読者のみなさんへ」『世界の20人』学習研究社『6年の学習』

 このように、この人たちのおかれたかんきょうは、たいそうちがっていましたが、共通の点もあります。この人たちは、みんな自分の性格をたいせつに育て大きなゆめをもっていました。そのゆめにむかって、一歩一歩と努力をつみかさねていったのです。この本を読むにあたって、みなさんにおねがいしたいことは「ゆめをたいせつにしてください」ということです。

 

(一言:水口)

 この文章は、「日本の文化のもとをきずいた人々」『世界の20人』からで、それは学習研究社『6年の学習』(1962年正月特大号)の付録でした。

 板倉さんが書いたことが間違いないのは「杉田玄白」「吉田光由」「伊能忠敬」「本木尚造」「北里柴三郎」「坪内逍遥」「岡倉天心」「牧野省三」「仁科芳雄」です(森下知昭さんの調査による)。

 「自分の性格をたいせつに」というのは、なかなか思えない子(大人も)が多いのではないでしょうか。「性格を直したい」と思うのではなく「大切にしよう」というのは驚きです。

 「ゆめをたいせつにしてください」は、子どもに対するすてきなメッセージです。

 

 1962年7月号の表紙(別の号の表紙)


12月14日 仮説実験授業だけ教えればいいわけではない

板倉聖宣(1983)「科学入門教育としての仮説実験授業」『科学入門教育』No.2つばさ書房

 本質的に「科学入門教育」「科学教育」というものにはちがう側面がある。たとえば仮説実験授業は問題を出し、予想を立て、討論を組織し、実験する、あるいはそこに「読み物」があるといったような授業をくりかえします。そうしていくと「これは大学までやるのか」「どこまでも果てしなく続けていくのか」という疑問がわいてきます。

 ......「仮説実験授業を受ける小学生」にしても「科学者」にしても、認識のプロセスとしては、ほとんど同じです。ただ、その途中のたとえば大学とか高等学校とかでは、私たちが考える理想的な教育のプロセスといったものとは、かなり違ってくる可能性があります。かなり急テンポで、たとえば討論のプロセスを抜かしてもどんどん認識が進むとか、実験のプロセスを抜かすとか、そういう形があるはずです。

 だから、まだ科学の門をくぐらない人に対しては、やはり大学生であろうと高校生であろうと社会人であろうと、そういう人たちに対する科学の教育は、仮説実験授業の教育というものが必要不可欠なものであるにちがいない。しかし、門を入ってしまったあとはかなり効果的で時間節約的なプロセスがとれるはずです。

 しかしまた、ある程度の時間節約で「現在の研究の最先端」に近いところまで来たならば、そこではやはり仮説実験授業のような形をとらざるを得ない。

(一言:井藤)

 以前、研究会内で「仮説実験授業だけでいい」、つまり「学校の授業は仮説実験授業だけでいいのではないか」という主張がありました。たしかに仮説実験授業は、他の授業にはない魅力があります。

 それを聞いた板倉聖宣さんは「[仮説実験授業だけでいい]は、激情の言葉」と、その論を退けました。

 学校で教師をやっていると、よく「仮説実験授業がやれない」「せっかくこんないい授業があるのに」と思います。「時間節約して急テンポで」授業しなければならない場合が数多くあるのです。それは当たり前のことかもしれません。

 だがしかしだかしかし「仮説実験授業の教育が必要不可欠」、つまり「科学入門教育には、仮説実験授業が100%必要」という言葉を重く受け止めています。

 

 

●12月13日 デマを見抜く。戦争中でも、民主主義下でも。

 板倉聖宣(1953)「誤謬論」『雑誌:科学と方法』創刊号、『科学と方法』季節社,1969に転載

 我々みんなが真に科学的・合理的なものの考え方をもつことは極めて重要な意味をもっている。我々は「大東亜」戦争を許した失敗を忘れることは出来ない。我々がデマ宣伝を見抜けたなら,もっと国民同士が団結していたなら,あの様なことにはならなかったということは出来ないだろうか。真理を我々のものとすること,これが何よりも大事なことではなかろうか。

 今は民主主義である。だから「重大なデマはない」といえるであろうか。―いや,デマは民主主義という仮面の下にそのデマぶりをもっともよく発揮しているのではなかろうか。毎日の新聞は,民主主義の報道の自由の名のもとにデマ宣伝を,しかも個々の事実はなるほど割合に正確に伝えながら,総体としてデマ宣伝を行っているのではなかろうか。

 

 

(一言:井藤)

 右のような本がありました。まだ読んでいませんが表題に魅かれました。

 戦後の日教組のスローガンは「教え子を再び戦場に送るな」です。また「社会科の初志をつらぬく会」という団体がありますが、その初志とは新しい民主的な社会を主体的に創造する人間を育てる」です。

 いずれにしても、戦後80年になろうとしている今、改めて「真に科学的・合理的なものの考え方とは何か」を問い直してみないといけない、と思っています。


●12月2日 保守的な考え方は自然に変わってくる

 板倉聖宣『仮説実験授業の研究論と組織論』(仮説社,1988 )

 わたしたちは文部省の指導要領とか検定教科書とかには全然関係なく授業プランの改善をすすめています。だから,仮説実験授業をやろうとすると,いろいろなところに障害があるかもしれません。特に先生方が,まわりの先生方や校長,教頭その他いろんな人々との協調関係をなによりも大切にし,それを教師としての生きる基準にしている時には,仮説実験授業などという新しいことをやるのはなかなか困難でありましょう。

 じっさい今の教育界では,教師仲間の間での協調関係を第一に重んずるというのがあたりまえになっているようであります。しかし,それは教えること自身の喜びというものがほとんど発見されていないからだとわたしは思うのです。

 教師と教師の協調関係をくずす心配よりも,子どもたちの未来に託する喜びの方がはるかに大きいことを知ったならば,そういう保守的な考え方は自然に変わってきてしまうと思います。

 

●11月30日 仮説実験授業でもっとも基本的としていること

  板倉聖宣『仮説実験授業の研究論と組織論』(仮説社,1988 )

 わたしたちが仮説実験授業でもっとも基本的としていること,それは「自分が自分の主人公であるような人間,そういう人間を作る」というよりも「守り育てる」ということです。

  自分が自分の主人公になるのはあたりまえでありまして,これは何も作るのではなくて、もともとそうなっているはずのものです。

 ところが,もともとそうなっているにもかかわらず,実際にはそうならなくなってしまうというのが現在の世の中であります。何か権威や多数に従順するような人間みんなになれ親しむような人間を作るのがだいたい教育の目標になっていて,だんだん,自分自身が失われていっている。- どうもそういう感じがしてなりません

(一言)

 板倉さんは子供向けの本のサインに次のような言葉を書いていたそうです。

 「勉強したくないことを勉強する子は悪い子です。勉強は本来とてもたのしくてすばらしいものです。その勉強をいやいやながらもやることは大変悪いことです。むりに勉強しなければ,いつかは勉強というものはすばらしいものであることを発見することでしょう。それまで待ちなさい」

 この板倉さんのいう「勉強」を教師の「研修」「研究」と言い換えたくなってしまいます。「研究授業」をイヤイヤやることは大変悪いことです。

 

●11月29日 他人が一緒に喜んでくれる研究をしよう

   板倉聖宣「楽しい授業から楽しい研究へ」より『科学と教育のために』1979年,季節社)より

 自分の研究成果を一緒に喜んでくれる人が少しでもいるということは,俗にいう,いいカッコできるということではなしに,やっぱり楽しみなんです。

 お客さんとの関係が,楽しく研究することの原動力であるわけですから,重要なことは <みんなが関心をもつテーマを選ぶ> ということです。 <板倉聖宣がいつ老眼になるか> なんていうことには,みんな関心をもちませんね。だから,そういう研究テーマはやめること。しかし,板倉聖宣ではなくて <人間は何歳くらいで老眼になるか> というと,これは相当使えます。使える範囲が非常にひろいわけですから。

 ところが,みんなが関心をもつようなテーマを選んだって,答が出なければどうしようもないわけです。ですから <うまい答が出そうなテーマだけを選ぶ> ことです。研究がむずかしいのは,答があるかどうかわからないからむずかしいんです。いくらいい研究テーマだって,答が出なければゼロです。答が出そうなことだけにテーマをだんだん絞っていく。答が見つけられそうで,答が出せたらその成果が大きい。そういう問題を選べるかどうか,これが研究で一番むずかしい点です。

 答の見つからない,見つけられないような問題をテーマに選ぶのは,研究の研究たる所以を知らないものです。すぐれた科学者というのは,自分のできそうなことで,しかも成果が大きいことだけを探しだして研究をした人,というふうにいうことができます。

(一言)

「医食足りたら、他人の笑顔」というのは、板倉さんの『発想法かるた』の一句です。

 ある友人の母親は、100才を越えた長生きです。でも「死にたい、死にたい」と毎日のように言っているそうです。

 いつまでも他人から笑顔がもらえるような仕事が、少しずつでも継続してできたら、そんな人生が「幸せ」なんでしょう。実現できるといいのですが。