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『模倣の時代』あとがきの追加の追加

⚫︎この文章の「あやまり方」はすばらしい

 謝らなければならないことはよくあります。どうやって謝るか。その1例がこの文章です。謝られた方は「もう文句が言えないだろう」と思います。事実、山下さんは、以後、板倉さんへの公の中傷はしていません。見習いたい。(井藤)  この仕事はすべて水口さんです。保存のため、ここに入れました。

『模倣の時代』あとがきの追加の追加

                                 板倉聖宣 (1988年4月1日)

              (編集責任=水口民夫  2023.5.29)

 

本書が出版されて間もなく,著者として不明を恥じなければならない重要な事実を知りましたので,とくに「あとがきの追加の追加」という文章を書かせていただきます。 

じつは,本書に書いてきた「脚気の歴史」の一部について,私より前に,部分的にはこの本の内容よりもずっと詳しくもあるすぐれた論文がすでに発表されていたことを知ったのです。そこで,その著者のプライオリティーを尊重するためにとくに書いておきたいのです。 

本書の中でも,江戸時代までの脚気の歴史については,東大医学部第1内科の山下政三著『脚気の歴史-ビタミン発見以前』(1983)という優れた著書があるということを言及しておきました(たとえば,上巻45ページ)が,じつは,その著者の山下政三氏は,明治以後の脚気研究史についても何篇もの論文を発表されていたのです。すなわち,次の通りです。 

A.    山下政三 「治療の歴史-ビタミンB1(サイアミン)」『治療学』4巻3号,1980年3月 (治療学編集委員会『治療の歴史断章』

ライフサイエンス出版,1986年刊に収録) 

B.    山下政三「脚気とビタミン  炉辺ばなし」上中下(1,2)

『UP』(東大出版会)1983年 2~5月号 

C.    山下政三「脚気の歴史 ―ビタミン発見史」 ①②③ 

『BIOmedica』 1987年2~4号 

D.   山下政三「明治初期の官立脚気病院の設立と医学的意義」上中下

『日本医事新報』1987 年11月 

 

私は,本書ができるとすぐに,山下政三さんにその『脚気の歴史』を引用させて頂いたお礼と先生の先駆的なお仕事に敬意を表するために本を贈呈させていただいたのですが,そのときになってはじめて,山下さんがすでに上記の論文を発表していたことを教示して頂いて驚いたのです。これらの論文は,本書のような本を書く上でまったく貴重な存在です。それらの論文は,どれも私のような人間の目に入りにくい雑誌に発表されたとはいえ,私がそれに気づかずに本書を執筆したのは迂闊なことでした。そこで,「私が本書執筆以前にこれらの論文を読んでいたら,本書の内容をもっと豊かにできたところがあるのに」と,つくづく残念に思うとともに,その著者である山下政三さんのプライオリティーを尊重しえなかったことを申しわけなく思うのです。 

  山下さんは,論文Aの中で,すでに都築甚之助の仕事の重要性に着目しています。それに,鈴木梅太郎に関して私の知らなかったことに言及しています。鈴木梅太郎は,明治四十三年十月の医学会で講演した上で,「ユーキリン(有機燐)」が脚気に有効だとして,三共から売り出したことがあったというのです。そんな薬品は脚気に効かなかったわけですから,鈴木梅太郎がその後オリザニンを発明した時にも,当初はそれが無視されたのも自然な成り行きだったというわけです。 

論文Bは,出版社のPR雑誌に発表されたので,私にもこの文章くらいキャッチできてよかったと思われるのですが,それに気づかなかったのは私の全くの不勉強としか詫びようがありません。この論文には,脚気とビタミン研究の歴史がとてもよくまとめられていて,本書の内容とかなりよく似ています。そこで,私が本書で,先駆的研究としてこの論文に言及しえなかったのは,後に続くものとして先人のプライオリティーを軽んずるものとしか言えないので,お詫びせずにはいられないのです。それに,とくに脚気病院にしては,本書の中で何度か書いたように,私が探し得なかった資料も手にしてその顛末を略記しているのです。脚気病院の話は論文Dでさらに詳しく論じられているのですが,本書でそれらの話を引用・紹介できなかったのはとても残念です。脚気病院のことについてさらに深く知りたいという人は,ぜひ論文Dを手にして下さい。山下さんは,脚気病院で〈牛乳療法〉など私の知りえなかった治療法の開発が行われていたことをも紹介されて, 私とは違って,「脚気病院こそが近代脚気医学の産屋であり,近代脚気研究(わが国のみならず世界的にみても)の出発点なのである」ととても高く評価されていますが,私にはまだ納得しえないところがあります。 山下さんは,脚気病院の成果をとても大きく評価されるのですが,その後の日本の脚気研究者が脚気病院での治療成績をまったく無視していることはどう理解していいのか,私には納得がいかないのです。 

論文Cでは,とくに遠田澄庵の米因説の医学史的な意義をとても高く評価し,大胆にも,「遠田澄庵の米因説(米毒説)がショイベの脚気論文(明治15~16年)によって広く紹介された。のちに現れるエイクマンの有名な米毒説は,実は,この論文で紹介された遠田の米因説(米毒説)の模倣とみられるのである」と論じられていることが目をひきますが,これも知っていたら本書に引用させて頂きたかった話です。しかし,いまのところ私はこれにも同意を躊躇せざるを得ません。 

 

こんな訳で,山下さんの上記の諸論文は,脚気の歴史を知ろうとするものにとって魅力に満ちた論文です。本書執筆以前に私がそれらの論文を手にしえなかったことは残念でなりません。そのため,山下さんがすでにそれらの論文で明らかにして下さっていたことの一部を,本書で私自身の発見と思って書いたことを申し訳なく,また恥ずかしく思っています。私は本書の「あとがき」の606ページに,「遠田澄庵・堀内利国・都築甚之跡・遠山椿吉といった人物を掘りおこすこともできた」と書きましたが,少なくともそのうちの「遠田澄庵・都築甚之助の二人は山下政三氏が私より先に掘りおこしていた」と書き変えなければなりません。山下さんはじめ,読者の方々に深くお詫び申し上げます。 

しかし,だからといって,本書の全体が「山下さんの論文の趣旨を膨らませただけ」というわけにはいきません。石黒忠悳や森林太郎,三浦守治や緒方正親,村井弦斎のことには山下さんはまったく言及していませんし,堀内利国と遠山椿吉や志賀潔のことについてもごく簡単に触れられているだけです。堀内利国の麦飯採用の顚末,髙木兼寛・堀内利国と天皇との関係,大正七年の内科学会総会のことなどにも言及されていません。ましてや,私が本書で展開した優等生論や科学方法論などには全く言及されていません。それは著者が違うから当然なことです。本書の科学史書としてのオリジナリティは十分確保できるものと思っています。

もっとも,山下さんの上の諸論文は,本書とくらべればずっと紙数が少なく,言及できなかったことも少なくないに違いないと思います。そこで,私は一日も早く,山下さんがその前著の続編を著されることを期待しています。私は,科学史と科学教育の専門家として,脚気の歴史の示す数々の教訓に感激して,やむにやまれぬ気持ちで本書を著したのです。本当は,医者である山下さんの本が先に出て,それを見て本書のような本をまとめたかったので,首を長くして山下さんの続編を待っていたのでした。私と山下さんとは専門も関心も違うから,私の知りえないような沢山の新しい事実を明るみに出して下さるものと期待できると思ったからです。実際,上に挙げた諸論文がすでにそのことを示しています。それに,その続編が出たら,上の諸論文の内容は本格的にその新著に収録されることになることでしょう。そうすれば,上に紹介したような事実は多くの読者にも近づくことが容易になります。私は,「山下さんが新しくどんな事実を示されても,それは私が本書で展開した論旨全体をひっくり返すようなものにはなるまい」と思っています。それは,「山下さんの本が出たら,本書の読者の方々にも本書の内容をより深く理解して頂けるようになるだろう」と考えているからです。聞くところによると,その新著 『明治期における脚気の歴史』 は近々出版になるとのことです。本書の読者の多くの人々とともにその新著の出版を待ちたいと思います。 

 

2008年11月1日発行