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川島武宜『所有権法の理論』岩波,1949のあらすじ

⚫︎〈ものとその所有〉研究を35年前に始めた

『ものとその所有』という本を作ろうと思っています。その理由は,板倉聖宣さんの次の言葉を聞いたからです。

「社会の科学では, 自然科学の〈重さ〉の概念に相当するもっとも基本的概念として〈所有〉という概念があるのではないか」というのが, 私の着眼点であるわけです。板倉「森羅万象分類学入門の構想」『楽しい授業』1994.1月号

 

 板倉さんは授業書〈ものとその所有〉作成の構想をずっと持っています。〈ものとその所有〉の構想という話は,1978年の『模倣と創造』(仮説社)という本にすでに出ています。1979年8月に箱根で開かれた「歴史の授業書作成研究会」には,次のような文章を発表しています。

 

「なんとか社会科学の授業書をひとつ作ってみたいーー私はこれまで〈ものとその所有〉〈戦争と平和〉〈公平と不平等〉〈歴史と人口〉〈歴史と年代〉といったテーマを頭にえがいてきた。


 この言葉を受けて,私(井藤)が研究を開始するのは1988年のことでした。その後,東京の仮説会館で開かれている「授業書開発講座」に通い始め,1993年1月,8月に調布で,2回の「井藤案〈ものとその所有〉検討会」を開きました。

 その後,研究が止まってしまいましたが,私の思いは消えておらず,2017年に新しい版を出し, 2023年ようやく本格的に研究を再開したというわけです。

 

⚫︎〈ものとその所有〉研究はなぜ止まったか

 私はなぜ〈ものとその所有〉研究をするのでしょう。それは「板倉さんが[ぜひいつか作りたい]と言ったからです。でもそんな主体性のないことでいいのでしょうか。

 私(井藤)自身は,本当に「近代的所有権思想はすごい」「みんなにも学んでもらう価値があることだ」と思っているのか。それを考えたいとずっと思っていたのです。

⚫︎〈ものとその所有〉の問題点は

 どうして〈ものとその所有〉研究がストップしてしまった。最大の原因は,作成した問題の答えを「法律」に依ってしまったということでした。板倉さんは次のように言います。

 

 〈ものとその所有〉という授業書では,最終的には法律が出てきたりします。しかし,基本的には「法律があるからこれは私のものだ」というのではなく「これは私が労働を注いで得たものだから私のものだ」という自然権的な主張があって「それを死守しようとする人びと」が現れる結果「社会があとからそれを追認して法律化するのだ」という筋書きにしなければいけない,と考えています。そうしないと,社会が発展して多様化するとともに,新しい種類の労働が問題になり,新しい所有が発生することが理解できないからです。 板倉「授業書〈ものとその所有〉の構想」『たのしい授業』2004.1月号

 

 どうしたら「法律に依らない」という筋書きができるのでしょう。

 そんなとき,川島武宜(1909-1992)の『所有権法の理論』(岩波書店1949,全354ページ,川島が書き上げたのは1947)という本を見つけました。この本の内容を紹介しながら,〈ものとその所有〉の展開を考えていきたいと思います。

 

⚫︎『所有権法の理論』はどんな本か

 この本は,川島が東京大学法学部で1942年から続けた講義をもとにして書いた。「はしがき」(1947年1月)には次のように書かれている。

 

 当時の言論事情の影響を受けて,ところどころ情けなくもゆがめられており,本当は手直ししたいのだが,私はこの本を栄養失調による眼底出血を患い,なかなか思うように行かない。

 それにもかかわらず,聴講生の中には「日本の封建的・半封建的諸関係に対しる認識と批判」とを把握した者が少なくなかった。

 この講義を聞いた学生はほとんど全部戦線に出た。少なからざる学生,永遠に帰っていない。本書を,これら戦没学生の逝ける魂に,かぎりない友情をもってささげたい

 


⚫︎唐突ですが「独居老人になったら,どうする」

[質問0]

 あなたの地域には「隣組」「町内会」はありますか。あなたはそこに入っていますか。

ア. 「隣組/ 町内会」があって,そこに入っている。

イ. 「隣組/ 町内会」があって,そこに入っていない。

ウ. 「隣組/ 町内会」はない。

 これは私の住む地域では「隣組」があって,12軒で年に1回,毎年,新年会を開いたりしています。その場での議論です。

[質問1] 

 最近,夫がなくなって独居老人になった人がいます。何となく「引きこもり」になっているようです。あなたなら,どうする?

ア.  声をかける。お茶に誘うなど。隣組で支え合っていこう。声をかける。お茶に誘うなど

イ.  それは,その人が乗り越えていかないといけない問題だ。見守ろう。

ウ.  その他

「とんとんとんからりんと隣組」1940発表

 

4. 何軒あろうと一世帯,こころの一つの屋根の月,まとめられたり,まとめたり

 

協同主義

「義理/人情」支え合う

何とかしてもらう,家族的

穏便に

協同体

個人主義

 どうしても一つ自分のつるはし掘り当てる所まで進んでゆかなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし堀り当てることが出来なかったなら、その人は生涯不倫で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。夏目漱石『私の個人主義』犬塚『教師6年プラス1年』(仮説社1972)より


 wikipediaによると

隣組(となりぐみ)は、概ね第二次世界大戦下の日本において,各集落に結成された官主導の銃後組織である。大政翼賛会の末端組織町内会の内部に形成され、戦争総動員体制を具体化したものの一つである。

 

 川島(1949)は,「日本の社会における非近代的諸関係(特に農村における)」が日本を戦争に導いた,と言います。そして〈それを乗り越えることが本書の目的である〉とも言います。

 つまり「みんなのために我慢する=欲しがりません,勝つまでは」「自分よりも家族/地域を優先しよう」ということが,戦前の日本の最大の問題だった,と言うのです。

[質問2]

  『所有権法の理論』の「はしがき」「はしがき」(1947年1月)には「アトム」という言葉が出てきます。それはどういう文脈で出てくるのでしょう。

ア.  「科学」の問題として

イ.  「政治」の問題として

ウ.  「社会」の問題として

 

川島(1949)「はしがき」から                    

 本書の課題は「近代的所有権」の理解,それに対立する日本の所有権の理解である。

 また,近代的所有権の「アトミズム」について,ドイツの理論を輸入したことが,わが国において非近代的な諸関係を謳歌し,これを固定させるさせる方向への反動的意味をもち得たという事実。

 (p.34)イギリス・フランス・アメリカなどの「近代的所有権」に対して,ドイツにおいては協同体破壊的な,いわゆるアトミズムとして非難された。つまり,一人一人がバラバラでなく,社会は「有機体」でなければならない。


⚫︎「自由」とは何か

[質問3]

 もしあなたの子ども,または孫が引きこもりになり「そんなのオレの自由だろ」と言ったら,どうしますか。

ア.  どうしようもない。放っておく。

イ.  何か言う。何かする。

⚫︎川島「所有権を通じて自由が実現できる」

 川島は,次のように書いています。          

自己意識=まず自分が独立の他の何人も隷属しない主体者(アトム)

他者意識=他のすべての人間も同質的な主体者 

                   認識し尊重する

⚫︎わが国(特に農村)

 義理と人情,忖度,何とかしてもらう,何となく

          →所有権を「権利」として主張×  

              所有権の侵害× 泣き寝入り

⚫︎すべての人が互いに他の人の固有の支配を尊重し合う 

           =反射して自らの所有権の承認尊重  

    →「観念的な絶対的な近代的所有権」の成立 

    一人,一人が,さらに高い「幸福感」をめざすこと (↓板倉「幸福論」を図示したもの)

⚫︎「所有権」→ヒュマニズム → デモクラシー

    自己意識(人は何もみな自らに固有の支配領域を持つという意識, 国家権力からも分離)

       =所有権を通して主体者の「自由」が実現される。

    

    他者意識(他のすべての人間も同質的な主体者,認識し尊重する)

                              ↪︎「権利/義務」

           最初は「損得」で動く→高い意識になる(遵法思想)と,普遍の自由

        これが「ヒューマニズム」

              それを守るような政治が「民主主義/デモクラシー」

[質問4]

 「所有権=これは自分のものである」という考えは,いつ生まれたのでしょう。

ア. 原始時代から       イ.  古代ギリシャから       ウ.  中世         エ.  近代

 

 「所有権」は,大昔からあります。人々が物々交換すれば,人のものが自分のものになります。「労働を加えれば自分のものになる」も大昔からです。

 

 土地の所有は,時代によって変わってきます。中世になって,イギリスでは「謄本所有」といって土地所有が書類で証明されるようになり,「囲い込み」で自分の土地を明らかにするようになり,土地所有が鮮明になってきます。

 

 資本主義の時代になれば,「労働」を「お金」で売り買いすることもできるようになります。

 

 「自然法」というのは,その「歴史的形態」に束縛されて現れてくるものです。ずっと普遍なものではありません。トマスアクィナス(1225-1274)もグロチウス(1583-1645)もホッブス(1588-1679)も,その時代背景に基づいて「自然法」を述べました。

 


[質問5]

 川島(1947)は「日本に〈近代的所有権のアトミズム〉がないことが,戦争への道につながった」と言っています。日本やドイツは「〈協同主義的(有機体的)所有権〉だった」というのです。

 では「協同主義 (協力して,助け合って)」はいらないのでしょうか。

ア.  アトミズム(個人主義)だけでいい

イ.  有機体的な協同主義(協力して,助け合って) も必要

ウ.  どちらとも言えない

 

⚫︎戦後75年,日本的仲間意識は本当に必要ないのか

 外国人が感じた「日本の良いところ」ベスト5!というサイトがあります。▶️https://japanese-tradition.com/good-place-tourist-felt-japan/ そのベスト5は,次の通りです。

1位 平和で穏やかな人々(昼でも夜でも気にせず外を歩ける)

 


2位 移動手段の便利さ,道がきれい(電車が時間通り,ゴミが落ちていない)

3位 安くて美味しい食べ物がたくさんある(日本は食べること自体が喜び)

4位 祭り,住まい(浴衣,お風呂,畳,祭りと屋台)

5位 礼儀正しく親切な人が多い(礼儀正しい,寛大)

 私は,旧街道を歩くのが好きですが,外国人女性の1人旅にしばしば出会います。「女性が1人で旅ができるのは日本ぐらい」とある女性は言っていました。

⚫︎日本のいいところはもう一つ,仮説実験授業があるところ

 もし『ものとその所有』ができるとしても,「近代的所有権はすばらしい」とか両手を挙げて讃美するのは間違いかもしれません。それが生まれ育ったイギリス,フランス,アメリカといった国々は「日本よりいい」とは思えないのです。

 「近代的所有権」とともに,本当の意味の「ヒューマニズム」「民主主義」のことを考えないといけません。

 夏目漱石が「私の個人主義」という文章をあります。それは夏目がイギリスから学び,日本流に手をくわえた「個人主義=ヒューマニズム」が書かれています。

 そんなことを考えながら『ものとその所有』を書き始めたいと思っています。

 

⚫︎兼子訳『すてきな女性 ジェーン・マーセット』元版 1993

 Bette Polkinghon が書いた上記の本を,私家版ながら,兼子さんが訳してくれました。その中からの文章です。

「第3章 政治学をわかりやすく」p.106

  その品物にかかった労働力の総和が、品物の価値を決めると言う意見を退けて、ジェーンはフランスの経済学者 J.B.Say の品物の価値は「どれだけ役にたつか?」によって決まると言う説を選択しました。

 

<品物が役に立つかどうかで価値が決まる> キャロライン(本の登場人物 生徒役)を通して語っています。 本の中でキャロラインは品物が役に立つかどうかで価値が決まるという事を、次のように話します。

「品物それ自体に価値があれば人々は喜んでお金を払うわ。」

キャロラインは品物の価値はどれだけ労働をかけたかによるという理論を受け入れずに、次のように語ります。

「おば様の言う労働は品物に実用性を与えた時だけ価値があるわ。 人が実用性もなく、珍しくもなく、美しくもない商品を組み立てたり、製作したりしてもその労働は品物に価値を与えた事にはならないわ。 その品物を売ったとしても買い手はつかないわ。」

 

 この有力な意見を言ったことで、ジェーンはまた一歩前へと歩みを進めました。1870 年のジェボンズの説を先取りしたのです。

   <貧しい人を雇う事は富を蓄え、金持ちになるための第一歩になるはずです> 中産階級には自分の資金を貯めて増やすようにと、そして低所得者層にはしっかり働く ようにとメッセージを送っています。こう書いてあります。................... 

 

⚫︎「労働を加えれば所有が生まれる」→これは本当か

 丸山徹『ジェヴォンズ評伝』慶應出版1986にこうあります。

       「労働を加えると所有が生まれる」→労働価値説の一面性                                                                                                                                                                                                                   ⚫︎「リカードが標榜する労働価値説の一面性と,それを基礎する各種社会主義思想⚫︎

それに対して,ジェヴォンズのことを丸山徹は書いています。

 つまり「労働を加えても所有(価値?)が生まれない場合がある」と言う。なんとなく「所有=価値」のような気がして読める。

⚫︎「マルクス経済学」と「近代経済学」

 「先の見えすぎ,お先真っ暗」?????

⚫︎結局,『ものとその所有』をどうするのか

 もう決まっていること。2024年秋に発表会,大阪,なわてサークル

 

 

川島武宜『所有権法の理論』岩波書店,1949(40才),書いたのは1942-49「民法第一部」特別講義,

 

1909-1992  東京大学卒業後,助手1932,助教授34,教授(1945),学位論文『所有権法の理論』69

 

はしがき(1947.2月)(1947年1月に最終章を書いた,栄養失調で眼底出血を患った)

 目的→近代的所有権の法社会学的諸関係

    日本社会における非近代的諸関係の止揚ー特に農村におけるーという現実的課題の解決

    日本の非近代的諸関係・非近代的社会規範

          ー対象的な近代的所有権の典型を描き出し,分析する

    近代的所有権 ×  日本の所有権

   ドイツから「近代的所有権のアトミズム」の輸入,

     日本で非近代的な諸関係を謳歌し,固定させる方向への反動的意味を持ち得た事実

 経験科学として成立し得る

 

 目的→近代的所有権を「唯物的」「ユダヤ的」「アトミズム的」として排撃する ×

            神聖不可侵,絶対的なものと賞賛する ×

                 善玉,悪玉ではない

           聴講生の中には「日本の封建的・半封建的諸関係に対する認識と批判」

この講義を聞いた学生はほとんど全部戦線に出た。 

  少なからざる学生,永遠に帰っていない。

  本書を,これら戦没学生の逝ける魂に,かぎりない友情をもってささげたい。

 

第1章 序説 (p.1)

 1 所有権についての実用法学上の概念 (p.1)

       (1)所有権=人と物との関係

       (2)    論理的(根拠は法律そのもの)  ×現実的ではない

   結局は「私のもの」←具体的,歴史的,いかなるものが現実的か,を問題にしないとダメ

 

 2 現実的存在としての所有権 (p.5)

⚫︎1言うまでもなく「外界の自然に対する支配」 (p.5)

人間の生活とともに始まる 生産(労働)

自然法(グロチウス)  永久 具体的な歴史形態とともに

歴史的問題 人間 対 人間

     ↪️ただしギールケ(ドイツ)は協同体(みんな)

⚫︎2「外界の自然に対する支配」の具体的な仕方 (p.7)

生活資料の生産の仕方 ←協働のしかた / 社会的関係 →諸生産力

支配者 →要求・命令 (規範の総体)

→社会的に承認「権利」 ×これは私のものだ!!!

          法/権利によって隠れる

 

⚫︎3近代的所有権の場合 (p.8) 

     所有権は 私的モメント →「近代的所有権」

          社会的モメント →「契約」     分離する

   物を人が私的に支配 / 所有権は「物化」

1個人が外界的自然の支配

2契約によって社会的関係

   ×法が作り出すのではない ◎歴史的社会関係なのだ

 

×誤れる個人主義だ!  (p.10)

反対(1) もし〈団体〉と言っても,出発点は個人だろ

社会科学は,社会的個人から出発する場合のみ,人間を物から解放し,

       ヒューマニズムの立場に立つことが可能になる。

反対(2) 近代法はアメリカ/フランス/イギリスで発展←個人主義,基礎に個人の「自由な意思」

典型的な近代社会において,一切の「共同体」的関係は消滅する →中国?ロシア?

    法は個人が出発点 「近代市民社会の成立」

 

 3 法哲学における所有権の地位 (p.14) 歴史

(1)人間の生存は,生産(外界的自然に対する支配)と結びつく (p.14)

     「私のもの」諸主体社の間の対立関係 / 社会的モメントの媒介 

1余剰生産物の交換

2分業の成立(原始共同体内で)   分業=所有権

3諸家族の分裂

     生産手段の支配=労働力の支配   所有権(人間に対する支配を含む)

      所有権は,全社会構造の(法の)発展の原動力

(2)生産手段の私的所有権 (p.16)

   奴隷制(土地) 封建制(土地) 資本主義制(工場/お金)

                   全く所有しないもの(階級 / 労働者)

   ヘーゲル。主体的な個人(自由意志)    →   発展

                   (基礎は所有権)

(3)近代的所有権は,民法,契約法,近代法のすべての法的諸形態の端緒基礎(p.18)

  全発展の機動点,機動力

 

 4 本書の目的・構成 (p.23)

 

第2章 近代的所有権の私的性質 (p.23)

 1 近代的所有権の論理的構造 (1)商品交換の法的カテゴリー (p.1)

近代的所有権は,私的所有権の1つの型態

②商品,交換,契約 →人格(価値)

③歴史(p.27) 余剰生産物

   1原始(物々交換) 2古典古代 3中世(生産/流通)

      奴隷    農奴,家長制,

④近代の歴史(p.28)  飛躍的発展

  一切のものが商品=商品的私的所有権の客体(私有財産制)

    契約(すべての人間関係)普遍的,抽象的,端緒的型態

1所有,非所有の対立(明確に)

2契約は1側面 ← ×身分より契約 (労働力も商品)

3分離,開放の徹底「自由」「人格」

 

⑤所有(売る)→(商品交換)→購入  自由,社会性

 

自由1「所有権の私的性格」のみ

    ↓ 私的性格(自由) 社会的性格

   啓蒙期の自然法理論 🍎 🍇自然状態における所有権

 「使用 / 収益 / 処分」 自由な無制限な昨日の総体

(p.34)

独立の運動 →権利の濫用!

     封建的協同体的な制限拘束からの解放(イギリス,フランス,アメリカ)

現存の封建的協同体的な制限拘束の維持(ドイツ,日本)

  「協同体破壊」「Atomism」と批判

 1800年代 ドイツ歴史学派(ギーリケ)

 1900年代 ナチス,日本(後進の資本主義経済社会) 

  前近代的な「協同体」的諸関係の解体過程

  資本制的な再生産の構造的連関         まだ確立されていない

   所有の孤立的な私的側面のみが前面に

自由2

 権利の濫用  所有権の私的性格そのものの否定,社会からの信託,義務,道徳を含む

  無政府主義,共産主義,  私的所有権制度一般を攻撃

   国民協同体,ナチス,日本→公益の利用に適する/私権は公共の福祉のために

 

 2 近代的所有権の論理的構造 (2)近代法体系の構成 (p.38)

①私法と公法とへの法系の分裂と立 

 

 

  近代的所有=特殊(他者の排斥), 交換を起点として私的性質=値以外の何にも決せられない

                      →  値の人格か=所有者の意思の自由

  自己完結的存在←→力 (必然的)

    私的所有→契約,人格,自然法論 (イデオロギー)

     近代的公法←→近代的私法    近代家=近代私法

                      社制の立化した現象形態

      人格→主性→市民

   所有の私的性格と自由→制と必然性(分裂と立)

p.41   経済統制法(時中)

    所有の私的=私法的性質そのものを否定

    公法と私法との分裂と立とが消滅(ナチの者が言うように)  →統一的な民族共同の法秩序

                      →全的秩序の有機的部分(人格の代わりに「手足的地位」)

                            →「社主義」に

 

② 1私的所有と2契約と3人格とは,法の系の中において,相互にいかなる係をつくる (p.44)

   古代は1,2,3は同一,分業によって相互依存係に

   物法,債法→小作,入漁,泉 制限物→占有,入会  (p.48)

③物と債とは,近代民法において,技術的構成,用法的ドギマをもつ  (p.51)

   物(物的)直接に物を支配する利,  債(人的)債務者の行を媒介

 3 近代的所有権の法意識 (p.62)

1

 法規範,人々の意識(遵法精神etc)

 法=人の意識に対する命令=人の意識を媒介にした現実の秩序(道徳)   (p.63)

    →歴史的生産関係,歴史によって違う  → 法が妥当になる,不可欠

  権利・義務(主観的な意識)=主体的な人間の間の関係としての特殊・法的な法規範

 

資本主義社会

 近代法においてはじめて人間精神の主体性が確立された,法秩序を支えるモメントに。(p.64)

 近代的所有権の法意識=近代的所有権を支え

日本は? 近代法典の輸入・制定 ×  民衆の特殊=近代的法意識の確立

 

2

 自己意識=まず自分が独立の他の何人にも隷属しない主体者(アトム)              (p.65)

他者意識=他のすべての人間も同質的な主体者   認識し尊重する    社会的に媒介された主体性の意識

 

(1)人は何もみな自らに固有の支配領域を持つという意識 = 自由

                          ↪︎「権利/義務」現実的存在になりうる

  〈人が外界的自然に対してもつところの支配〉現実的具体的となる

       ↪︎主体的自由→物的世界における客観化

   近代的精神の自由(p.32)が基礎づける

所有権を通して主体者の「自由」が実現される。

 ↪︎侵害,高い精神的倫理的価値「権利のための闘争」

    権利の強い意識,感情(主体性)が欠けている→法× 正義×

「所有権の範囲」「公と私」

 

⚫︎わが国,特に農村,義理と人情,人情的,何とかしてもらう,何となく

            →所有権を「権利」として主張×  所有権の侵害× 泣き寝入り

 

(2)すべての人が互いに他の人の固有の支配を尊重し合う =反射して自らの所有権の承認尊重    (p.67)

  →「観念的な絶対的な近代的所有権」の成立

 法人,株式会社,

 近代国家 →統制品の横流し× 官物の私物化,

⚫︎わが国(深く遺憾とする)(p.68)

 家族的な諸の協同体 個人の主体的意識×      家族の外部に対する関係→他者否定的な利己主義

                                  (家族的利己主義)

(3)自由 (p.68)

 1「自由」な主体者としての自己意識 ×(矛盾)  2社会規範 

        ↪︎内面化,自発的に守る,内からの命令,自らに対する立法者・裁判官,内面的強制

     カントの言う近代的道徳

  近代的人格の「自由」は市民社会においては社会的にのみ存在し保障される

  法規範は,本来的に人に対して外から対立するものではない →特殊=近代的市民社会構造

「近代的所有権」はそれだけの理由で尊重される

⚫︎わが国,法意識は確立されていない「盗むのも悪いが盗まれるのもバカだ」  (p.70)

 まだ市民社会が確立されていなかった

 実践的課題→民主主義革命「我々1人1人が自由な主権者として経済的社会的政治的に確立される」

4 (p.71)

自由は見えない

「自由」←人は,商品所有権の自由=人間的自由の意識(市民一般の意識) 

形式的に存在  ←近代的所有権は,支配・強制の媒介者・基礎として意識の前に現れる

            所有×非所有  資本所有者×賃労働者

                          労働力は「商品」として「社会的」に

                          ↪︎人格の支配・強制→「労働法」成立

 4 近代的所有権の史的成立 (p.73)

1 史的成立過程=資本制経済の史的成立(p.73)

 

2 原始社会以来,存在している(p.74)

 

3 わが国における近代的所有権確立の過程,明治以降 (p.80)

 

 

第3章 近代的所有権の観念性と絶対性 (p.102)

 1 問題の所在 (p.102)

 2 所有権の観念性の歴史的性格 (p.105)

 3 物権的請求権 (p.122)

 4 占有訴権 (p.136)

 

第4章 商品所有権の流通

第1部 所有権の商品性

 1 序説

 2 所有権内容の統一性

 3 所有権の客体の物質的統一性

 4 所有権主体の統一性

第2部 物権取引法

 1 序説

 2 物権取引の事実的過程とその法的構成の発展

 3 フランス民法,ドイツ民法

 4 日本民法における物権取引の法的構成

 5 物権取引の公示

 6 物権取引における公信の原則

 

第5章 資本としての所有権

 1 資本としての所有権ーその抽象的端緒的型態

 2 資本としての所有権の具体的な発展型態ー1信用によって媒介せられる諸型態

 3       ゝ               ー2会社により媒介せられる諸型態

 4       ゝ               ー2独占資本,金融資本における諸型態

 5 総括

 

索引

 

まえがき

 この本の表題は「ものとその所有」です。「所有」という言葉は,インターネットには次のような言葉が載っています。

 自動車の所有者,知的所有権,英語の所有格,所有地

辞書で「所有」を引くと「自分のものとして持っていること」

とあります。

 この本は副題として「近代を開いた思想」と掲げました。「所有」というのは,そんなに深い意味のある言葉なのでしょうか。

 突然ですが,次のような質問に,あなたならどう答えますか。

「だれのものでもないもの=無所有のもの」といったら,何が思い浮かびますか。

 ある小学校で,聞いたらこんな答えが返ってきました。

  空気,水,太陽,火,土,木,のら犬,のら猫,鳥

 これらはすべて,本当にだれのものでもないと言えるでしょうか。この中で「空気」は,どうでしょう。

 東海道新幹線は,1964年に開業したのですが,どの車両でもたばこが吸えました。現在は,すべての車両が禁煙になりました。レストランや,学校,公共施設も同様です。たばこを吸わない人にとっては,自分のまわりの「空気」を汚してほしくないのです。

 さらに「地球温暖化」が問題になり,多くの二酸化炭素を空気中に吐き出されて,対策が急務になっています。

 こうやって考えると,「空気」は必ずしも「だれもののでもない=だれもが自由に使ってもいい」とはいえそうもありません。

 「水」や「太陽の光」も同様です。「海の水」が汚されたり,「日照権」が侵害されたりして,社会問題になったりしています。

 「だれかのものかどうか」ということを「所有」といいますが,「所有あり」「所有なし」はかんたんな問題ではなさそうです。

 この「所有」について,教育学者の板倉聖宣(1930~2017)は次のように述べています。

 

「社会の科学では, 自然科学の〈重さ〉の概念に相当するもっとも基本的概念として〈所有〉という概念があるのではないか」というのが, 私の着眼点であるわけです。板倉「森羅万象分類学入門の構想」『楽しい授業』1994.1月号

 

 仮説実験授業の〈ものとその重さ〉は,数ある授業書の中でも定評があります。それと並んで「〈所有〉という概念を教えることには価値がある」と板倉は言っているのです。

 それは「所有概念」が近代を開いた思想だからです。

 法学者の川島武宜(1909-1992)は,『所有権法の理論』(岩波書店1949)の中で,「日本に近代的所有権概念がなかったことが,不幸な戦争へとつながった」と書いています。つまり,

「お国のためなら命をすてる」とか「欲しがりません,勝つまでは」というスローガンは,多くの人を戦争に駆り立て,自分の命を捧げてまでも,戦争を遂行したのです。

 川島は「栄養失調による眼底出血を患い」ながら書いたといいます。そして,次のような言葉で「まえがき」をしめくくっています。

 

 この講義を聞いた学生はほとんど全部戦線に出た。少なからざる学生,永遠に帰っていない。本書を,これら戦没学生の逝ける魂に,かぎりない友情をもってささげたい。

 

 それでは本文を見てください。

 第1部「授業書〈ものとその所有〉」前半

 第2部「授業書〈ものとその所有〉」後半 第3部「授業書〈ものとその所有〉」の解説

 第4部  所有権,自然法の歴史

 第5部  レコード・ラジオの発明の音楽著作権

 第6部  所有権とフリー(無料)

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