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「ゆいごん」を読む

2012.01.04 冬の刈谷大会、講演

      ゆいごん

 まず読んでみませんか。        →

おすすめは、google翻訳にコピペして、AIに読んでもらうと、臨場感があって良いです。

 さて、どう思いましたか。

 

 この話の内容は、「仮説実験授業研究会/授業書」から

「研究全般」「世界」「未来」へと発展した展開になっています。

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「ゆいごん」から抜き出す 1「仮説実験授業と授業書について」

 (言葉をそのまま、抜き出してみます)

 

1 今から〈ゆいごん〉の話をします

 「ゆいごん」の話というのは、 仮説実験授業研究会の中で

「〈学ぶに値いすることは何か〉を見つけて、それを教える」

ということです。学ぶに値いすることは何か。そういう研究はすごく遅れている。日本の産業は、世界の産業だと思います。そんな日本の中で、最も遅れているのが教育産業です。圧倒的に遅れている。

 本当に学ぶことは何か。それを発見して、その教え方を開発する。おそらくそういうことができる学校は、ルネサンス高校だけです。研究会会員で、そういう学ぶに値いすることを探して教育をする。

 

2 5年後の仮説実験授業はどうなっているか

 

 5年後、仮説実験授業研究会はどうなっているか。

 5年後、仮説実験授業はどうなっているか。

  新しい教材を作る人がいるだろうか。

 これまでの仮説実験授業の授業書は、ほとんどが私が中心になって作ってきた。

 本当はたくさんの人に作ってほしいんだけれども、なかなか作れない。

 

 ふつうの日本の教育は、指導要領、教科書、受験準拠で成り立っている。その枠をとっぱらったのが仮説実験授業です。仮説実験授業が新しいのは文部省の指導要領に従わない。「本当に学ぶに値すること」と私が考えることで作っている。それで成功したんですね。〈たのしい授業〉もできるようになった。

 が、新しい教材を作ろうとする人は、なかなか現れない。いないわけではないけれど、非常に少ない。

 

3

 どんな授業書を作ればいいか(例)

 〈液晶〉〈アモルファス〉〈太陽系の成り立ち〉〈国語で囲み符をつける〉〈本当の数うその数〉

 〈光と虫めがね〉〈虹の七色〉

 どうやって作るか

4「だいたいの考えで、物事を考える能力」

 うんと大まかに哲学的に考える能力を身につけてほしい。(細かい知識ではない。哲学を

5「根本的なことを考えて授業書を作る」ー哲学

 学ぶに値することは何かを見つけて、それを教える。

 哲学というのは、うそを言う学問でしょ。

 うそを言うからすばらしい。

 未来のことを言ったってわけがわからない。わけがわからないから、いろんなことが言える。

 

 仮説実験授業研究会の会員がどんどん定年になっている。

 その暇を利用して、根本的なことを考えてほしい。

 

6 常識にとらわれないで考える

 私は、覚えなくても学者になれたほとんど希有の例。覚えない。自分自身の感性でものごとを考える。だから、学があることは大事ではない。

子どもと同じような感性を持って「人間が学ぶに値することは何か」と哲学的に考える

哲学的に考えると、うそっぱちだとわかる。

今まで常識と思われていたことがうそっぱちだとわかる。さらに本当のことがわかる。

 

2「未来のこと、日本で世界で、教育で、世の中全体で」

7 自分たちにやれることをやる

8 〈天才論〉から〈個人崇拝〉が生まれる

 中国の現代史、毛沢東、彭徳懐、

9 〈仮説実験的認識論〉があれば、独創的になれる →鄧小平

 大事なのは、長期にわたって未来を構想することなのに、「短期だけ」とか「短期しかないのに怪しげな未来のこと」を言う人がいる。

10 わからないことは〈わからない〉と言う →東日本大震災で、フェスティバルが中止

 どうして「わからないことはわからない」というのがいけないのか。「永遠にいかなる放射能も危険だ」というのか。それは仮説実験的な考え方ではない。

11 反体制を貫くのがいいわけではない

私は、世界で唯一「スターリンはまずい」と気づきうる人間だった。

ほとんど自分に責任を持たない。そんな知識人ばかりの社会はだめになる。

知識人は怪しい。仮説実験的な仕方をずっと続けないとあぶない。

12 私を喜ばせて下さい

 そういうことで、仮説実験授業研究会のためであり、いや日本の教育、世界の教育のために仕事をしたい。教育というのは、いちばん〈未来の社会〉につながる、本当はね。今の日本の教育は、そんなことを設定している人はほとんどいない。そういうことで、少しは冬の大会で、哲学的な話し合いを持ってもらうようにお願いします。

 私は「ゆいごん」と言いましたが、死ぬつもりはありません。細々と生きていますから、よろしくお願いします。私を喜ばせて下さい。いろいろ感想を聞かせてください。

 

3 この講演の4か月後、井藤は次のようにまとめた

 みなさんは、どんなことが頭に残りましたか。私は、何度も聞いて、次の2つにまとめました。

1 〈本当に学ぶに値いすることは何か〉を見つけて、授業書としてほしい。

    哲学的、指導要領にとらわれない、ルネサンス高校のような学校で見つける

2 〈仮説実験的認識論〉を世界中に広めてほしい。

    〈未来の社会〉につながる、私を喜ばせてください。

4 「本当に学ぶべきこと」とは何か、井藤が気になること

 私は、愛知県立芸大で授業をしています。右は、そのときに使っているプレゼンの1ページです。

 音楽、美術の学生に「もし先生になって、生徒に〈音楽/美術は、ぼくの人生に必要か」と聞かれたら、何と答える、を問うています。

 私の答えは、「美」です。人間が生きるには「真善美」が大切です。しかし「真/善」は教えられることが多いのに、「美」が教えられる機会が少ないのです。


 今回、2021.12.25「プラン研大阪」で、「どうしたら美が教えられるか」「美は授業書になるのか」を提案したいと思っています。もちろん『たのしい授業』に少しはそうしたプランが存在します。でもそれだけでは圧倒的に不足している、と思うのです。「作文」とか「話し方」も「美」の分野だと思っています。

 他にどんな内容が「本当に学ぶに値すること」でしょうか。みなさんの考えが聞けるとうれしいです。

 また、私は「2」として「仮説実験的認識論」を挙げました。それについてどう思いますか。

今後、議論がふくらんでいくことを願っています。決して「訓古学」にならず、私たち自身の問題となりますように。(「訓古学」→儒教の経典に出てくる語句の意味を解釈・説明する行為)

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