⚫︎「宗教」とは何か, chatGPTに聞きながら考える
こういう議論についての考えは,人によって違うので「質問」にしてあります。自由に議論できると良いです。
[質問1]
「儒教」は宗教でしょうか。ア. 宗教 イ. 宗教ではない
chatGPTの答えは「宗教」とも「宗教でない」ともいえる。
そもそも「宗教」とは何でしょう。「宗教の主要な要素」
1超越的存在・根本原理
神・仏・天・精霊・宇宙の秩序など、人間を超えた存在や法則。
例:キリスト教の神、仏教の法(ダルマ)、儒教の「天」。
2 教義(信仰内容)
世界観、人間観、死生観、救済の仕組みなどを体系化したもの。
例:原罪と救い、輪廻と解脱、仁と礼の道徳秩序。
3 儀礼・祭祀
信仰を具体的に表す行為。祈り、礼拝、供養、祭典など。
例:キリスト教のミサ、仏教の読経、儒教の祖先祭祀。
4 聖典・伝承
教えを伝える経典や物語。
例:聖書、仏典、論語・四書五経。
5 共同体
信仰を共有する集団。教団、寺院、教会など。「同じ信仰を持つ仲間」としての連帯が生まれる。
6 道徳・規範
信者がどう生きるべきかを示す規範。
例:十戒、五戒、仁・礼。
7 聖なるものと俗なるものの区別
神聖視される存在・場所・時間を区別し、特別な意味を与える。
例:聖地巡礼、聖職者、聖日。
⚫︎京都人の多くは,家に「祇園祭のちまき」と愛宕神社の「お札」を飾る。宗教か?
我が家は,父母が京都人,夫婦も京都人的。ちまきもお札もある。上の7つを当てはめてみました。
1超越的存在✖️ 2教義🔺 3儀礼・祭祀(祖先を敬う) 4聖典・伝承 ✖️
5共同体 ✖️ 6道徳・規範🔺
7 聖なるものと俗なるものの区別🔺(神社仏閣のお参り, 毎年大文字/祇園祭/大晦日)
⚫︎板倉さんは自分を「無神論」という。どの「無神論者」に近いか。
ブルーノ(1548-1600)
ヒューム(1711-1776)
マルクス(1818-1883)
右はchatGPTに描いてもらった3人の思想です。
ブルーノは「カトリック」「プロテスタント」と争うな,もっと世界を動かす大きな神がいるだろう。
ヒュームは,自分で考えよう。神がいるかいないかも考えないといけない。(アダムスミスの友達,スミスは「見えざる手にまかせよう」と,板倉も)
マルクスは,宗教は「民衆のアヘン」,神は人間が自ら作り出した観念,宗教を批判することで人間解放をめざす。
この3つの中で「マルクス」はどうでしょう。
板倉さんは共産主義について何と言っているでしょうか。『幸福論』1948,板倉18才の中で。
ア. 評価している イ. 批判している
共産主義者は理想があり、もっと理想的な幸福感を持つから良かろうが、これらの人々はかわいそうだ。すべての人が精神的に優越を競えるかは問題だ。共産主義は教養ある人にはよかろうが、人民には好ましくないというのである。
それでは,板倉さんの「無神論」はだれに近いのだろう。
⚫︎[質問] 板倉さんはなぜ無神論か
板倉『たのしい授業』1991年12月「〈心の持ちよう〉と現実」
たとえば、「科学的な生き方をする」というのが私の理想の一つでした。...それでも私は「自分の思想に忠実に生きたい」などと思い。自ら「無神論者」と称して、そういう問題をあまり気にしていない大人たちに反発を感じたものでした。
でも、私のように,徹底的に生きていこうとしたら大変なのは明らかです。そこで私は、若い人々に対して、「く理想を掲げて妥協する>という生き方の重要性」について語るようにしました。
吉田秀樹訳「エピクロスの手紙 その3 メノイケイスへ」より, 井藤編『たのしい社会の科学』2005,
ところが人々の中には、「諸悪の中で〈死〉をもっとも 大きな悪と恐れ、そのあまりの恐ろしさゆえに、死ぬことさえを望もうとしている人」がいます。吉田秀樹訳「エピクロスの手紙 その3 ーメノイケイスへー」より, 井藤編『たのしい社会の科学』No.1 2005,
⚫︎[質問]板倉さんの無神論は,上の3人のだれに近い? ブルーノ,ヒューム,マルクス
⚫︎板倉の「[絶対自己]的自己賞賛」
いかめしい名称であるが、これを宗教的快苦(宗教的安心といったほうがよいであろうか)と名づけてもよいだろう。 自己の中なる絶対者として「絶対自己」と名づけるのである。そして、それに忠実なることを満足、または自己賞賛するのである。(ここまで「幸福論」より)
少なくとも「マルクスの無神論」とは違う。
エピクロス=ブルーノの原子論
ヒューム流に「自分で考えよう」もありだと思う。
⚫︎[質問]「仮説実験授業の考え」は宗教か? ア.宗教 イ.宗教ではない
上の7つに当てはめてみよう。いくつ当てはまるだろうか。
1超越的存在 2教義 3儀礼・祭祀 4聖典・伝承 5共同体
6道徳・規範 7 聖なるものと俗なるものの区別
-izm(イズム)という言葉がある。ヒューマニズム,フェミニズム,ブッタイズム(仏教),孔子イズム(Confucianism=儒教),仮説実験授業も「かせつイズム」とか「いたくらイズム」でいいのではないだろうか。
⚫︎ [質問] 私は無神論? 有神論?? あなたは???
私は「京都人っぽい」し,(死んだ)母・父を敬おうと思っている。
それはキリスト教徒/仏教徒の「マリア/観音」「キリスト/薬師」に似ているかもしれない。きれいな女性を見ると「おーマリア様」,かっこいい男性を見ると「おーキリスト様」と思うのも良いかもしれない。(みんながそう思えばチカン/セクハラがなくなる?)
シスターベアトリスの話も「なるほど」と思えてしまう。
ただまちがいないと思うのは「未来に自分に起こることの多く(半分以上?)」は,やってみないとわからない。「運を天にまかす」ということが多々ある。その「天」はブルーノ流でもいいし,板倉流でもいい。両者はさほどかわらない。
ただただ,ヒュームの言うように「何でも自分の頭で考えて行動しよう」が究極かもしれない。
⚫︎[質問] 現代日本人の多数は無神論か?
「京都」の人たちは,四季ごとにお祭りを行い,先祖を敬っています。そういう思いは京都に住む人だけではなく,日本人全体にあるのではないでしょうか。
外国から来た人は日本の良いところとして「街が清潔」「安全」「思いやり」などをあげます。それは日本人が太古から持つ「宗教観=日本教」とも言えるかもしれません。
⚫︎ラフカディオ・ハーン(1850-1904)の宗教は
ハーンは,ギリシア(母はギリシア人)で生まれた。2才でアイルランド(父の家がある)に行く。1890年, 40才で日本に来る。
ハーンは自分の宗教のことを何と言っているか。日本に関する最初の著書『Glimpses of Unfamiliar Japan (知られぬ日本の面影) 1894年』の「東洋の第一日目」に,そのことが出てくる。
ア. ギリシア正教 イ. カトリック ウ. プロテスタント エ. その他
「あなたは、キリスト教徒ですか?」私は正直に答える。......「いいえ」
「仏教徒ですか?」.....「いえ、そうとも言えません」
「それでは、どうして仏様を言じないのに、お供えをなさったのですか?」
.....「私は、仏陀の教えの美しさと、それに従う人々の仰を崇敬しています」
(池田雅之訳『
⚫︎ 日本のすばらしさを忘れてしまった日本人
ハーンは日本について「すばらしい文化と伝統の国である」と何度も書いている。そういうことを現代日本人は忘れてしまったのではないだろうか。
私は,寺社に行くと,ほぼ必ず賽銭を入れる。それは「入場料だ」と思っているからだ。美術館でも記念館でもだいたい入場料が必要だ。無料の寺社でも,入場料としての「賽銭」を払ってもいい。そう思っている。
「盆踊り」=先祖を霊を供養する
(池田雅之訳『新編 日本の面影』 角川ソフィア文庫, 2000 p63より)
ふと私は、何か太古のもの、この東洋の歴史が記録に残される以前からのもの、もしかしたら、薄明の神代の時代から存在したものを目にしているのではないだろうか!そんな思いが、頭をよぎった。この盆りは、数えきれない長い歳月の間に、その意味が忘れ去られてしまった動きを、象徴しているのではないだろうか。
