●1 アメリカの外国語教育の歴史がおもしろい
私(井藤)は、2014年から3年間、大学院に行きました。そこで「アメリカの住む外国人(ヒスパニックが多数)への外国語教育=つまり英語教育」について学びました。そのとき、なんども思ったのが「これって、仮説実験的認識論じゃないか」です。
今からそんな話をしたいと思います。その前に、まず「外国語教育」の歴史について概略をお話しします。典拠文献は高見澤孟『新・はじめての日本語教育2』(アスク2004)他です。
(1) 文法翻訳法(文法訳読法)
中世ヨーロッパのラテン語教育から始まった古典的な教授法。日本では、明治維新から学校教育での英語はこれ。英文を読んで、家で日本語訳にして、学校で答えさせる。先生は文法を中心に教える。日本では、外国語文献を翻訳して取り入れることが急務だったので、この方法が必要だった。だが、英会話には向かない。
私が日本人の英語を聞いていて思うのは「年齢が高い人ほど発音が悪い」ということです。それは学校教育の英語の質が年代によるからです。
ACTFL(全米外国語教育協会)では、英語のコミュニケーション能力を3つに分けています。
(1)解釈する (Interpretive)
(2)対人での会話する (Interpersonal)
(3)全体に提示する(Presentational)
英語力は3つの能力を伸ばすことですから、英文の本を読んでいるだけでは、英語力(特に会話力)は育ちません。日本の大学生は、(1)の能力はあっても、(2)(3)がないことが問題になっています。
(2) ナチュラル・メソッド
「幼児が母語を習得する過程をモデルとして口頭言語能力を目指す」方法です。しゃべることの訓練に力を注ぎます。そして、英語教育なら、日本語なしで教えます。1800年代に始まりました。
ヒッポファミリークラブも「多言語を赤ちゃんのように自然に習得する活動をしています」(ホームページより)とのことです。
(一言)
現在の言語学では、「同時バイリンガル(母語を話すように2言語を話す)」は「3才まで」と言われています。母語が確立して以降は「継続バイリンガル」です。それは「学習」によって習得されるものです。「ナチュラル・メソッド」は、現在では否定されています。
(3) 直接法
「ナチュラル・メソッド」だけでなく、多くの教え方では「母語使用禁止」です。英語教育なら、英語だけです。私は、ノバなどいくつかの英会話スクールに通いましたが、どこも「英語だけ」でした。また今は日本語を外国人に教えていますが、日本語教育も、ふつう「日本語だけ」と言われています。
(4)オーディオ・リンガル法(音声言語法)
「言語とは音声である」という考えに基づいて、文系の「型」を徹底的に教え込んで、単語を置き換えていきます。先生が英語をしゃべって「リピート アフター ミー」となる形が基礎です。
きのう学校に行きました。
→きのうスーパーに行きました。
→きのう公園に行きました。
第二次世界大戦中に、軍隊で徹底的に「型」を叩き込まれた方法が元になっています。
LL(language Laboratory)教室というのも、むかし中学校にありました。
(5)イマージョン(浸る)教育
英語ばかりの環境に「浸る」ことで英語力は向上する、という教育法です。1960年代のカナダで始まった教育法です。
海外留学して、英語ばかりの環境にいれば自然に英語ペラペラになるのではないか。ただ、それだけのお金があるのかが気になります。
「CLIL (クリル)」英語で他教科を教えるというものです。私自身も高校生に仮説実験授業をCLILしたことがあります。好評でした。
どのくらい学習すれば英語が話せるようになるでしょう。「1000時間理論」があります。つまり[1日1時間なら3年、1日10時間なら3か月]です。私は小学校の国際教室で全く日本語のできない外国人を教えていたのですが、だいたいどの子も「3か月で日本語をしゃべれるようになる」を経験しています。
●2 語学教育で、クラシェンの「インプット仮説」 1977
Stephen Krashen(1941年 -)南カルフォルニア大名誉教授
クラシェンは、5つの「仮説」(5 hypoteses) を出します。
1 習得・学習仮説 「幼児が母語を習得する」のと「教室などで意識的に外国語を学習する」は別。
2 自然な順序の仮説 外国語ができるようになるには「自然の順序」がある。順番に教えること。
3 モニター仮説
文法学習のような知識は、自分の発話のチェック機能だけ。
4 インプット仮説
まずは「聞くこと」、学習者の実力より少し高いレベルを。
( 実力[10]の人には[+1]のインプットを)。
5 情意フィルター仮説 自信がないと「フィルター」がかかったように、しゃべれなくなる。教師は、学習者が楽しく自信を持って学べるように。
どれも「当たり前」のように思います。しかしそれまでの語学教育が経験とカンに頼っていたところに「法則」をいくつか出しているのは、大きな一歩です。
インプット仮説は、「聞くだけでいい」を謳い文句に流行した語学教育「スピードラーニング」を思い起こします。
●3 「仮説実験授業」が北米(アメリカ,カナダ)に紹介される(1977)
仮説実験授業は、波多野 誼余夫と稲垣 佳世子によって1977年にアメリカの雑誌で紹介されました。
⏩Kayoko Inagaki, Giyoo Hatanno:Amplification of Cognitive Motivation and Its Effects on Epistemic Observation (American Educational Research Journal Fall, Vol. 14, No. 4, 1977) (1ページの見られる。全文見たい人は井藤まで)
その内容は、認知心理学の問題として、北米に浸透していきます。
三宅なほみは、次のように書いています。
これらで紹介された仮説実験授業は、板倉氏らのグループによってすでに十分練られた授業計画を元に教室での裏づけも豊富な実践であったため,Michael Stigler, Sara Michaels など積極的な研究者によって取り上げられ,協調的な学習環境デザインの一つの基本形として,北米の研究者の間に浸透していった。「追悼 波多野 誼余夫(1935-2006)」Cognitive Studies, 13(2), 147-185. (June 2006)
それでは、波多野稲垣は、どんな仮説実験授業に関する内容をアメリカに紹介したのでしょうか。
竹内三郎は、板倉聖宣著 舟橋春彦他編『Hypothesis–Experiment Class (Kasetsu) 』 (京都大学学術出版会,2019)の「前書き」で次のように書いています。
生徒の[間違い]は、教師がただ漫然と訂正すればよいというものではありません。[間違い]は「仲間(クラスメイト)」の理解や意欲を高めるために、極めて重要な役割を担っているのです。このことを十分に理解していないと「生徒の好奇心」を刺激することはできても、「深く持続的な好奇心」や「社会的相互作用を培うこと」にはつながりません。科学で重要な好奇心や社会的相互作用が育たない可能性が高いのです。
さらに、このような前提に立つと、「[間違い]は生徒が何らかの思考をしたときにのみ起こりうる」「認知は社会的行為である」という哲学的な理解に行き着くのです。(原文は英語)
この内容は、まさに波多野稲垣が仮説実験授業を北米に紹介したそのものです。
●4 レーガン大統領の『危機に立つ国家』(1983)
1980年代になると、自動車生産でアメリカは日本に抜かれます。レーガン政権は『危機に立つ国家』(1983)という連邦報告書をまとめます。そこには「成人の8%ほどが書籍・新聞が読めないような機能的に文盲である」「17才のアメリカ人の13%が機能的に文盲である」 「子どもたちの学力が下がり続けている」などが書かれていました。
翌年の1984年には、アメリカ教育研究所の研究グループが、大学教育改革のためのレポート『学習への関与(Involvement In Learning) 』(1984)」をまとめます。そこには「active learning」という言葉が出てきます。「特に大学教育で活動的(active)な学習(learning)をしなければだめだ」という内容でした。「一方的な講義式の授業をしていては、アメリカ人の学力はあがるはずがない」というのです。
仮説実験授業が北米に紹介されたのは、そんな状況になろうとする時期でした。仮説実験授業の考え方が「北米の研究者の間に浸透していった」のには、そんな背景があったのです。
●5 スウェイン、語学での「仮説検証」 1985
カナダの言語学者スウェイン(Merrill Swain)は「アウトプット仮説」を出します。言語習得には「インプットだけでなくアウトプットが大切だ」と言います。それは3点からなります。
1 ギャップに気づく。
[言いたいこと]があっても[言えない]自分に気づく。そして「勉強しよう」という意欲が起こる。
2 仮説検証。
学習者はアウトプットをする際に、いつもその中に[何らかの仮説]を暗黙的に含めていて、話してみて相手からフィードバックを得る[つまり実験する]ことでその仮説を検証し、必要に応じて修正していく。その繰り返しを通じて少しずつ話せるようになる。
3 メタ言語的機能。
そうした[仮説検証]の繰り返しの中で、頭の中でより深い言語認識(メタ言語的機能)を発展させる。例えば、日本人が英語をしゃべりたいとき、[英語を聞いて→英語をしゃべる]ことができるようになる。
スウェインの考えは、まさに「仮説実験的認識論」そのものだ、と思うのですが、どうでしょう。
●6 チョムスキー、普遍文法 1957
アメリカの言語学者チョムスキー(1928-)は次のような理論を発表します。
人間は、生まれながらにして「言語能力」を持っている。それを普遍文法と名づける。それが元になって「英語/日本語/....語」が話せるようになる。
今は、パソコンで自動翻訳ができるようになってきていますが、それは「チョムスキー理論の正しさを証明している」と言えるでしょう。
さらに、外国語教育でも、チョムスキー理論を応用した教え方が広まっています。
●7 カミンズ、言葉は、ただ通じればいいだけではない。1979
カナダの言語学者カミンズ( Jim Cummins)は、3つの考えを提案しています。
(1) 言語には2つの能力がある。1 BICS(基本的な会話の能力) 2 CALP(認知的で学問言語の能力)
(2) ふつう言語を学ぶときには、「2言語共通の脳」領域ができる(下図のB)
「英語初級者」は、[A]のように学習している場合が多い。少し話せるようになると自然と[B]になる。
(3) カミンズは、上を「氷山モデル」でも表現しています。
(4) このモデルは180度回転させれば(2)と同じになります。
(5) CはEのように書き表すこともできます。
さらにカミンズは第2言語の「能力」を2つに分けています。
(1) 対人関係におけるコミュニケーション能力 →1,2年で習得できる
(2) 認知的、学問的言語能力 →5~7年かかる
これは次のような意味です。
デューイが言った「子どもが言葉を覚える過程」
ですが、我々日本人は、赤ちゃんのときに「日本語」を使って思考し、言葉(一般的な言葉、抽象的な言葉も)を覚えています(この過程は「脳科学」でも証明されています)。
カミンズは、第二言語(例えば英語)を使って同じように思考ができるのは「5〜7年かかる」といっているのです。
小中学校でよく聞かれることがあります。クラスに外国人の子がいても担任教師は「あの子は日本語できるから問題ない」「クラスには他にも学習能力が低い子がいるから、外国人だけ特別にして指導はできない」と言います。それは大きな勘違いで、外国人の子の多くは、(1)の能力はあっても、(2)の能力が乏しいのです。外国人の子の(2)をどう伸ばすかが、現在の日本の小中学校で問題になっています。
ヨーロッパ評議会は、EU内に多言語話者がたくさんいることから、言語能力に基準「Cefr(セファール)」を作っています。例えばフランスなら、フランス語のできない人がたくさん住んでいるので、その人たちが働き生活し溶け込んでいくために、言語能力基準が必要になってきたのです。
日本のNHK英会話でもCEFRに基づき、各講座のレベルを「A1,A2,B1,B2,C1,C2」で表しています。TOEICでも同様です。
「英語は、英文を翻訳するためだけのもの」という時代は終わったと言っていいでしょう。
『Schooling and language minority students: A theoretical framework』California State Dept. of Education, Sacramento. Office of Bilingual Bicultural Education編,1981より、「Cumminsが上の理論を最初に出したのは1979に雑誌『Review of Educational Reseach』」(ジム.カミンズ、中島和子著(2001)『言語マイノリティを支える教育』慶應大学出版会より
●8 ガルシアとリー「トランス・ランゲージ理論」2014
「トランス・ランゲージ理論」というのは、バイリンガルの人は、頭の中で「その言語情報が溶け合っている」というものです。
もしこの考えが正しいなら、「英語学習」では、「日本語だけを使う(直接法)」よりも、「日本語の知識を上手に使う」ほうが効果的、ということになります。
(ガルシアは、キューバ出身のアメリカ人)
Garcia,0.,andWei,L. (2014).Translanguaging:Implicationsforlanguage bilingualism and education. Basingstoke, UK: Palgrave Pivot.
●9 外国語習得は「仮説実験のみ」
こうした流れを見てくると、外国語習得には、「脳内の普遍文法をいかに活用するか」がカギになっているようです。
教育学者の板倉聖宣は、次のように言っています。
「法則的認識は、仮説を実験的に検証することによってのみ行われる」(板倉 1966a: 1969『科学と方法』)
それを「仮説実験的認識論」といいます。
●10 脳科学が明らかにする「記憶」の仕組み
人はどうやって「記憶」するのでしょう。「脳科学」は次のように説明しています。
目から捉えたイメージは、電気信号となり脳内の海馬と呼ばれる小さな組織に送られる。
そこで、さらに電気信号が神経細胞をリレーして1つのルートを作る。
その異なるルート1つずつが記憶となる。
つまり、すべての事象の記憶は「海馬」の中で作られ、その後、大脳皮質に送られて長期記憶となるのです。(池谷裕二、糸井重里『海馬 脳は疲れない』2002,朝日出版社, p.26)
さらに、「海馬」のとなりには「扁桃体」があり楽しさをつかさどっています。
その「扁桃体」と「海馬」は、共鳴しあうので、
「楽しい」ことは、よく記憶できるのです。
●11 (まとめ) 語学教育は「仮説実験のみ」
私は、語学教育も「仮説実験のみ(仮説実験的認識論)」で行えばいい、と思っています。「(科学的)認識は仮説実験のみ」なのですから、それは当たり前のことのようにも思えます。
そして、もし、北米での語学教育では「仮説実験的認識論」が当たり前になっている、としたらそれはどうしてでしょう。
ひょっとしたら、波多野.稲垣が「仮説実験授業を北米に紹介した(1977)」ことが起因ではないか。それが日本に逆輸入されてきている。
そんな大胆な仮説を持っています。いかがでしょう。
みなさんはどう思いますか。
[質問1]
北米の英語教育(ヒスパニックなど)の方法には、仮説実験的認識論が入っているか。
ア. 入っているだろう イ. 入っていないだろう ウ. よくわからない
[質問2]
もし入っているとすると、そこには、波多野稲垣が紹介した[仮説実験授業の思想]の影響があるか。
ア. 影響があるだろう イ. 影響はないだろう ウ. よくわからない
●12 病床の板倉さんに伝えたこと
板倉聖宣さんは、2018年2月に亡くなりました。その1年か2年前、病床に伏せっていた板倉さんをお見舞いしました。もうしゃべれなくなっていました。私はこう伝えました。
先生の「仮説実験的認識論は、今のアメリカでは普及して、ふつうのように[語学教育の方法]として語られていますよ。
先生の最大の業績は、仮説実験的認識論、それは全世界に広がりつつあります。
すると、板倉さんは、私の手をぎゅっと握りしめて15分間、話しませんでした(次の見舞い客が来るまで)。
板倉さんは、何と言いたかったんだろう。
誇張しすぎたでしょうか。今でもずっと気になっています。