⚫︎「なぜ」と問うか、「どうなる」と問うか。
林秀明さんが次の板倉さんの言葉を紹介してくれました。
科学史の研究者で,仮説実験授業を提唱された板倉聖宣(1930~2018)さんの言葉に,つぎのようなものがあります。
「問題に <なぜ?> を問うことを入れるべきかどうかですが,私は <入れてはならない> と考えています。だいたい <なぜか?> と聞かれたって,どう答えたらいいのかよくわからないようなことが多いです。このことに関連して, <現象> を問うか, <本質> を問うかということがあります。例えば,《ばねと力》の授業書の問題は,ほとんど <ばねののびはどうなるか> というように <現象> を聞いています。これに対して <かかる力はどれだけか> と問いかけるやり方があります。この場合,力学を教えようというのですから <力> という言葉を使って,問うのが本当だという考え方からすると,その方がもっとものように思えます。そこで,授業書の中の <ばねののびはどうなるか> というのを, <力はどれだけか> というふうにすべて直してしまった人たちがいます。これは,とんでもない間違いです。仮説実験授業では,わざと <現象> を聞いているんです。現象と本質とがひっついている場合は,本質を聞いた方がめんどうでなくていいわげですが,しかし <現象はわかるが,本質で聞かれるとわからない> という子どもがたくさんいるのです。そういう子どもたちの考えを変えさせようとするには,すべて本質をつきつけるのでなく,現象をつきつけて,はじめてその考えを変えることができるんです。ですから,現象でもって聞かなければなりません。力学をはじめて教えようというときには,現象がなくてもよいというわけにはいきません 」(「<授業書> 作成の方法について」より『科学と教育のために』1979年,季節社絶版)
舟橋さんが次の文章を教えてくれました。
【仮説実験授業では「なぜか」を問わない】
いつも「なぜか」ということ
ばかり考えていると,結局のところ,自分自身で考えずに「答えを教えてl」ということになってしまいます。すでに理論的に解明されていることなら「なぜか」を教えてもらえるからです。
「なぜか」という説明は,簡単には納得できないことが多いので,すぐに押しつけになります。
そこで,仮説実験授業の授業書の問題は,必ずといっていいほど「どうなるでしょう」と現象を聞いて,「なぜだと思いますか」という原因を聞かないようにしているのです。そうすれば,子どもたちは安心して,自分自身の「なぜ」を心に抱いて,それを自分の仮説とするようになるのです。仮説実験授業がその主張のように,一切の押しつけを排除しえているのは,授業書の中に不用意に「なぜ」という言葉を入れないように配慮しているからと言ってもいいのです。
「現象論と実体論と本質論 三段階論と仮説実験授業とたのしい授業」『たのしい授業』97年5月号 [ No.183 ] 6ぺ(22)