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板倉聖宣さんは、どこが偉かったか

⚫︎板倉聖宣という人がいた

ガリレオ

ニュートン

アインシュタイン

板倉聖宣


[問題1]

 あなたは、上の4人のうち、どの人がいちばん偉いと思いますか。それは、なぜですか。

 

[問題2]

 板倉さん自身は、何と言っているでしょう。

ア. 私の業績は、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインには及ばないが、それなりの仕事ができた。

イ. 私の業績は、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインと同じくらいだ。

ウ. 私の業績は、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン以上だ。

 

 板倉聖宣自身は、次のように言っています。

 

これ(私の発見)は〈学問における革命〉になります。マルクスが出現して社会の見方に革命が起きたとか、ガリレオやニュートンが出てきて科学に革命が起きたとか、アインシュタインが出てきて革命が起きたとか、そういうものと比べてさらにもっと重要な発見ということになると私は思っています。

              板倉聖宣「真理を決める仮説実験」『哲学的とはどういうことか』(つばさ書房,2004) p.46

 

 つまり「板倉の発見は、ガリレオ・ニュートン・アインシュタイン以上だ」と本人が言っているのです。

 

[問題2]

  「ガリレオ・ニュートン・アインシュタイン以上」である板倉の発見とは何でしょう。

ア.  教育学上の発見

イ.  科学史学上の発見 

ウ.  哲学上の発見

エ.   その他

 

 再び、板倉自身の文章です。

 

 「仮説実験的な認識の仕方」は、仮説実験授業によって〈授業の方法としては正しい〉ということはかなり明確であります。私は「仮説実験的な認識論」というものはもっと広く知られていて、それを使って考えている人がいるのではないかと思っていましたが、そうではありませんでした。仮説実験的な認識方法というものを無意識にに使っている人はたくさんいますが、〈意識的に使っている人がほとんどいない〉ということがだんだんわかってきました。             (マルクス)

「仮説実験授業を作ったのは私のオリジナリティーだ」とは思っていましたが、それ以上に「仮説実験的な認識の仕方を明確にした」というのも私のオリジリティーだということになると、これは大変なことです。教育の世界だけでなく学問全体の世界に関わる、しかもそれは「認識方法に関する基本的な理論」ですから、これは〈学問における革命〉になります。 板倉聖宣、同上 p.46

 

 

⚫︎そもそも「仮説実験的な認識論」とは何か

[問題3]

  ダーウィンは「進化論」で有名です。それではダーウィン「仮説実験の論理」を使っている、と言えるでしょうか。

ア.  「仮説実験の論理」を使っている、と言える。

イ.  「仮説実験の論理」を使っている、とは言えない。

さらに、板倉の言葉です。

 

 学問の世界では、たとえば〈経験を基礎にして学問を作らなければならない〉という「経験論」というものをフランシスコ・ベーコンとかが出し、それで科学ができたといわれたりします。しかし、「経験をもとに学問を作る」ということは、経験論が現れる前から当たり前のことです。

 

 ガリレオニュートンが近代科学を作ったのは経験をもとにしないで、むしろ〈経験を越えた〉ところから科学を作ったのですね。つまり経験だけだったら「地球が丸い」とか「地球が動いている」とか「生物が進化している」とか「大陸が移動している」なんていうことは絶対に思いつきません。そういう反常識的な仮説が出て、そしてその仮説がいかに本当らしくなくても、〈その仮説から導き出された結論が確かであれば「これは正しい」と言える〉というのが、仮説実験的な認識論です。

 

 「何をするにも仮説実験」


[問題3]

 あなたは「仮説実験的な認識論」に関する板倉の発見は、「ガリレオ・ニュートン・アインシュタイン以上の発見だ」と思いますか。

ア.  そう思う。

イ.  そうは思わない。

  私が今研究しているのは、この[問題3]です。「仮説実験の論理」は板倉の大発見なのか、さあどうでしょう。どうかさらに私の研究におつきあいいただけるとうれしいです。

⚫︎「仮説実験的な認識論」とは何か

[問題4]

 「仮説実験的な認識論」とは何でしょう。あなたはどう思いますか。

 

 板倉は、それを別な言葉でも言っています。

 

「すべての認識というものは、実践・実験によってのみ成立する」『科学と方法』季節社1969、p.203

「予想をたてると見えてくるー何をするにも仮説実験」『発想法かるた』仮説社1992、p.59

 

 文献、年代により、表現は多少異なっていますが、同じことです。「仮説実験的認識論=何をするにも仮説実験」と言っていいでしょう。

[何をするにも仮説実験1--単語を覚える]

 私は、英語やポルトガル語の単語を覚えるとき、丸暗記はしません。一度イメージを作るのです。例えば、ポルトガル語で「オンブロ」は、「おんぶ」というイメージを作ります。それから「肩」という意味を理解します(「おんぶ」という言葉の語源は、ポルトガル語のombro(肩)という説が有力です)。

 単語を覚えるとき「語源」を知るのも有効です。たとえば英語で便秘は「コンスティペイション (constipation) 」ですが、「コン(con)」は「コンクリート(concrete)」のコンと同じ語源です。固いのはどちらも同じです。

[問題5]

 「単語は、イメージを作ってから覚える」は、「仮説実験的な認識論」と言えるでしょうか。

ア. いえる

イ. いえない

 どうしてそう思いますか。

 

[何をするにも仮説実験2--人の名前を覚える]

 人の名前や顔は、どうやって覚えていますか。

 イギリスに「スーパーリコグナイザー」という職業の人たちがいます。「一度見た顔は忘れない」という人たちで、ロンドンの街で、犯罪者を探しているのです。(NHK特集で2018年に放映されました。⏩シリーズ人体、脳 ) 

 その番組では、CTスキャンを使って、その人の脳を見ています。

 

 まず、目からの信号は「海馬」の中の「歯状回」に送られる。そのときに記憶ごとに1つずつ、新しい回路を作っていく。

 

 つまり、直接、大脳皮質に送られているわけではないのです。まずはイメージが脳の奥の方で信号になっているのです。

 実は、教師である私も、学生たちの名前を覚えるのが得意です。その方法は「スーパーリコグナイザー」と同じです。最初の授業で、一人一人の似顔絵と名前をかいて、次からはそれを見ながら、学生の名前を呼びながら授業をすすめていきます。


[問題6]

 「スーパーリコグナイザー」のように顔と名前を覚える方法は、「仮説実験的な認識論」と言えるでしょうか。

ア. いえる

イ. いえない

⚫︎「仮説実験的な認識論」は、板倉が初めて発見したか。

 「仮説実験的な認識論(ものを認識するには、仮説・イメージを作らないといけない)」は板倉が初めて言ったことでしょうか。

 アメリカの教育学者ジョン・デューイ(1859-1652)は『思考の方法』の中で次のように書いています。原著は、Dewey, JohnP (1933)How we think Chicago : Henry Regnery Company pp.155-156

 

 概念の起源は、時としてあたかも小どもが、たとえば彼の個々の犬、すなわち彼自身の犬のシロ、近所の犬のアカ、いとこの犬のクロというふうに、おびただしい数の別のものから出発するかのごときものであると述べられている。これらすべての対象を眼前に並べたのち、それら各々を彼は多数の異なる性質に分析し、たとえば色、大きさ、形、足の数、毛の量と質、接種食物、などに分析して、それからあらゆる似かよいはない性質(たとえば色、大きさ、形、毛など)をふるい落とし、犬がすべて共通に持つ性質、4足であるとか、人間にじゃれているというごとき性質を保留するというのである。(デューイ著、植田清次訳『思考の方法』春秋社1955,p.150) このデューイによる「犬の概念の形成過程」については、小野健司(2007)「近代教育学における〈仮説実験的認識論〉の系譜(1)及川平治とジョン・デューイ」『四国大学紀要』28号に詳しい、筆者はそれを先行研究としている)

 

 これは、まさに子どもが「仮説・実験」をくりかえしてる姿を著しています。

[問題]

 「仮説実験的な認識論」は、だれが発見したでしょう。

ア. 板倉聖宣

イ. デューイ

ウ. デューイ以前のだれか

 

 

 板倉の「仮説実験的認識論」の説明をよく見てください。

 

「すべての認識というものは、実践・実験によってのみ成立する」

「予想をたてると見えてくるー何をするにも仮説実験」

 

 板倉は「のみ」と言っているのです。「すべての認識は.......のみ」なのです。

「栗」1個


 それに対してデューイは、認識論についていろいろなことを言っている中で、その1つが「犬の概念の形成過程」の話なのです(このデューイの文章の存在は、小野(2007)に書かれているですが、多くのデューイの文献調査の中から小野によって探し出されたものです)

 「のみ」でなければ、デューイ以外の人も言っています。

 これから、さらに時代を遡って、「仮説実験的認識論」の系譜を見ていきましょう。