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「自然法とは何か1 成立から中世まで」 2014年1月3日(初版2010.2.7)

2冊が典拠です。

1  ロンメン著,阿南成一訳『自然法の歴史と理論』有斐閣,1956(原著,1947)

 ロンメンはドイツ人,ナチス政権を避け,アメリカに帰化する。前書きにこう書かれている。「 [尊厳なるべき自然法という言葉が.........ナチスによって乱用された] ということに対し抗議するために書かれたものである」

2  板倉聖宣『原子論の歴史』上,下 仮説社,2004

⚫︎「自然法」とは何か

 自然法とは何でしょう。小学館『デジタル大辞泉』2008にはこうあります。

すべての法の上を行く概念。人が生まれながらに持っていて,時代を超えて普遍的に守られるべきもの。

 右のイラストを見てください。赤い丸🔴が「自然法」です。それぞれの地域のすべての法の上を行くのが「自然法」なのです。


[問題1]

 自然法は,いつできたのでしょう。

ア.  古代エジプト,メソポタミアの時代

イ.  古代ギリシアの時代

ウ.  ルネサンスの時代

エ.  イギリスの革命(1600年代)の時代かそれ以降

 

「自然法」は「古代ギリシアにルーツを持つ」(甲斐2014)ものです。

 甲斐義幸(2014)は次のように書いています。

 

「自然法」は「法の中の法」 とも言われ,古代ギリシアにルーツを求めることができ,古代ローマ法で初めて成文化された。 

     甲斐義幸「自然法・自然権と科学文化」『中央大学論集』 第35号 2014年2月。

[問題2]

 「原子論」も,古代ギリシアで生まれました。それでは「原子論」と「自然法」とではどちらが先に生まれたのでしょう。

ア.  原子論

イ. 自然法

ウ.   ほぼ同時

⚫︎「自然法」「原子論」はどうして古代ギリシアで生まれたか

 右の地図を見てください。「古代ギリシア」には,統一国家はありませんでした。多くの都市国家からなり,共通語はギリシア語の領域でした。「慣習」も「法律」も違う人々の集合体で,「他民族」との交流もありました。

 そんな地域をまとめていくには「永久普遍の法(ロンメル[1956]p.2)」が必要だったのです。

      板倉[2004]『原子論の歴史』上, p.21より


 アリストテレスが「驚きが哲学の始まり」言ったといわれますが,「自然法」も同様です。「自然法は哲学と共に古い」(ロンメル,p.1)のです。

 板倉(2004)に従って,哲学の流れを見ていきます。「万物の根源」について数々の哲学者が次のように述べています

1 ターレス(前624-前545)...........................水

2 アナクシマンドロス(前611-前547),,,,,空気

3ヘラクレイトス(前524-前464)................火

4エンペラドトス(前493-前433)....土/水/空気/火

 (4元素→プラトン,アリストテレスへ)

5デモクリトス(前460-前370)..................原子

 板倉(2004)は,こう書いています。

 デモクリトスは,こういうさまざまな人びとの意見を聞いて,面白いと思ったのでしょう。しかし彼は,そのどの説にも同意することができませんでした。そして,いろいろ考えた末に「すべてのものは〈もうそれ以上分けられないもの〉ギリシア語でいうと〈アトムなもの=アトム〉からできている」と主張するようになったのです。

 つまり「原子説」は,数々の哲学者の説をもとに,デモクリトスがはじめて考えつき,広めたものなのです。


 このように見ていくと,「自然法」の方が「原子論」より前からある考え方なのです。何しろ「哲学と同じくらい古い」のですから。

⚫︎「自然法」について哲学者はどう書いているか

 自然法の方はどうでしょう。ロンメル(1956)に従って,哲学者の主張を見ていきます。

1ヘラクレイトス(前524〜).......「最高の徳たる叡智とは言葉と行為において自然に従うことである。すなわち,この『普遍のロゴス(理性)』に従うことである。それゆえに,法はすべてこの普遍の神の法によって『培われ,また培われなければならない』」人間の法はこの神法を実現すべき試みにすぎない。(『断片集』112-14)

 上は,ラファエロが描いた「アテネの学堂」。ローマのバチカン教皇庁内にあり,21人の哲学者が描かれている。そこから哲学者の絵を拾い出す。


(ソフィスト)

2ヒッピアス(前460〜)→「書かれざる法は永久不変であり,諸,人定法にまさる源に由来する」

3アルキダマス(前460頃〜).......「神は万人を自由なものとして創り給もうた。自然は何人も奴隷にしなかった」 

4 こうした「ソフィスト」と呼ばれた人たちに対抗したのがソクラテス(前470-前399)です。「法は守るべきである」と言って,自ら死を選びます。

5 アリストテレス(前384-前322)も同様な考えです。「万物の根源は4元素(地,水,空気,火)からなる」という説を取ります。人間についても「ある人々は生まれながらに奴隷である」と考えていました。同じ生まれながらでも「地位が決まっている」というのです。

↑ヘラクレイトス

↑アリストテレス

↑ソクラテス


6 エピクロス

 さらに古代ギリシアでは「自然法はだれが作ったのか」という議論もありました。「自然法は神の法である」という哲学者がいました。それに対して「神や信仰に盲目的 に従うべきではない」と言った哲学者もいました。たとえばエピクロス(前341-前270) は次のように言っています。

「神を否定することは神を冒涜することだ」と言う言葉があります。しかし,そうではありません。「神に自分勝手な願いを押しつけることこそ,神を冒涜すること」なのです。哲学の研究は,幸せを求めることそのものなのです。 「エピクロスの手紙 その3-メノイケイスへ」吉田秀樹訳2005より

 エピクロスは,何事も原子論にもとづいて考えました。どんなことも「個人」「個人の幸せ」を元に考えたのです。それは,近代以降の「自然法」の考えにつながっていきます。 

↑エピクロス


[問題3]

 エピクロスは,無神論でしょうか。無神論ではないでしょうか。

ア.  無神論 イ.  無神論ではない ウ.  その他

 上の答えの前に,ルクレチウス(前99-前55)の『宇宙をつくるものアトム(事物の本性について)』について見てみましょう。ルクレティウスは、古代ギリシャのエピクロスの哲学を、ラテン語で歌のような詩にしています。

 「物事の本性についてー宇宙編」(岩田儀一、藤沢令夫訳) 『世界古典文学全集版21ウェルギリウス,ルクレチウス』1965には「ルクレチウス『物質の本性について』要約」pp.463-469があり,それから「神」に関わるところを抜き出します。

「自然は神々とは関係ない」(『第2巻』1090-1104)

 

「神々は人間とは関わりを持たない」「世界は神々によって人間のために作られたのではない」(『第5巻』156-234)

「事物の本性への無知が神々への恐怖を生み出す」(『第6巻』43-95)

 

 そして「自然に従え」と『第6巻』の本文(1-42)で次のように言っています。

 

「それゆえ彼(エピクロス)は,真実をつげる言葉によって胸を清め,欲望と恐怖との限界を定め,すべての人が向かうべき最高の幸福は何であるかを示し,狭い道ながら,それに向かって,まっすぐ進む道を示した」「この心の恐怖と暗闇を追い払うものは太陽の光線でも白日に輝く矢でもなくて,自然の形象と理法でなければならない

 

 さらに「自然のルールに従って,自分のなすべきことをやろう」と次のように述べています。

 

「ねがわくは,ゴールの白線に向かって走る私に最後のコースを示したまえ,詩歌に巧みなムーサよ,カリオペよ,人間の憩い,神々の喜びよ,あなたの導きにより,素晴らしい誉れとともに,勝利の冠を得んことを」(『第6巻』92-95)

「ムーサ」wikipediaより『パルナッソス山にあるアポローンとムーサたち』 (サミュエル・ウッドフォード作、1804年)ムーサ(ミューズ)は音楽,美術などを司る女神たち


 「自然のルールに従って,自分のなすべきことを」は,日本では親鸞が「南無阿弥陀仏」が言ったことや二宮尊徳の思想と同じです。さらにプロテスタントのカルヴァン派も現世をしっかり生きることを説いています。

⚫︎神の法が「自然法」(中世)

3 神の法が「自然法」 

 中世になって,ヨーロッパでは自然法は「神」と強くむすびつきます。中世の神学者 グラティアヌス(1100年頃)は

「自然法とは〈モーゼの十戒〉と〈聖書の中に入って いるもの〉」

 と説明しています(ミッタイス著『自然法論』創文社1971)。 

「モーゼの十戒」とは,「主が唯一の神である」「偶像を作ってはならない」「神の名を徒らに取り上げてはならない」「安息日を守る」「父母を敬う」「殺人をしてはいけない」「姦淫をしてはいけない」「盗んではいけない」「偽証してはいけない」「隣人の財産を欲してはいけない」という10項目からなっています。 

 また「絶対的な自然法」と「相対的な自然法」とに分ける考えもありました。 

 「絶対的な自然法」とは「人間が堕落していない(エデンの園にいたときのように)本来の美しさを持っているときの自然法」で「人は,生まれながらに自由で,平等だっ た」というものです。「相対的な自然法」の方は,「堕落以後,人間が変化した。生まれながらの奴隷も金持ちも存在する」となります(アーネスト・バーカー『近代自然法をめぐる二つの概念』お茶の水書房1988)。

 そんな中世では,「王様」や「教会」が神と同じくらいの権限あるものとされました。「王様,教会の言うことは神が言うこと=自然法」だったのです。 

 [問題3] 

 自然法が神,王,教会から分離されたのは,どの時代でしょう。

 ア. 1600年代(ルネサンス)か,その以前 

 イ. 1700年代(イギリスで革命が起きた時代) 

 ウ.1800年代(アメリカ独立,フランス革命の時代)から,それ以降

            (つづきは「自然法とは何か2 ー1600年以降ー」)

(追記)

 板倉聖宣は「自然法」について次のように述べています(「自然法と民主主義」『たのしい授業』1997.11月号)。

 たとえ法律がなくても,いや「それに反する法律」があったとしても,〈人間本来のあるべき姿〉というものを考えて,「自然法」という概念を作りました。