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ルクレチウスの描いた神

●宇宙人が驚いた、なぜ地球にはいろいろな宗教があるのだ

 インド映画『PK』は、こんなあらすじだ。

 宇宙人PKはインドに不時着し「地球ではいろいろな宗教があり、それぞれが対立していること」に驚く。自爆テロさえある。

 そんな彼PKは、ある宗教家と対座し、次のように主張する。

 この惑星=地球は非常に小さい。宇宙には、もっと巨大な惑星がいっぱいある。

 それなのに、あなたは小さな惑星で、小さな都市で、小さな部屋に座って、自分の神の話をしている。

 私の言う「神」は、宇宙すべてを動かしている。あなたの神と私の神とでどちらが本物の神なのか。

 私は、このPKが語る「神」の話を「どこかで聞いたことがある」と思った。

●原子論の語り部,ルクレチウスの語る神

 それは原子論者ルクレチウス(BC99頃-BC55)の語る神である。ルクレチウスは『宇宙を動かすものアトム』を書いて、エピクロスの原子論を広めた人である。そんな彼は「神はいない」とは言っていない。

 

 神々は、われわれの世界から離れ、はるか彼方で「永遠の生」を「最高の平安」とともに享受する。いかなる苦痛も危険もなく自分の力だけで世界を動かし、われわれを必要とせず、なだめられることも怒りに染まることもない(ルクレチウス『宇宙を動かすものアトム』2章646-651)

 

 つまり、「[宇宙を動かすもの]が[神=原子]だ」と言っているのである。そんな神は、何もせずに私たちを見守っているだけなのである。

 

 しかし、そんなルクレチウスの一句が、古代ローマで「原子論が抹殺された」原因となった。

 

 小池澄夫,瀬口昌久著『ルクレティウス[事物の本性について]愉しや、嵐の海に』(2020, 岩波書店)は、次のように書いている(pp.119-120)。

 ラクランティウス(皇帝の御用神学者)がエピクロスの言葉として引用するのは、ほかの箇所でもそうだが、実はルクレティウスの詩句(上の挙げた箇所)である。それが、エピクロスの言葉として引用されている。

 

 さらに、キケロ(B.C.106-B.C.43)もエピクロスを次のように批判する。

 もし、神が人間に対して感謝や友愛を感じないとすれば、「神よさらば!」だ。神は誰にも好意を寄せることがないというのに、どうして「神様、どうぞよろしく」と言えようか。

●古代原子論は、決して「神」を否定したわけではない

 ルクレチウスが語る世界観(=原子論)は、決して「神」を否定しているわけではない。キリスト教、イスラム教、仏教よりも巨大な「宇宙を司る神=原子」を主張しているのである。

 ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)は、そんな「ルクレチウスが語る神」を主張して火あぶりになった。「神がない」と言ったわけではなく、その主張が「無神論」と認定されただけである。

 『1417年、その一冊がすべてを変えた』(グリーンブラット著,河野純治訳,柏書店2012,原著は2011)という本がある。「ルクレチウスの本が世界を変えた」という内容である。つまり「その本の登場でガリレオなどの自然科学の発見を生み、ヨーロッパ中世のキリスト教中心の社会と対立して近代社会を作っていく」というストーリーになっている。

 その後、社会主義で主張される「無神論」とはもともと違っている。ルクレチウス(=エピクロス)は、神を100%否定しているわけではない。

●現代日本人の多くは「無神論」か

 現代日本人の宗教について2つの考えがある。

1 日本人の多くは、無神論になっている。

2 日本には、神社、寺院など、固有の宗教施設が古来からある。そういう日本人の宗教は「自然宗教」、あるいは「日本教」と呼ぶ人もいる。

 「宗教」について論じるのは難しい。海外の人との話題で、触れてはいけないことは「1宗教, 2政治」と言われる。しかし、海外の人に「日本人の宗教は何ですか」と聞かれることもある。

 私(井藤)としては、自分の生き方を考える上でも「宗教」という問題について、今後も避けないで、考えていきたいと思っている。