⚫︎「赤血球」「白血球」はだれが命名したか
私は、今、『あなたの細胞が見えたなら』という授業プランを作っています。そのとき、ふと気になったのが「赤血球」「白血球」という言葉です。
そこには「球」が入っています。まるで「地球」の「球」のようです。形が「球形」であることを知っていなければ、この名前をつけることはできません。
[問題1]
いったい、いつ、だれによって、「赤血球」「白血球」は命名されたのでしょう。
予想
ア. 古代ギリシア・ローマ時代
イ. ガリレオの時代(1700年代)
ウ. ダーウィン、パスツールの時代(1800年代)
エ. ノーベル賞の時代(第一回は1901年レントゲン)
⚫︎「探偵」のように命名者を追いつめたい
こんな問題の答えは、「ネットですぐ見つかる」と思っていました。見つからないのです。「図書館へ行けばいいか」とも思ったのですが、医学の『内科書』のような本は、臓器や症例は数多く書かれているのですが、私の知りたいことは全く書かれていません。
唯一、柴田昭「連載、近代血液学の建設者、第4回 白血病研究の歴史」『Sysmex Journal Web』 Vol .1 No.1.2000 ⏩ がありました(以下、柴田[2000]と記す)。しかしそれも「白血球の歴史」ではありません。
こうなったら、地道に推理ドラマの「探偵」のように、答えを追い求めていくしかありません。
⚫︎『日本国語大辞典』を見てみよう
『日本国語大辞典』縮刷版(小学館、1974)で「血球」を引くとこうありました。
*医語類聚〈奥山虎章〉「Blood corpuscle 、血球」、*自画像〈寺田寅彦〉「無数の過去の聖霊が五体の細胞と血球の中をうごめいて居る」
⚫︎国会図書館の「検索」で調べよう
国会図書館で調べると
*医語類聚〈奥山虎章〉→1873年 *自画像〈寺田寅彦〉→1920年『中央公論』9月号
さらに「国会図書館サーチ」で「血球」を引くと、初出は 『医事表 健体之部』1872で、ほぼ同時期です。『解体新書』1774も見たのですが、そこには「血球」はありませんでした。本当は、ダンネマン『大自然科学史』全12巻を見てみたいのですが、古本屋に売却してありません。買い戻すつもりです。
ということで、まずは「エ. 1900年以降」は消えました。それでは、3つの予想の中でどれが正しいのでしょう。
そのためには文献が必要です。友人の猪塚君とそんな話をしていたら、ネットで検索して次の本を見つけてくれました。
ウイントローブ[1980]、柴田昭監訳[1981,1982]『血液学の源流1』『血液学の源流2』(西村書店)
以下、その本と前述の柴田[2000]を主な典拠として話をすすめます。
⚫︎推理2=古代ギリシアの人は「血は球形」だと思っていたか
[問題2]
古代ギリシアでは「地球は球形」ということを知っていました。それでは、古代ギリシアの人は、「血は球形」であることを知っていたでしょうか。
ア. 知っていた
イ. 知らなかった
古代ギリシアにヒポクラテス(B.C.460-B.C375)という医者がいました。この人は「4体液説」を唱えました。それは「体内には4種類の体液がある」「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4つである」「病気はその4つの変調が原因である」というものです。その「4体液説」は、古代ギリシアだけでなく、その後1000年以上、医学の考え方の主流となりました。
wikipedia「ヒポクラテス」より
つまり「4つの体液」の1つが「血液」で、「血は液体である」と考えていたのです。([問題2]の答えは「イ」)
そんな古代からの[四体液説]は単なる思いつきではありませんでした。20世紀になってスエーデンの医師ファーレウスは、1つの実験をしました。「血液を透明な容器に流し込むと、しだいに凝固し4つの層に分かれる」という実験です(右図参照)。つまりヒポクラテスたちは「しっかり観察して四体液説にたどり着いた」のです。
ウイントローブ[1980] p.3より作成
[問題3]
顕微鏡がなければ、「血」が「球体」であることはわかりません。フック(1635-1703)やレーウエンフック(1632-1723) は、血液を観察しているでしょうか。
ア. 観察している
イ. 観察していない
共にwikipediaより
フックは「細胞」の発見者です。しかし著書『ミクログラフィア』(1665)には、血液の記述はありません。
レーウエンフックは「血液」を観察して、右のような図を残して(1695)、次のように書いています。
血液は小球globulesと呼ばれる極めて小さい粒子から成り、これはほとんどの動物では赤い色をしており、医師が血清と呼ぶ液体の中を泳いている。ウイントローブ[1980]p.9より
このように「赤血球が球形である」ことは顕微鏡の発見によって明らかになったのです。
[問題4]
「白血球」が発見されたのはいつでしょう。
ア. 「赤血球」の発見と同時期(1750年まで)
イ. 「赤血球」の発見から100年くらいたってから(1750~1850年)
ウ. もっと遅かった(1850年以降)
顕微鏡は発明されても、医者の世界ではなかなか受け入れられませんでした。今までの教義を重んじる人ばかりで「自分自身で考え、自然を観察した人々はしばしば恥をかかされ」ウイントローブ[1980]p.14たのです。
そんな中でウイリアム・ヒューソン(1739-1774)は、観察法を工夫して、赤血球の中でまれに見られる白血球を見つけるのです。彼自身はそれを「無色の細胞(colouless cells)」「中心的な物体(central particles)」と呼びました。そんな彼は「血液学の父」と呼ばれています。(wiley Online Library William Hewson (1739–74): the father of haematology)
[問題5]
「白血球」は、細胞です。英語でも「white blood cells」という言い方もあります。それでは「白血球」は「赤血球」と同様に細胞であるということはいつわかったでしょう。
ア. 1700年代
イ. 1800年代
ウ. 1900年代
1838年、シュライデン(独)とシュワン(仏)によって「細胞説」が出されます。「すべての生物は細胞からできている」というものです。
1845年、ドイツのウィルヒョウ(1821-1902、ドイツ)が「白血球が異常に増える病気」を発見します。そしてその病気を「白血病(leukemia=ギリシャ語で「白い血液」)」と命名します。ウィルヒョウは、その病気は「血球細胞を作る組織の異常である」ことを見抜きます。そして「細胞は細胞から生まれる」という有名な言葉を残しています。
[問題6]
白血球の仲間には、いろいろいます。
「好中球」「好酸球」「好塩基球」
「単球」「マクロファージ」「樹状細胞」「マスト細胞」
「キラーT細胞」「NK細胞」「ヘルパーT細胞」「制御性T細胞」「記憶細胞」など。
これらの細胞たちは、いつ発見されたでしょう。
ア. 1900年から1945年の間
イ. 1945年から1970年の間
ウ. 1970年以降
1877 マスト細胞(肥満細胞)Paul Ehrlich (1908ノーベル賞)
1892 マクロファージ イリヤ・メチニコフ(1908ノーベル賞)
1961 T細胞、B細胞、同定命名(2つは別な細胞)ジャックミラー
1973 ラルフ スタインマン(カナダ), 樹状細胞 2011ノーベル賞受賞
1976 利根川進 (T細胞、B細胞、どうやって抗体が作られるか)1987ノーベル賞受賞
2000頃、免疫細胞フルメンバー出そろう。