早くワクチン接種して、コロナから解放されたいものです。
でも新聞を見ると「接種によって発症リスクが95%減少」とあります。100%ではないのです。5%の感染リスクはどうなるのでしょう。
詳しく言うと、
ファイザー社は、 4万3500人を2グループに分け、半分に予防接種した。その結果、接種しなかった方は162人が発症し、接種した方は8人だった。
率に直すと、それは100 : 5 。つまり接種組は95%が接種によって感染を免れた。
そういえば、こんな本がありました。
竹内薫(2006)『99.9%は仮説』光文社新書 ➡️Amazon
世の中のほとんどのことは「仮説」であって「真実」ではないのでしょうか。
竹内の著書は、カール・ポパー(1902-1994)の理論が元になっています。
●ポパーと板倉聖宣、両者の理論は似ている
ポパーは「科学は常に反証できるものである」と言っています(竹内[2006]p.132、元はポパー(1934)科学的発見の論理』)。たとえば小保方晴子氏による「Stap細胞作成」の発見(2014)は、再現性がないので偽りです。
またポパーは「科学的真理は、現在まで反証のテストに耐えてきた仮説のことであり、科学的探究は絶えざる〈推測と反駁〉を繰り返す試行錯誤の過程である」[野家(2001) p.11]と言っています。つまり「すべての理論は仮説だ」と言うのです。野家啓一(2001)「実証主義」の興亡ー科学哲学の視点からー」『理論と方法』 数理社会学会Vol.16,No.1:3-18
板倉聖宣もよく似たことを言っています。「仮説実験の論理」です。
「科学的認識は、自然に働きかけようという目的意識をもった実践によってのみ成立する」
板倉(1964)
いいかえると
「科学、それは大いなる空想に伴う仮説とともに生まれ、討論・実験を経て、大衆のものとなって、はじめて真理となる」板倉(1990)
⚫️「コロナワクチン」の開発者,ノーベル賞受賞決定(2023.10.3)
2023年のノーベル生理学・医学賞は,コロナワクチンの開発者カタリン・カリコ,ドリュー・ワイスマンが受賞した。
私の友人のIさん(医師,科学読み物ライター)は「コロナワクチンの「評価が確定する」までは、ノーベル賞はないのかなと思っていました」と言っています。コロナワクチンの開発者へのノーベル賞は
{問題1]
ア. 早すぎる
イ. 早すぎることはない
あなたはどう思いますか。さらに「評価が確定する」ためには,どうすればいいのでしょう。
写真はノーベル財団より
⚫️友人は80kg越え,脳出血で倒れた
Iさんと私には,共通の友人Tがいます。ともに70才で高校の同級生です。体重が80kgを越えていて心配をしていたのですが,今年の8月に「脳出血」で倒れました。幸い命には別状がなかったのですが,リハビリ中です。
医師のIさんは「もっと、痩せるように言うべきだった」と述べています。Tさんに,どう言うべきだったのでしょう。
{問題2]
ア. もっと痩せなさい (must....)
イ. もっと痩せた方がいい( should better....)
ウ. 痩せないと⚪︎⚪︎%の確率で,命にかかわる疾病がおきる
⚫️「作られる科学」=科学的知見は常に現在進行形で形成されている
科学史・科学技術史を研究するKさんから「作られる科学」という話を聞きました。「作られる科学」は,ラトュールによるもので「科学的知見は常に現在進行形で形成されている」というものです。 (Latour, B., Science in Action, 1987. 邦訳 『科学が作られるとき』)
つまり,コロナワクチンでいえば「感染リスクが100%」にはなりえない,ということです。これはポパーの主張と同じ,と言っていいのではないのでしょうか。
私は「コロナワクチンが有効」というのは事実である,と言えると思うのですが,どうでしょう。
⚫️「作られる科学」に対して,私たちはどう行動すればいいのか
脳出血で倒れたTさんには,どう言えばよかったのでしょう。
結局,決断は自分でするしかないのではないでしょうか。「痩せる」にしても「ワクチンを打つ」にしても,決断するのは自分です。
では,どうやって決断すればいいのでしょう。
⚫️「見通し6割にして始める」
こんな言葉を見つけました。
高村紀久男「見通し6割にして始める」『たのしい授業』1987.1月号「見通し6割にして始める」
何か新しいことをやろうと思ったら「6割か7割の見通しがついたところで踏み切ってしまわないと,けっきょく永久に何もできない」ということがけっこう多いように思われる。踏み出すことによって状況が変わってきたり,それ以上になったりする。
⚫️為せば成る為さねば成らぬ何事も
「6割」なのか「9割」なのかわかりませんが,どこかで「これが事実だと思う」と自分で決断して,行動を始めないと,結局何もできない。始めてみて,その結果から,次の行動を判断していく。
つまり「何をするにも仮説実験」ということでしょうか。