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ハーシェルとヒューウェル

1●仮説実験的認識論の先駆者を見つけ出したい。

 板倉聖宣(1930-2018)の最大の業績は何か。それは「仮説実験的認識論の定式化」ではないか。

 確かだろうか。それを明らかにするには、2つの課題がある。

1 「仮説実験的認識論とは何か」を明らかにする。

 別の言い方をすると「何をするにも仮説実験」である。「科学的認識は仮説実験のみ」とも言う。

 つまり、ものごとを考えたり判断するには、必ず仮説を立てて実験しなければならない」ということである。「必ず(のみ)」である。

 しかし、この言葉は、社会的に幅広く普及しているとはいえない。真意を幅広く世の中に広めることは、教育のみならず、多くの点で、革命的な転換になる可能性がある。

2 「仮説実験的認識論は、本当に板倉が定式化したのか」「先駆者がいたのではないか」

 2については、すでに小野健司が、デューイ(1859-1952)、ジェボンズ(1835-1882)という存在を明らかにしている。

 今回の小論は、2について、さらに時代をさかのぼって、2人のイギリス人ハーシェルとヒューウェルに焦点を当てる。

ハーシェル(1892-1971)イギリス,

天文学者、準男爵

John Frederick William Herschel

祖父は天王星を発見して、国王付き天文官。その孫で天文学者。写真技術の開発者でもある。

ヒューウェル(1794-1866)イギリス大学教授(鉱物学,道徳哲学)

William Whewell

大工の棟梁の息子。聡明で奨学金をもらい、ケンブリッジ大学に。大学時代にハーシェルと友人、朝食を食べながら研究会。

 

ダーウィン(1809-1882)は、二人と15才ほど年下

地質学会の秘書、植物学者

Charles Robert Darwin

祖父は、陶芸のウエッジウッド

 

 


2●ハーシェルとヒューウェルの「科学の方法」の違い

 ハーシェル(1830)『自然哲学の研究序説』全372ぺ

A Preliminary discourse on the study of Natural Philosophy、London、Longmanこの本は、ラードナー編『キャビネット百科事典』の第1巻として書かれたもので「もともと自然科学の本質とその方法論への入門書」(ブットマン,中崎・角田訳(2009)『John Herschel 星を追い、光を愛して』p.54より)である。

 

「科学の方法」(210, p.198、井藤訳)

科学の法則は、3つの方法でしか到達できない。

1 「帰納的推測」わかる範囲のすべてのことを調べ特定する。

  ----仮説を立てる。それでうまく行った例が何度もある(212, p.200)

2 「大胆な仮説」を、事実と比較し、事実を試す。

3 「帰納的推測」と「大胆な仮説」を組み合わせて、法則を特定する。

                          そして公表する。

 


ヒューウェル(1840)『帰納的諸科学の哲学』(第2版1847より全679ぺ)

The Philosophy of the Inductive Sciences  John W. Parker, West Strand

これは、大学の教科書のような本である。姉妹書『帰納的諸科学の歴史』(1837, 全642ぺ)と対になっている。

 

第8巻「科学の形成において使われる方法」

 4ー帰納の方法(p.336、井藤訳、以下も)

   1事実の確定

                   1-1  概念の明確化 1-2 事実のまとめあげ (p.5)

   2現象の測定(観察)

   3概念の説明

   4現象の法則の帰納

   5原因の帰納

   6帰納的発見の適応

 

1-1 explication of conception「概念の明確化」 

1-2 colligation of fact「事実のまとめあげ」

伊勢田(2018)の訳を使用、的をいている。


3●ハーシェル『自然哲学の研究序説』(1830)より井藤訳

1「意図的な実験」の意義(144項,p.150)

 

ベーコンが「重要な決断」と呼んでいることは、どう「決断」することなのか。つまり、よく似ている2つの原因のうち、どちらか1つを選ばなければならないときに、どう「決断」したらいいのか。

 それは、ただ単に観察しているだけではだめである。実験しないといけない。意図的な実験によって、ある原因は除外し、ある原因は認めるのだ。そして、その判断が正しかったかどうかは、「結果として現れた現象」が「その実験中の現れた現象」と一致するかどうかで、私たちは判断を下すのである。(144項,p.150)

 

2 上ったり下ったり科学的調査を繰り返すこと(184項, p.175)

 

科学的調査のプロセスを成功させるには、帰納的方法と演繹的方法の両方を継続的に交互に使用することが非常に重要である。私たちが知識にたどり着くまでの道のりは、下の段階で打ち砕かれるだろう。多くの場合、上昇と下降を経てからでないと、卓越性への道が開けない。(184項, p.175)

 

3 「仮説を立てる」ことが大切 (196項, p.186)

 

 すでに話したように、ベーコンの言う「重要な事例」については、無関係な原因を排除しなければならない。その最も安全な方法は、ライバルとなるような「2つの仮説」を立てることである。

 事象を事前に判断するために、考えて「仮説をたてる」ということは、常に起こる。それは、起こりうるすべての考えの中で、2つまたは3つの主要なものにしぼるということである。そして「仮説」をイメージする(実体化する)ことで、行動を起こすことが可能になる。

 

4  「よく練り上げられた仮説」は失敗しない (208, p.196)

 

よく練り上げられた仮説」というものは、公正な帰納的考察によって得られるものである。そんな仮説を立てた場合、一歩すすめて「一般化する」という点で、失敗はほとんどありえない。さらに、より普遍的に「法則をグループ化する」ことができる。 

 

5  「仮説」にとらわれすぎるな (216, p.204)

 

「仮説」をたてることで、本質的な部分を形成する可能性がある。かといって、いくつかの限られた場合を除いて、「仮説」は事実とはほど遠い。「仮説」に頼りすぎてはならない。「仮説」は、法則を一般化するための足場になるが、「足場を建築物と取り違え」てはならない。事実に反して、仮説に固執して偏見を持つことはよくある。それは、哲学する者すべての悩みの種である。

 

4●ヒューウェルの心配

 ハーシェルの本には「仮説(hypothesis)」という言葉が49回出てくる。しかもそれは3つの章に集中している。それは「科学の方法」を語る部分(第2部「原理の概要」のうち6章「帰納の最初の段階」 7章「帰納一般化の高い段階」)と、「具体的な物理学について」語る部分(第3部)である。

 

 そんなハーシェルに対して、ヒューウェルは「(発見的なツールとして「仮説」を利用することを認めた上で)それを読んで勘違いする読者が出てくるのではないか」と心配する。伊勢田哲治(2018)は、『科学哲学の源流をたどる』ミネルヴァ書房, p.27

 そして書いたのが『帰納的諸科学の歴史』 (1837)と『帰納的諸科学の方法』(1840)である。

 

 まず、ヒューウェルの『帰納的諸科学の方法』第2版,1847には、「仮説(hypothesis)」という言葉を検索した。なんと100回も出てきた。本の厚さは2倍なので「ちょうど同じくらい[仮説]という言葉を使っている」と言える。

 それでは、中身を見てみよう。

5●ヒューウェル『帰納的諸科学の哲学』(1840)より井藤訳

 1ケプラーの19の仮説(p.41 11巻4章7「事実のまとめあげ」

  ケプラーが法則を発見したとき、ケプラーは火星の動きについて、まず19の仮説を立てた。そして、それぞれを計算して、惑星の軌道は楕円だという確信したのである。

 

2「仮説」と「空想」が大切(p.54 11巻5章2「仮説を使う」)

  偉大な発見者は、多くの場合、間違った仮説も立てる。そして「法則を発見できた」と空想する。しかしそれは、慎重に調査し、事実を見つけることで覆される。そうした空想は、自然の仕組みを追求させ、すべての真の理論を生み出し、発見者に目標をとびこえるほどの絶え間ない活力を生み出すものである。

 

 3 仮説を立てることから始まる(p.56 11巻5章2「仮説を使う」)

  仮説の枠組みは、真実を追う探求者にとって、終わりではなく、仕事の始まりである。「仮説を立てる」こと、「仮説が正しいかどうか確かめる」こと、多くの労力を使って、それは発明を生み出す通常のプロセスである。

 

4 仮説→観察→まとめあげ(p.60 11巻5章「仮説を使う」8,9)

   これらの仮説のそれぞれの後には、対応する一連の観察が続き、そこから真実につながる力が導き出される。仮説は船長のようなものであり、観察は軍隊の兵士のようなものである。                                        そして、発見の目的のために、ばらばらで切り離された事実をまとめあげなければならない。 

 

6●ヒューウェルの本は難解だった

●ハーシェルとヒューウェルの違い

 

 伊勢田哲治『科学哲学の源流をたどる』(ミネルヴァ書房,2018) には次のように書かれている。

 

(ここから伊勢田 pp.43-44)

ケプラーが有名な3つの法則(ケプラーの法則)を導くのに使ったのはティコ・ブラーエが観測して集めたデータだった。だから、世界の秩序というものがデータを無心に眺めていれば見えてくるものなら、ブラーエがケプラーの法則を発見したはずである。しかし実際には単なるデータ以上のものが必要だった。

 

ハーシェルならば、それは「仮説」というだろう。惑星の軌道は単純な図形であるはずだという(あまり根拠のない)仮説を立て、それに基づいてデータを見直すことで、どういう帰納をするべきかが見えてくるというわけである。

 これに対してヒューウェルは、必要なのはそんな大掛かりな仮説ではなく、もっとデータと密接に結びついた「観念」だという。この場合必要なのは「楕円」の観念である。楕円の観念を心に抱いて惑星のデータを見ることで、それまで意味もなく速くなったり遅くなったりしているように見えた惑星の運行が楕円上の規則的な運行に見えてくる。

(ここまで伊勢田)


 たぶん大学の教科書だっただろう。長い、まわりくどい、展開が複雑。手こずった。しかし、言っていることは、ハーシェルとそれほどかわりがなかった。ヒューウェルの方がていねいに論じていて、特に「仮説を立てるだけでなく、そのあとも慎重に観察、まとめあげ、反証をしろ」と言っている。

 

7●ハーシェル、ヒューウェルは、仮説実験的認識論の先駆者と言えるか

 その2人が最初と言っていいだろう。2人によって、科学研究における仮説実験の重要性が主張され、ダーウィンの「進化論」の発見に続く。

 ダーウィンの『種の起源』の展開は、本当におもしろい。みごとに「仮説→実験(検証)」の形になっている。 ➡️1分で読むダーウィン『種の起源』

 また「[仮説演繹法]という方法をヒューウェルが生み出した」と論じてある論文もあるが、ヒューウェルの議論は、革命的だとは思えない。ハーシェルの方が、主張の時期も早い。明確に仮説の重要性を論じてもいる。