1 井藤「あなたの細胞が見えたなら」
2 笠井「健康診断の数値について」
3 林「展上体」
4 水口「現代仮名づかい」
5 雁金「気体の溶解度とその利用」
6 宮木「ぬり絵」
7 吉田「ウクライナ問題」(資料参加)
私の夢 あなたの夢
大きな夢
「これまでの成果を科学的な論文の形で冬眠させておけば、いつかは春がきて芽をふきかえすことができるだろう」板倉談
以前、テレビ番組に一度、出演させてもらったことがある。私の「女性名の研究」を評価してもらっての出演だった。
本当は、もう一度か二度、出演するはずだった。次は「男性名」についてであった。
しかし最終段階の編集会議での「ボツ」だった。
「この人の研究は信用できるか」「学会とかで、どういう成果を残しているのか」
そのとき私は、とほうもない大きな壁を感じた。
その1、放送局の構成員は、東大をはじめ超有名大学出身者がしめている。
その2、テレビ番組、特に教養番組には、大学教授が出演するのが常だ。
ふつうの「研究者」は、次の流れを取る。
研究する→学会で発表する→学会論文を出す(査読付き)→「科研」で助成金をもらう
(科研費:正式には「科学研究費補助金」、国が出す補助金、それが獲得できれば、資金面でも地位面でも安定する。獲得には「点数制」あり。査読付き学会論文1点など)
私は、年齢のこともあって、そんなまどろっこしい道は進みたくない。私の道は「自ら論文を書き、ネットで発表していく」というものだ。
といっても、テレビ局のプロデューサーの一言は「トラウマ」のように今も胸にささっている。同時に「くそー、そのうち見返してやる」とも思っている。
それが、ある現役教師(小中学校)の「資料」を読んでいて、ハッとさせられたのだ。
「誰にでも納得できるような証明をすることは、一人の研究者では不可能です」
この人は「研究者」を自覚している。一人で悶々としていた私は何だったんだろう。
このプラン研の構成員は、「リタイア組」と「教師継続組」とに分かれる。「継続組」といえどもいずれはリタイアする。人生100年とすれば、まだ30年(人生の1/3)残っている。そんな年月をムダに過ごすのはもったいない。どうすればいいのか。
美術教育の「キミ子方式」は、となり、となりと描いていく。決して最初から全体像を意識するわけではない。
私たちシルバー世代の「研究」も「となり、となり」でいいのではないだろうか。まずサークルメンバーと語り、喜んでもらえた内容を深める。それをブログ等に残しておく。ちゃんとした科学論文なら、冬眠させておいても、いつかは芽を出すのではないか。そう思っている。
「科学論文を書く」とはどういくことだろうか。
その必須条件の1つは「我々のサークルで、何人かが認めてくれること」
私はそう思っている。
どうか、サークルのみなさん、これからもよろしくお願いします。
私もプラン研の内容が少しでも、どこかに残せたらと思っています。そんな活動がしたいです。