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ダーウィンの進化論と仮説実験の論理、板倉聖宣『科学と社会』を読む

⚫︎ダーウィンはどうやって進化論を思いついたか

 《生物と種》は、私の大好きな授業書の1つです。清水龍郎が中心となって作られました(清水「授業書《生物と種》とその解説」『仮説実験授業研究, 第3期』仮説社1995)。

 その後半は、ダーウィン(1809-1882)の話が中心です。

 

 ダーウィンは、ガラパゴス諸島につく(1835年)。そこにフィンチの仲間がたくさんいた。それが少しずつちがっていた。

 イギリスに戻ったダーウィンは、友人の鳥類学者グールドたちに相談する。そして進化論にたどりつき、『種の起源』(1859) を発表する。

 

こうしてダーウィンは「生物の種は長い間には変化する」という新しい考え(進化論)を思いつきました」(清水《生物と種》p.56)

 

 ダーウィンは、どうやって「思いついた」のでしょう。それは偶然だったのでしょうか。必然だったのでしょうか。あるいは、そこに「仮説・実験の論理」があったのでしょうか。

 

「若き日のダーウィン」wikipedia「ダーウィン」より

 チャールズ・ダーウィン(1809-1882)


⚫︎偶然の発見と予想された発見

 どうやって「科学上の大発見」というものはなされるのか。それは板倉聖宣「自然認識の歴史的発展」『科学と社会』(季節社1971)に書かれていています。「偶然の発見と予想された発見」という章です。こんな内容です。

 

 エールステッドは、電流の磁気作用についての発見をする。それは「大学の講義中に、偶然に発見された」と広く言われている。

 実はそうではなかった。

 

 それなら、エールステッドはどのようにして電流の磁気作用を発見したのかというと、かれは電流の磁気作用を確認するより10年以上も前から、その存在を予想し研究していたのである。彼はシェリングの自然哲学の熱心な支持者であって、この自然のさまざまな力の間には相互関係があるに違いないと考えていたのである。(p.48)

 

 エールステッドの発見は、偶然ではなかったのです。

 

エルステッド(1777-1851)wikipedia 「エルステッド」より

 

「シェリング(1775-1854)、ドイツの哲学者、大学で教える。フィヒテ、ヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとり」wikipedia「シェリング」より


⚫︎ダーウィンが進化論の仮説は、独創だったのか

 それでは、ダーウィンの場合はどうだっただろう。進化論の構想は、どうやって思いついたのでしょう。

[問題1]

  「進化論」という考えは、ダーウィンが最初にとなえたのでしょうか。

ア.  ダーウィンが最初。

イ. ダーウィン以前にも、「進化論」をとなえた人がいた。

 

 清水龍郎さんは次のように書いています。

 

 生物の進化という考えは、ダーウィンが最初ではありません。ダーウィンのおじいさんのエラスムス・ダーウィンやビュフォンなど、何人もの人たちによって徐々にとなえられました。 清水(1995)p.211

 

 ダーウィンは、ビーグル号に乗り込む前から「進化論」について知っていたのだ。ではダーウィンの業績は何だろう。

 

 ダーウィンがしたことは、進化の証拠を幅広く集めて〈進化〉という仮説を実証したこと、そして進化のしくみ(自然選択説)を考えたことです。

 自然選択説についてはこの授業書では扱っていません。自然選択が起こることは確かですが、これが進化の基本原因かどうかはまだ科学者の間でも異論があるからです。それで科学入門教育としては、扱っていません。 清水(1995)p.211

以下、wikipediaより

エラズマス・ダーウィン(1731-1802)イングランドの医師、詩人、自然哲学者

 「進化(evolution→革命的変化)」という言葉を作ったのはその人。孫のダーウィンは、その言葉を嫌っていて、使っていない。「革命的ではなく、徐々に変わる」という考えである。

 

ビュフォン伯ジョルジュ=ルイ・ルクレール(1707-1788)、フランスの博物学者、数学者、植物学者。地球の年齢を推定し、聖書による歴史(普遍史)を否定した。


 「科学」が真理となるまでの道のりを、表したのが次に掲げた「科学の碑」の言葉です。「仮説実験の論理」を表しています。

「科学、それは大いなる空想をともなう仮説とともに生まれ、討論・実験を経て、大衆のものとなって

 はじめて真理となる」

 ダーウィンは、自分自身で仮説をたてたのでしょうか。それとも他人のたてた仮説を実証しただけでしょうか。

[問題2]

ア. 自分自身で「仮説」を立て、それを多くの事実から実証した。

イ. 今まであった1つの仮説を、ダーウィンが多くの事実から実証した。

ウ. ダーウィンには「仮説・実験」の論理は全くなかった。

 祖父のエラスムス・ダーウィンについて、長谷川真理子は、次のように書いています。

「エラスムス・ダーウィンは進化論者といっても、大した学説を立てたわけではなく、植物が変わることを織り込んだ詩を書いたりしていました」

 長谷川真理子「進化学の系譜、博物学とダーウィン以後の生物学」『科学と社会2010』(総合研究大学院2011.3.31) p.430 https://core.ac.uk/download/pdf/148343062.pdf

 

 ビュフォンについても同様です。チャールズ・ダーウィンと比べると「思いつき程度のこと」を言っているにすぎません。

 

 実は、ダーウィンは独自の仮説を持っていたのです。「共通起源説=地球上の生物の種は、共通の先祖から枝わかれしてきた」です。これを「最初に言い出したのがダーウィン」(清水p.215)なのです。

清水(1995) p.216

「もしダーウィンの考えが本当なら、進化して分かれてきた順番を種にならべた、左のような図が書けるはずです。一方、神が生物を作ったとか、一つの生物がだんだん変化するだけなら、右の図のようになるでしょう」


 さらに、当時(19世紀半ば)のイギリスでは、生物が進化することを主張した人は何人もいました。さまざまな仮説がありました。しかし、「彼らは、事実によって進化を実証しようとはしなかった。進化を実証しようとしたのは、ダーウィンとウォレスが初めて」なのです。(更科功「進化論の元祖ダーウィンとウォレス、どちらが偉い?」より)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57716?page=2  (ウォレスは、ダーウィンと同時に論文を発表した人)

 

  このようにダーウィンは自分の仮説に基づいて証拠集めをして、事実に基づいて実証したのです。

 

⚫︎ダーウィンの文章展開は「仮説・実験的」

 ダーウィンの『種の起源』を読んでいて、「仮説・実験的だなあ」と思います。決して、「小難しい生物の本」ではありません(訳がいいのかもしれません)。

夏目大訳『超訳 種の起源』(技術評論社2012)より引用します。

 もし、環境が本当に生物を変化させるのだとしたら、それはなぜか。p.49

 私は飼育栽培生物の研究として、主に鳩を選んだ。p.53

 私が真に追求したいのは、「なぜ、この地球上にこれほど多様な生物がいるのか」ということである。p.57

 

 いかがでしょうか。「仮説・実験的」と言えるでしょうか。

 

⚫︎板倉聖宣の最大の業績は「仮説・実験的認識論」の一般化

 私は、「何をするのも仮説実験」という言葉が好きです。「何をするにも」です。歩くのも、食べるのも、寝るのも。それを日々の生活の指標にできたらと思っています。そんな「仮説・実験的認識論」は、どのようなものでしょう。いつだれが発見し、使われ、一般化されたのでしょう。

 実は、その「一般化」が板倉聖宣さんの最大の業績だと思っています。本当にそうでしょうか。

 

 ダーウィンの研究過程も、もう少し追究するなかで、板倉の「仮説実験の論理」の歴史的な意味を解き明かしたいです。