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『仮説実験授業1963』がだいたいできました

●研究資料『仮説実験授業1963』を9月のがり本リストに

 9月『研究会ニュース』「ガリ本リスト」で2冊、販売します。

 1 『あなたの細胞が見えたなら』800円

   他人にあげすぎて、在庫が少ない。改訂版をだします。

 2「(研究資料)仮説実験授業1963』500円

   2冊いっしょに方がインパクトがあると思ったので。

 

 2もだいたいできました。内容は、1963年に出された仮説実験授業に関係する文献を時系列で、できるだけ実物コピーで載せました。

 「研究資料」と書いた理由は2つあります。1つは著作権のことです。他の出版物を、ほぼ許可なく掲載しているから、でも著作権はきっと大丈夫です(そう願っている)。 2つ目は、本当に「研究資料」になると思ったからです。

●「考えるカラス」vs「板倉」.....この問題にキリをつけたい

 科学の考え方としてNHKの「考えるカラス」では「観察」「仮説」「実験」「考察」です。

 それに対して、板倉聖宣は「科学の碑」の言葉で「仮説」「討論」「実験」「大衆のもの」です。

どう違うのでしょう。同じなのでしょうか。ずっと気になっています。

 

●1963年6月(7月),板倉さんの最初の文章が残っている

   次のがり本を持っていますか?

  伊藤篤子編『仮説実験授業いま・むかし』(いたずら研究室情報局1981) 復刻版、2009.4.20 仮説実験授業研究会50年史・編纂室 (重弘忠晴)

 その中に、まさに仮説実験授業が産声を上げた時の文章が掲載されています。

 

●1963年、6-7月頃「科学のもっとも基礎的な諸概念を確実に身につけさせるための指導プログラムの作成と実施研究」

 

その最初の部分です。 

  未開人や未教育な子供たちが科学的な考え方をもっていないとすれば、それは科学の方法を見につけていないということを意味するのではなく、むしろ自然についてももっとも基本的な概念をもっていないためにその概念を軸にして自然全体を統一的に理解することができないということを意味するに外ならない。自然に対して問いかける一貫した一つの合理的な体系がなくては、実証も実験もありえず、科学的な方法といったものも存在しえないのである。つまり、科学ー科学的な方法が成立するためには、すでにそこに一つの合理的な自然像、普遍的な一般的な概念がなければならないのである

 

 つまり「大いなる空想を伴う仮説」があって、はじめて「科学ー科学的な方法が成立する」ということです。

 でも、子どもたちすべてがそんな「大いなる空想を伴う仮説」が最初から持てるのでしょうか。

1963年,11月28日「科学のもっとも基礎的な諸概念の理解の実態とその改善」国立教育研究所、所内研における講演草稿

 まず板倉さんは、仮説実験授業以前の学習法では、科学的なもっとも一般的概念は身につかないと、次のように言っています。

 身近な現象を「科学的な方法」によって解決するという生活単元方式による問題解決学習だけでは、科学的なもっとも一般的・典型的な方法、とくに基礎的な概念や理論の重要性を体験させることはほとんど望めず、経験的なまちがった科学観を植えつけることになる。

 

 予想といっても、それにはさまざまのものがある。

 (1)どうなるか全く予想が立たず、それでいて実験の結果どうなるかに興味があるような場合もあるが、基礎的な科学の事件にはそのようなことはほとんどない

 (2)はっきりした理由はないが、過去の経験から何となくこうなりそうだと予想を立てて、本当にそうなるかどうかを確かめるという場合。

 (3)かなり理論的な予想が立ち、実験によってその仮説が正しいかどうかを検証するような実験。

 (4)実験によってすでに十分に確立された理論があって、その理論にあてはめるべき常数を測定するというような実験。このような場合、予想を立ててもあまり意味がないように考えられるかもしれないが、この場合も予想を立てることは結果に対する感受性を高めることになる。

 上の4つは、後に板倉さんが4人のキャラクターで予想を説明しているのと同じです。つまり

(1)どうなるか全く予想つかず...........えみ

(2)過去の経験で....................................工作

(3)かなり理論的な予想がたち...........りか

(4)確立した理論があり........................秀雄

 そんな4種の考えを「大いなる空想を伴う仮説」といっていいのでしょうか。

○科学的認識は社会的認識である。ーー実験計画をたてたり結果を予想するとき、すべてのヒントを自ら思いつく必要はまったくない。自らはいくつかのヒントに思いあたり、他の人の提出したヒントのうちからよいものをとり入れる能力が必要なのである。そこで、それぞれの実験の前に討論が意味あるときには十分討議をつくし、自分の予想をあらためて実験で検討することが必要。