「クライシスコミュニケーション」という言葉があります。
「危機が起きたときには、自分で考え(自己内対話)、他者と相談(対話)しながら決断していかないといけません。
特に、コロナの場合は、世界中のだれにとっても初めてのことで、自分で考えていかなければならないことばかりです。そんなとき、どう考え、どう決断していけばいいのでしょう。
「何をするにも仮説実験」という言葉があります。何をするときも仮説を持って予想をたて、討論(対話)して実験(決断)していこう、という考えです。
この2つの言葉は似ています。どこがどう似ているのでしょう。
右図は「クライシスコミュニケーションの概念図」です。友人の音田さんが教えてくれました。瀬名秀明他『ウイルスvs人類』(文春文庫,2020.6.20)の中に出てきます。
対話には、3つのフェーズがあります。
音田さんは科学教室への通信の中で、次のように書いています。
フェーズを意識して討論したい。あなたの意見は①? それとも②??
さらに科学教室の参加者の一人、富田さんの言葉を紹介しています。
「正しい情報を取り込んで、正しく警戒して、ウイズコロナ(コロナと共存)の時代を工夫しながら、乗り越えていくことが大切です」
でもコロナの場合、テレビを見ていても、何が「真理」かわかりません。どうしたらいいのでしょう。
瀬名さんは次のように説明しています。
フレーズ➀ 〈科学的な根拠に基づいた真実〉を基礎にした対話 例: 「三密を防ぐ」
フレーズ➁ 一定の合意を見出すための対話
例: 「対策会議の議論を元に政策決定」
フレーズ➂ 哲学的、最終的な答えを持たない
例: 「パンデミック下でどう生きるか」
サークルでこの話をしたら、高校教師の岸さんは、次のような自分の体験談を語りました。
学校での討論(対話)には3種類ある。
フェーズ① 授業、特に仮説実験授業.授業書。
フェーズ②、学校の職員会。合意が必要。
フェーズ③は何でしょう。
私には東日本大震災のことが思い出されます。宮城県のある小学校で、多くの児童・教師が死んだ事件です。時間がない中で、並んで避難場所に行くか、即座に裏山に逃げるか。自分がこの学校の教師だったら、上司に従うべきか、逆らうべきか。
クライシスコミュニケーションの考えはいろいろな場面で使えそうです。
もともと「クライシスコミュニケーション」とは、「クロスロード」という防災ゲームから生まれたものです。
矢守克也・吉川肇子・網代剛著(2005)『防災ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション』(ナカニシヤ出版)という本があります。
その著者の1人、矢守克也は次にような論文を書いています。「終わらない対話に関する考察」『実験社会心理学研究』2007.Vol.46,No2, 198-210
そこに出ている話を図にまとめると、右のようになります。
「クロスロード」というゲームは、防災場面の「フェーズ③終わらない対話」をゲーム化したものです。阪神大震災で、避難所で実際にあったできごとを扱っています。たとえば「300人いる避難所に100人分しか食料が届かなかった。配るか、配らないか」など。答えはないものの大災害が起これば、必ず直面する問題が並んでいます。
それではコロナ下で、私たち一般市民は、どのように判断して行動していけばいいのでしょう。
音田さんは次のように書きました。
フェーズを意識して討論したい。あなたの意見は①? それとも②??
いちばん困るのは、マスコミからの多くの情報が、どれが真実なのかわからないことです。フェーズ➀なのか、➁なのか。それとも「単なる思いつき」のフェーズ③なのか。どうしたらいいのでしょう。
私は「仮説実験するしかない」と思っています。
1つの情報を聞いて信用できるのかできないのかは、自分で判断しなければなりません。「マスクをする」ことでさえ、懐疑的な人がいます。『99%は仮説』という本もあるように、真理(➀)と仮説(➁)の境目はあいまいです。自分で「正しいか」「正しくないか」予想をたて判断し、推移を見ながら判断が正しかったを見ていきます。
そのときの判断基準の1つが「統計数値」です。こういう数値も「信じられない」という人もいますが、他の情報に比べれば客観的です。
あるいは、私の場合「この人なら信用できる」と思える人の発言はどうでしょう。例えば、ノーベル賞をとった山中伸弥さんとかです。みなさんはどうしていますか。
さらに、私のおすすめはこれです。
「何をするにも仮説実験」
たとえば「1か月後のコロナ患者数はどうなるのか」を、数名の仲間と、あるいは個人で、予想して討論しておく。そして結果を確かめる。こうした「仮説実験」を繰り返していると、不思議なことに、さらに新しい事象に出会ったときに、正答率が高くなります。
「予想をたてると見えてくる」
●出だしの論理●
よく「科学的に考えるには、なぜ・どうしてと考える習慣をつけるといい」などといいますが、それよりも「いつも予想をたてながら生きていく」というほうが効果的です。「なぜ」の答えは、よく知っている人に聞くしかほかないことになりがちですが、予想の答えなら、偶然に起きる出来事や自分で実験して確かめられます。そういう習慣は、仮説実験授業を経験すると、早晩身につくようになります。どんなことをするときにも、予想をたててからやると、失敗してもなぜ失敗したのかわかって、早く成功することができるようになるのです。
これは「何をするにも仮説実験」ともいえます。
板倉聖宣著『発想法かるた』(仮説社 1992)より