「仮説実験的認識論」と「原子論」

⚫︎「仮説実験的認識論」は「原子論」に含まれる(横山)

 横山尚幸さん(横浜)がmlの中で、板倉聖宣の「ゆいごん」ついて次のように書いています。

(板倉の)仮説実験的認識論は、(板倉の)原子論の中に含まれる。(2022.1.4社会の科学ml)

 本当にそうでしょうか。

 そんなとき、水口民夫さん(大阪)が、板倉さんの次の論文を送ってくれました。

板倉「理科の授業に役立ちそうな哲学と心理学」『理科教室』2010年7月号

 その話は「板倉がどのように自分の思想を築いてきたか」が書かれています。そこから板倉の生涯の中で「仮説実験的認識論」「原子論」がどのように形成されていったかを見ていきましょう。

 

ダウンロード
板倉講演(2012.1.4)「ゆいごん」
ゆいごん.pages.pdf
PDFファイル 354.5 KB
ダウンロード
板倉(2010.10)「私の体験的哲学/心理学の活用法」
哲学と心理学.pdf
PDFファイル 8.2 MB

⚫︎板倉の「古典力学も原子分子論的に教える」という主張

 板倉は、修士論文・博士論文で、「科学」は「古代ギリシアで生まれた原子論」に基づき、科学者たちによる「仮説実験的」な認識によって成立して、積み上げられてきたことを論じます。

 その板倉の研究は、国立教育研究所に入り、PSSCが日本に紹介されてから、教育に傾いていきます。「自分が研究して明らかにしたように、学校教育でも〈科学教育〉がなされるべきだ」と強く認識したのです。

⚫︎⚫︎板倉の年譜から「原子論」「仮説実験的認識論」を追う⚫︎⚫︎

1930(0才) 板倉、東京に生まれる。

1948(18才、高2)『幸福論』を書く。

 ・小倉金之助『数学教育の根本問題』を読む。(数学教育の近代化→忘れ去られた)

 ・唯物論に関する哲学書に「反映論」→疑う

1949(19才、大1)三浦つとむ『哲学入門』→主体的唯物論

 ・「科学史科学方法論分科会」

  →「仮説実験的認識論」(科学者なら当然みんなそう思っているだろう?)

1953(23才、院1)

 ・「自然弁証法研究会」

1955(25才、院2)

 ・「予想論」→科学的認識は、仮説をもって対象に目的意識的に問いかける実験によってのみ成立す

  る(仮説実験的認識論

 修士論文「物理学と矛盾論」2つのコース

 博士論文「古典力学と電磁気学の成立過程とその比較研究」

1959(29才)就職(国立教育研究所)

1961(31才)「PSSCについてのセミナー」に参加

  →現場的研究に対する意欲高まる。

1962(32才)「原子論から見た科学入門」『科学読売』

  →『物理学入門』(64国土社)に

1963(33才)8月、「仮説実験授業」の提唱

  「仮説実験的認識論」をとことん適用して〈振り子と振動〉作成

  科教協大会(新宿)「民主主義の旗を高く掲げよう」

1971(41才)11月 『もしも原子が見えたなら(いたずらはかせの科学の本No.6)』国土社

1974(44才)6月 〈もしも原子が見えたなら〉『仮説実験授業研究No.1』仮説社

1980(50才)       〈日本歴史入門〉『授業科学研究』第4巻、仮説社、『日本歴史入門』(1981)

  1984(54才)  松崎「量率グラフの世界」『たのしい授業』6月号、仮説社

1986(56才) 「原子論的な歴史の見方考え方とはどういうものか」『歴史の見方考え方』仮説社

         「展開ー仮説と実験の論理」

 

⚫︎板倉による「原子論教育」の革命

 私は、1976年に中学校理科の教師となりました。そこでびっくりしたのが、PSSCの影響下の理科の教科書でした。

「石鹸1滴から、分子の大きさを測定する」

 それは、ニュートンからの研究成果をもとにしたものだでした。右図のように、1滴の「体積」と「面積」から、「高さ」を求めるのです。

 今でも忘れないのは、ある女の子の「分子と分子の間のスキマはどうなるの?」という一言でした。

「すごい子だ」と思ったのですが、決して優等生ではありませんでした。

 


 教員になるとき、勉強のために本を数冊、読みました。

そこには「古代原子論は空想的で、近代原子論とは別なものだ」と書かれていました。現実、中学の理科の現代化教科書では、ドルトンの原子論を教えることになっていたのです。それはPSSCの引き写しでした。

 板倉さんは、そんなPSSCに対抗して「板倉原子論」に基づく科学教育を始めます。1963〈ふりこと振動〉〈ばねと力〉から始まり、1971年の『もしも原子が見えたなら』に続きます。

 

 そういえば、私が初めて板倉聖宣の本を読んだのは大学4年のときでした。『物理学入門 ー物理教育の現代化ー』(江沢と共著1963.3国土社)でした。大学の物理学科で学んでいた私にとって、この本は驚きでした。静力学が原子論で貫かれているのです。「物理学ってこういうことだったのか」「どうして大学での3年間でだれも、この本のような物理を教えてくれなかったのか」と思いました。

 


 私が教員になって初めて授業したのは〈もしも原子が見えたなら〉でした。子どもたちが大喜びした姿は今も忘れません。

 当時、分子模型といえば竹ひごを粘土でつないが形で、「スチュアート型」は高くて、仮説社でしか手に入らず、購入はあきらめました。

 それがいつの間にか、「スチュアート(実体積)型」がふつうになりました。「静かなる革命」が進んだのです。


⚫︎社会の科学にも「原子論」

 〈日本歴史入門〉は、1974年に竹内三郎さんが〈米と人口〉というプランを公表したことに始まります。検討会を経て、1980年に授業書として発表されます。

 さらに1986『歴史の見方考え方』「まえがき」には、次のように書かれています。


展開ー仮説と実験の論理

 この本の話は、「著者の議論にとって好都合な事実を次々と提示する」という形で展開されているのではなく、自然科学と同じ「仮説と実験の論理」、誰をも納得させずにはおかないような論理のもとに展開されているからです。............「事実をもとにして考える」というだけではまったく不十分で、ある問題にたいする多様な予想・仮説を考え、それを事実とつき合わせていくより方法がないのです。(ⅵペ)

 

 社会の科学を「原子論」で展開するために必要不可欠なのが、グラフです。「板倉式グラフ論」は〈日本歴史入門〉と並行して、発表されていきます。

 

⚫︎まとめ 板倉の「原子論」と「仮説実験的認識論」の革命

 横山さんが書かれた「(板倉の)仮説実験的認識論は、(板倉の)原子論の中に含まれる」という言葉は、衝撃でした。「板倉原子論」のことは、全く頭の中になかったからです。板倉の哲学について論じているにもかかわらず。

 横山さん、そして話題を膨らませた入江さんに、感謝しています。さらに議論が深まることを願っています。