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最近の学生vs昔の学生

⚫︎あなたは、どんな世代ですか

 上のグラフは「生まれ年」と2019年現在の「その人口」を表していて、下にはその時代を象徴するイラストを掲げました。あなたは、「どんな世代」ですか。

 

 教師たちがお茶を飲みながら、こんな議論をしていました。

  「今どきの学生は安定志向だな」

  「そうだね、ゼロ成長時代に育っているからな」

  「徹底的にリスクを取りにいかない」

  「問題は解くが、問いをたてる側に回らない」

 私も「時代が変わったな」と思うことがよくあります。私の大学時代は、貧乏・学生運動が当たり前でした。「平和な時代になったものだ」と思います。

 


セネカ(BC1年ーAD65年)

 中一夫さんは、古代ローマの哲学者、セネカの言葉を紹介しています。

 

最近の若者は怠惰になった。自分の才能を磨こうとしない。一つの職業に誇りを持って、それに打ち込むということがない。安逸と無気力、さらに悪い趣味が男たちの心を支配している。 セネカの言葉

   中一夫「そんなに違うの?今の若者」『たのしい授業』1995年1月号、仮説社

 中さんは、この文を紹介した後、次にように書いています。


   けれども「自分の若い頃に比べて」近頃の若者はそんなに違うのでしょうか?

[質問1]

 あなたは「自分の若い頃」と「近頃の若者」は、違うと思いますか。

ア.  そんなに違わない

イ.  かなり違う

 

 中さんの言葉は、わかるような気もするのですが、私には「自分の若い頃」と「近頃の若者」とはかなり違うように思えてなりません。 

 私は、1973年に大学に入学しました。そのときは「貧乏」が美徳で、「学生運動」の少しはしなければならないものと思っていました。仕送りも少なくして、あとはバイトで補いました。

 でも、1980年以降の大学生は、全く逆のように思えます。「学生時代を楽しむが美徳」のようです。

もしこれが事実なら、その境目(1975年頃)に、何が起こったのでしょう。

                  (「貧しい」が美徳)    (「かっこいい」が美徳)

[質問2]

  1975年頃に、大学生の美徳観が変わったとしたら、それは何が原因だったでしょう。

ア.  豊かな時代になった。

イ.  ゼロ成長時代になった。

ウ.  その他の要因が差を引き起こした。

エ.  そもそも1975年頃に、美徳観が変わったとは思わない。

労働政策研究・研修機構「労働争議」より、https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0702_01.html (2021.2.20閲覧)大元は厚生労働省「労働争議統計」

 

  上のグラフを見てください。これは「労働者が起こした争議」の推移です。1975年以前は、デモをしたり、会社をロックアウトしたりすることが頻繁に起こりました。今はほとんどなくなりました。

 2020年2021年のコロナパンデミックで、海外では、政府の政策に反対するデモが起こっている国もありますが、日本ではほとんど何も起こっていません。

 やはり1975年頃に何か境目があるように思えてなりません。

 

 私の父親は、戦争に行きました。「勝ってくるぞと勇ましく」というような軍歌も、父やその友人からたくさん聞きました。母親も、防空壕に避難し、かろうじて爆撃から免れたそうです。

 私は、戦争経験者の両親に育てられたのです。自ずと私の心の中には「欲しがりません、勝つまでは」の道徳観がすりこまれているのです。私の世代までは、学生運動など「戦い」が好きなのも両親の道徳観によるのではないでしょうか。

 私より後の世代は、親たちが「戦後の世の中で青春期を送った人たち」です。

 

⚫︎明治時代にも、同様な境目があった

 上のグラフは、日本人女性全体の「子のつく女性名」の推移です。「子のつく名前」は1900(明治33)年頃、立ち上がります。それは、ちょうど「明治維新後に生まれた両親」が子どもを作り始める時期です。江戸時代のしがらみに左右されない人たちが、社会の中心になりはじめるのが1900年前後なのです。

 

⚫︎「世代論」には、有力な先行研究はあるのか

 私は、いくつか「世代」に関する書籍を見たのですが、有力な先行研究を見つけることができませんでした。ひょっとしたら、こうした研究は、新しい分野なのかもしれません。

 しかし、政治史とか経済史と違い、世代観は「それぞれの時代の〈全国民〉の意識調査」と言ってもいいでしょう。有名人ではなく、庶民の歴史を見ることのできる分野かもしれません。

 私は、今後もそうした庶民史を中心とした研究がしていきたいです。