⚫︎日本科学史学会年会シンポジウムで発表しました
2023年5月23日、早稲田大学
「仮説」とは何か。「仮説」は本当に大切なのか。板倉が言う「仮説実験的認識論」は本当に板倉が最初なのか。「仮説実験的認識論」は本当に大切な原理なのか。
そうしたことが、この発表のテーマである。
主な登場人物は、板倉聖宣とダーウィン、それにダーウィンの恩師にあたる二人、ハーシェルとヒューウエル。ダーウィンは世界一周の航海時、ハーシェルの本を持っていき、南アフリカにいたハーシェルに会いに行く。ヒューウエルには大学時代に直接教えを受けていて、『種の起源』の巻頭にはヒューウエルの言葉を掲げている。ハーシェルとヒューウェルは友人関係にある。
ヘラクレイトスは「予想」と言っているが、そこには翻訳の問題もあり、重要性を述べていることに変わりがない。それは「認識論」一般の話である。「仮説」の重要性は3段階にわたっている。ここでは「科学方法論」にしぼって発表する。
長谷川真理子も板倉聖宣も、仮説の重要性を述べている。ただ板倉は「だけ」と言っていて、強い。本当に「だけ」と言っていいのか。それもこの発表のテーマの1つである。
仮説の重要性を述べた人は、古代ギリシアからいる。ただ体型的に述べたのは19世紀になって、百科事典が作られるようになってから。ハーシェルは414ページにわたる書物で、科学の歴史と方法論を述べている。それは「科学方法論の書物の最初」と言っていいだろう。
実はハーシェルも、板倉と同様に「のみ」と言っている。そして3つの方法(科学研究の過程)を示している。その3つと、板倉の科学方法論には、違いがある。「仮説」の場所である。2番目に来るハーシェルと、最初に来る板倉。その2つは大きな違いなのであろうか。
ヒューウェルは、ハーシェルの「のみ」を批判している。そして同時代の「ドルトン原子説」も認めていない。友人のハーシェルに対して、ライバル心を燃やすように大著を書いた。
ヒューウェルとハーシェルとの科学方法論の違いは、ケプラーについての説明を見るとよくわかる。ヒューウェルの言う「仮説」は「作業仮説」のことである。それに対してハーシェルの「仮説」は、全体の筋を通す大きいもので、板倉と似ている。
●〈仮説演繹法〉とは何か、〈仮説実験的認識論〉とは何か
後世の科学史家が、ハーシェル、ヒューウェルたちの科学方法論を「仮説演繹法」と命名した。それは
、最初に「観察」が来る。板倉の「仮説実験的認識論」は最初に「仮説」が来る。
『種の起源』は「仮説実験的認識論」の流れで書かれている。ダーウインは、その道筋で、進化論を構築したと言える。
『種の起源』は評判を呼ぶ。ただ同時に多くの反論も生まれた。それは「機能的手続きを経ていない」つまり、仮説演繹法からの批判と言えるのではないだろうか。
『大陸と海洋の起源』は「仮説実験的認識論」の流れで書かれている。ウェゲナーは、その道筋で、大陸移動説を構築したと言える。地団研など、多くの地質学者は、それを認めることができなかった。
明治維新からの「脚気」の流行は、多くの死者を出し、悲惨な状況を日本の社会に作った。その過ちを
科学方法論(仮説演繹法か仮説実験的認識論か)」で考えるとどうなるだろうか。
3つの論文では、1から4のことが共通している。その中で「初期の段階(1から3の段階)」で、なぜ東大を中心とするエリート研究者(海外留学から帰ってきた人たち中心)は、「麦飯説」を認めることができなかったか。
東大などの専門家の多くは「伝染病説」に固執した。高木兼寛らは「栄養障害説」で対抗するが、それは「タンパク質などの栄養不足」という説明にとどまった。
(「仮説演繹法」的な「観察/討論」にとどまり「問題の明確化」が進めなかった)
「麦飯・玄米が効く」という仮説から出発できなかった。(仮説実験的認識論の道が取れなかった)
岡本が書くように「少数の専門家集団だけ」の「科学的」な議論に終始した。「2科学方法論」を超えて、もっと一般的な「1認識論」=「国民の命を守ることが第一」は問題にならなかった。
「正しい問題意識は半ば問題を解決したに等しい」という言葉は、「大いなる空想を伴う仮説から科学方法論は出発する」ということと等しい。
「脚気」の問題では、「正しい問題意識」つまり「脚気には麦飯・玄米が効く」を「仮説」として立てることができず「どうしたら麦飯・玄米を国民に普及させられるか」という「仮説実験的認識論」的流れに進むことができなかった。法則も見つけられなかった。ビタミンという概念が海外で作られて、やっと「脚気問題」は解決に進み始めた。
「仮説実験的認識論」的に考えることは、重要である。それは「2科学方法論」にとどまらない。一般的な「1認識論」や、教育での「3授業論」にも関わってくる。
「仮説実験的認識論」の研究・普及が課題である。