第1部
⚫︎その1 『1日1話板倉さんのことば』の反響
何人かに、この本を贈ったところ、いくつか感想(好意的/批判的)をもらいました。
⚫︎1 「この種の本」は好きではない。
⚫︎2 ひょっとしたら井藤語録なのかもしれない。
この本の最初は、水口さんが「板倉さんの言葉」をfacebookに掲載して、それを元に議論したことです。その後は、井藤が多くを書きました。
書いた方法は「仮説実験」です・つまり、
1書きたいテーマを見つける。 例えば9月1日なら「防災」
2そのことを書いている板倉論文を捜索する。
捜索する場所は、主に「あのな検索(難波)」「アリがタイなら倉庫(正男)」
3「ひとこと」を考える。
それで「井藤語録」っぽく思えるかもしれません。けっして「最初から板倉さんの言葉を載せたもの(この種の本→『毛沢東語録』『親鸞の言葉』のように)」でありません。
ということで、いろいろな人が『わたしの板倉さんのことば』を作ればおもしろいのでは。板倉さんの講演記録は長いので全部、読むのはたいへんです。短ければ読むのがかんたんだし、そこから原文にもどることもできます。こういう仕事も「板倉さんの仕事を継承することの1つ」だと思っているのですが、いかがでしょう。
[問題1]
私は『1日1話』を出すとき、掲載する言葉の著者に承諾を得ました。ただなくなった人は、承諾がとれません。でも板倉さんには、著作権の継承者(娘さん )がいます。その人に承諾をとった方が良かったでしょうか。
ア. とった方が良かった イ. あえて取らなくでもいい
私は「イ.あえて取らなかった」のだが、その理由は「拒否されたらどうしようもない」と思ったからです。娘さんとは面識もないし、著作権という法律を越えて「後ろ表紙の絵をやめてほしい」など感情的な問題にも発展しかねない、と思ったからです。もちろん後ろめたい気持ちもあります。
⚫︎竹内三郎さんからのアドバイス
最初の『冬』を出したとき、竹内さんは次のように言いました。
1竹内の文章は載せても良い。
2仮説実験授業研究会以外の人の文章は載せない方がいい。
3ただし「ひとこと」の欄に引用する形なら良い。
みなさんは、どう思いますか。「著作権」が絡んでくる問題です。
⚫︎その3 犬塚さんが始めた板倉講演のテープおこし
板倉さんの文章はたくさん残っています。その最大の功績者は犬塚清和さんです。彼は、板倉さんの講演を「勝手に」起こして自分のガリ本に入れ、研究会内に配布しました。
そうしたガリ本文化は、研究会の「文化」となりました。板倉さん以外の文章も同様です。そうして自由に討論できる文化が創造されたのです。
ただ、それは研究会内の話です。外では「非常識」になることが多々あります。たとえば『1日1話』ですが、そこに掲載させてもらった人には「許可」を得ています。ただしなくなった人(「板倉」「山本」など)は別です。外の常識なら「著作権者の許可を得る」ことが必要かもしれません。それはしていません。
ということで『1日1話』は「ガリ本(私家本,ちょっとあやしい本)」です。それで、あえて2つのことを気をつけています。
1国会図書館には送らない(文献一覧には載っていない)
2ふつうの人は買えない(仮説社やアマゾンのサイトからは買えない)
⚫︎第2部 著作権はだれのものか ー歴史と未来ー
その1
こんな問題がありました。(井藤〈ものとその所有〉ver12. 2017年1月
[問題]
音楽にも,「所有」があるでしょうか。
予想
ア. 音楽にも「所有」がある。(だれもが自由に演奏したり聞いたりできるわけではない)
イ. 音楽には「所有」がない。(だれもが自由に演奏したり聞いたりしていい)
ウ. どちらともいえない。わからない。
この問題の答えは
(1)法律による? (2)自然法による? (3)その他?
最近になって、京都サークルで舟橋さんが「〈ものとその所有〉が気になる」「論拠となるのは法律ではないのでは」と言ってくれました。
問題となるのは、次の2つだと思っています。
1 「所有」のあるなしは、法律が決めるのではない。
2 あるものの「所有」というものは、時代とともに変わっていく。
「音楽の所有」を例に「〈ものとその所有〉問題」を考え直すきっかけにしたいと思います。