⚫︎hacqueさんのブログを読みました
山の中の小さな町に小さな本屋がありました。その主人はhacqueさん。学校が官公庁を回って、御用聞きをしています。「入札」に参加して、商品の納入するのも大きな仕事です。ただ「入札」は「綱渡り」のようです。もし商品が収められなくなると、厳しいペナルティーが課せられます。名前の公表、ある期間入札不参加です。
⚫︎2021年の秋、ある入札を落とした
hacqueさんのブログはおもしろいです。そこからの話と私が思ったことをここに書きます。
⏩"綱渡りより空中ブランコ、強引g my way.、10匹の蟻”&”ふしぎな婦”のお言葉をあなたに
hacqueさんは、ある商品の入札に参加しました。10月のことでした。驚いたことに、入札者はhacqueさんだけでした。コロナのため、商品の納入が難しかったので、みんな入札を避けたのでしょう。納期は12/20。
それからhacqueさんは「空中ブランコ」の日々でした。代理店によると、ベトナムの現地生産工場はパンデミックで製造停止中。さてhacqueさんの運命は(いちばん最後に)。
⚫︎「信用」とは何だろう
小中学校の教師をしていて、子どもたちにずっと教えたいと思ってきたことに「信用」があります。信用があるないで、その子の「価値」が決まってしまいます。教科書は1つもありません。
hacqueさんは「信用がある人」です。学校の先生が無理な注文を出しても、たいがい何とかして用意してくれます。本人は「私のような業者は信用が命です」といいます。また何人かのお客さんは「御用聞きにはhacqueさんに来てほしい」と言います。小さな本屋を一人前の本屋に育てました。
私が知っている「信用」に関する教科書はただ1つ「ベンジャミン・フランクリン」(1706-1790)の次の言葉です。
・時は金なり、信用は金なり、金は増えて子どもを産む、支払いの良い者は他人の財布にも力を持つ
これは『説話集』からの言葉ですが、私がこれを知ったのはマックス・ヴェーバー(1905)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫,1989改訳第1刷)から(p.38)です。
その本には2人の資本家が出てきます。フッガーとフランクリンです。
フッガーは、儲けても儲けてもお金を儲けたい人
フランクリンは、儲けた分だけ社会に還元していく人
ヴェーバーは、「フランクリンこそ理想的な資本家の典型である」と言います。
ちょっと前にマルクスが『資本論』(1867-1894)が出されます。それは世界の「共産主義運動」の精神的支柱となります。要旨は「資本家は、儲けたお金でさらに金持ちになり、労働者はずっと貧乏のまま」というものです。ヴェーバーの言う「フランクリン」はマルクス理論のアンチテーゼのような存在です。ただヴェーバー本人はマルクスのことは何も言っていません。
私には、hacqueさんフランクリンとが重なってみえます。
⚫︎「病は神様の重要なお手紙」
hacqueさんのブログの後半は「名古屋駅前の心療内科」に通っていた頃の話になります。文化12年(1815)創業といっても潰れる寸前の家業を継ぎ、最初は苦労の連続だったそうです。
そんな中で「病は神様の重要なお手紙」「ものの考え方1つでご守護が現れる」という言葉(中山みき)に出逢います。
そういえばヴェーバーの本の主題は宗教です。「資本主義はプロテスタント=特にカルヴァン思想の国に起こり繁栄した」「アメリカ、イギリス、ドイツなど」というのです。どうしてカルヴァンか。
カルヴァンの思想の中心は「未来は神様にお任せする」ということです。つまり「あーだ、こーだ、悶々としていないで、自分で何とかしろ」「人事を尽くして天命を待て」ということです。「免罪符を買えば天国に行ける」というカトリックとは違います。
実は、日本にもカルヴァンと同様な考え方があります。親鸞の「何阿弥陀仏」もしかり、二宮尊徳の句「この秋は雨か風かは知らねども、今日の勤めに田草とるなり」もしかり。つまりヴェーバーの言う資本主義が発展する法則に日本も含まれるのです。
私はhacqueさんに紹介してもらっていくつか本を読みました。その中には浄土真宗、浄土宗、キリスト教など宗教家の本も含まれます。ただ、どれも同じことを言っているのではないか。「神にお任せしろ」「失敗してもしょうがない」「イチローだって3割打てばNo.1」ということを。いかがでしょう。
⚫︎結末は
hacqueさんは「空中ブランコ」に乗っているような気持ちで、代理店からの連絡を待ちます。「神の承諾のないことは起こらない」という小林正観の言葉を読んだ翌日、代理店からの電話がなりました。
「商品が日本に着きました。一週間後には届けます」
弾んだ電話口でした。僕も答えました 「ARIGATOH(10匹の蟻)
hacqueさんは、いつも「空中ブランコ」に乗っているのでしょうか。それが疑問です。次に会ったときに聞いてみたいです。